見出し画像

「夢って、こんなに早く叶うんだ。」KEN3TVさん③

(前回からの続き)

⑪FANKSになったことでの人生の変化を教えてください。

KEN3TV:
いやぁ、ホント、いろんなことがありましたけど。この前、(自分が関西から)東京に来るきっかけのライブをやっていたプロデューサーの方にお会いしたんですよ。「ウルトラス」っていう、サッカーの応援団(があって)、植田朝日さんっていう方がいらっしゃるんですよ。2002年の日韓ワールドカップの時に、その方と小室さんとかDJ DRAGONがよく組んで、ライブをやられていたんですよね。

で、去年だったかな。去年のワールドカップかなんかに、たまたま植田朝日さんのお店でやるイベントに声をかけてもらって。久しぶりに行ったら、半分以上がプライベートで小室さんと会っている方たちで。その頃の哲っちゃんとサッカー関係でいろいろやっている人たちがいらっしゃって、いろいろと喋って。
いい意味で、その人たちのクラブイベントがなかったら、僕、東京に来るきっかけって作っていないんで。

なんかみんなに、「こいつ、変わってんだよ。哲っちゃんと俺がやってたイベントが好きでさ。ずっと全国のツアーに(ついて)回ってくるんだよ、こいつ。」ってみんなに紹介されて。「僕の家に哲っちゃんのギターあるよ。」とか言っている人がいたりして。
当時の近い人たちがいっぱいいたから、もうなんか忘年会のような。その時に、FANKSになって、東京に来た時の話をいっぱいして懐かしいなぁ、と思って。

一番初めは、哲っちゃんの、当時ホリエモンがやっていたWeb会社が作ったWebページなんですよね。それが僕の中では、もうすごい衝撃的で。インターネットをするために、当時はまだ電話回線でネット繋いでたんですよね。
当時は何でもそうなんですよ。CD(プレイヤーを)買ったのは、TM NETWORKのために買って、パソコンを買ったのも、そのWebサイトを見るために買ったんですよ。MDもそうですよ。なんか結構、自分の人生って、彼らが新しいことを始める、(TMの)コンテンツを見聞きするために(いろいろな物を)買う。
その時も、パソコンを頑張ってWebを見るために買って、初めて掲示板やって。

で、僕、GABALLっていうグループ、テクノユニットにハマりまして。原田大三郎っていう映像作家と、DJ DRAGONと小室哲哉のこの3人のトランステクノユニットのGABALLっていうのにハマって。それで、哲っちゃんの当時、BBS掲示。TK56か何か。結構それが、個々に(いろいろな人が)書き込みをしていて。
それで、今も割とそうなんですけど、全然自分はリーダー気質じゃないんだけど、いろんなところでコメントした人を拾っていって、7、8人のグループになって、当時、府中の森でやった小室さんのライブに行った。Zepp Tokyoだったかな。

あれで人生、良いも悪いも変わりましたね。あの時なんかね、毎週というか毎月のように哲っちゃんのライブがあった。GABALLもやり、哲っちゃんのキーボードだけのもあり、とかっていうんで。当時、僕、バリバリ京都だったんですけど、バリバリ会社休んで。今も昔も、フレキシブルに動きたいから、とか訳わかんないこと言って、今もいい年こいて、正社員じゃないんですけど。
だから、TM のライブにも、小室さんのライブにも毎週のように行って、ヴェルファーレにも行って、DJ DRAGONともめちゃめちゃ仲良くなって。

金谷:(KEN3TVさんは)、DJ DRAGONさんとすごく仲が良いっていう印象があるんですよね。

KEN3TV:(当時は)クラブにめちゃめちゃ行っていて、本当にDJ DRAGONさんには人生を救われた、というか。CLUB asiaっていうクラブがあって、ちょっと落ち込んでいた日に僕だけにお喋りしてくれて。椅子をわざわざ持ってきてくれて、俺の前に座ってくれて「お前、今日はなんかあんまり乗っていなかったな。」「元気ねぇなぁ。お前らしくねぇぞ。」っていろいろ言ってもらったのがすごい思い出ですよね。最近ちょっと、クラブには行けていないけど。

やっぱり、誰しもというか、何かテクノロジーだったりとか、(クリエイティブな)何かをするのが好きな人たちは「プロデュース 小室哲哉」、「TK」、「TETSUYA KOMURO」にめちゃめちゃ憧れた訳ですよ。
「自分も何かを操ってみたい。」というか、自分も何かをやってみたいってあって。で、ハマったのが楽曲制作でしたよね、一番初め。
僕の場合はちょっと奇跡的に、一番初めに作った楽曲が、DJ「ロケットマン」さん。ふかわりょうさんがめちゃめちゃ気に入ってくれて。
DJ DRAGONがやっていたクラブイベントに持って行ったんです、CDを。SMAPの「世界に一つだけの花」っていう曲。それも、哲っちゃん好きの友達でリミックスができた友達がいたので、楽曲の作り方を教えてもらって。あれ、バラードだったじゃないですか。それをちょっとハウスバージョンみたいに変えて。初め、DJ DRAGONさんとかに聞いてもらったりとかして、「これ、いいじゃん、お前やんな。」とかって言われて。「ふかわさんに渡したいと思うんですけど。」って言ったら、「これならいけんじゃん。」って言われて、「ふかわさんをイメージしてリミックスした楽曲です。」って渡して。
 
(そうしたら、)全国で彼が当時、もうめちゃめちゃ飛ぶ鳥落とすDJだったんですよ。まだ彼は楽曲作っていなかった時で。その後、DJ「ロケットマン」としてiTunesで1位になったりとかするんですけど。その前だったんで、ちょうど(彼が曲を)作り出した時だったんですよね。だから、彼と一緒に曲の作り方を話したりして。「何のソフト、使ってるんですか。」とかっていう話をクラブでさせてもらったりして。

それでなんか、当時のDJ「ロケットマン」のファンが選んだ好きな楽曲ランキングのトップテンの中に、僕、2位で入ったことがあって。「世界に一つだけの花」のKEN3TV リミックスって。1位がUnderworldの「Born Sleepy」だったんですけど。
それが自信というか、すごい嬉しかったんですよ。センスも何もないと思っていたのに、小室哲哉が(きっかけで)。まったく勘だけで作った物が(チャートインして)。

金谷:それは才能ですよ!

KEN3TV:それで今もこじらせちゃって、プロなのかお金もらっているのか分からない。(結果)お金がない生活を送っているんですけど。僕、楽器とかあんまり詳しくないんですけど、哲っちゃんも昔、何の曲か忘れたけど、なんかボタンを押したら、半音上がって転調の楽曲が生み出された、っていうインタビューの話があったと思うんですけど。僕もそういうリミックス曲を編集するソフトでボタンをピッと押したら、なんかリズムがパタパタッと合ったんですよ。今までずっと合わなかったのに、急に「ぴったり合ったじゃん!」っていう。その後は、同じようなことは全然起こらなかったんですけど、結果はめちゃめちゃ良いリミックスになって。
当時、「2ちゃんねる」で、ふかわりょうに楽曲を渡した青年がいるって上がって、彼が、全国のクラブイベントでかけてくれて。それで、僕、DJ始めたんですよね。

(そうしたら)その楽曲を聞いた大学生の女の子から誘われて、「KENさんの曲をクラブで聴きました。めちゃめちゃかっこ良かったです。」って言われて、一緒にDJイベントを始めた。初めは御茶ノ水で10人くらいだったんだけど、だんだん(お客様が)増えて。キャパは15人ぐらいでパンパンな(ラウンジみたいな)ところなんですけど、50人ぐらいになって。そこから新大久保に場所を移して、どんどんアジアの曲にハマっていった。

そこで、「もっと集客するのにどうしたらいいんだろう?」と思って、カメラを買って回し始めた。それが今のKEN3TV(の活動) の始まり。もっともっと広めたいな、と思った時に、当時、映像配信なんて全然なかったんですけど、自分のサーバーに上げて、動画で告知。

(次回へ続く)

=================================

「FANKS STORIES」では、TM愛を語りたい方を募集しています。
我こそは、という方がいらっしゃいましたら、下記メールアドレスまでご連絡ください。

【「FANKS STORIES」でインタビュイー募集!】
↓↓↓下記メールアドレスまでご連絡ください↓↓↓
thanksfromfanks@gmail.com


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?