いつも大学生いつか社会人

普通の大学生。 友達と酒と女の子。 人生そこそこで生きれば そこそこ楽しい。 文章を綴ると 自然と主語はデカくなる。 コメント大歓迎です。

いつも大学生いつか社会人

普通の大学生。 友達と酒と女の子。 人生そこそこで生きれば そこそこ楽しい。 文章を綴ると 自然と主語はデカくなる。 コメント大歓迎です。

最近の記事

No.13「水車がまわるのは水のおかげ。」

水車を見る時、だれも水を見ない。 水車が主役。 でも動いてるんじゃなく、動かしてもらってる。 当たり前で、でも当たり前に気付けない。

    • No.12「豆電球ほどの」

      豆電球ほどでいい。 暗くて寒い夜の間、少しだけの温かさを焚べる。 明るい時のさらなる明るさより、 暗くてどうしようもない時、手掛かりになる一握りの光を。

      • No.11「名前がなければ僕は誰にも見つからない。」

        名前のないモノなんて無い。 そもそも、名前というのは僕らが世界を認識するのになくてはならない。 僕らは名前で世界を見てる。 イスだって人だって食べ物だって。 名前があるから認識できる。 よくある話だ。 僕という人間に名前がついていなければ 僕は世界で誰にも認識されない。 名前を呼ばれるってのは大切なことだ。 だってそれは、世界に僕がいる証だ。 ちょうど、四葉のクローバーが雑草群の中から発見された時のように。 僕は教師って仕事に就くけれど 大事にしたいことはやっぱり

        • No.10「アンサンブル」

          いつものnoteとは違う。 知り合えた、たった1人の友人のことを綴る。 というのも、 どうやら彼女はnoteを始めたらしく、その一つ目の投稿に僕宛ての手紙を書いてくれた。 しからば返信をしようというわけだ。 noteらしからぬ、第三者を置いてけぼりにする そんなnoteを書いてみよう。 彼女には「全開放」という言葉がよく似合う。 誰にでも優しくて誰にでも明るい。 悲しければ悲しいと言い、嬉しければ嬉しいと言う。 謙遜もするし素直に受け止めもする。 矛盾も整合も持ち合わせ

          No.9「学園祭に行かなくちゃ」

          僕のサークルはどうやらお酒を飲まなくなったらしい。所謂、飲みサーではなくなったのだ。 打ち上げもない。飲み会もない。 そんなサークルの手伝いのために僕は狂った生活リズムに鞭を打って朝から大学へ向かう。 とはいえ、学園祭は楽しい。 いろんな出会いがあるし、よっ友との唯一の会話機会だと思っている。 でも。それでも。 僕は性格が悪いから、 なんの楽しみも給与も無しに3日間、ただただ手伝うって。と思ってしまうのだ。 僕は打ち上げが当たり前だと思っていた。 先輩も同輩もそうして

          No.9「学園祭に行かなくちゃ」

          No.8「三日坊主、毛は生えてる。」

          大事なことは挑戦と継続だ。 どこかで聞いた気がする。 で、挑戦より継続が難しい。 僕は挑戦することはできる。 アイデアもたくさん浮かぶ方だと思う。 実行にも移せる。だが続かない。 工夫してもだ。 noteからも感じる。 また三日坊主だ。 でも、毛はまだ生えてる。 切らなければいいんだ。 まっすぐ、澄んだ心を言葉に乗せて。 書きたいことだけを書きたい時に書く。 それでいいんだ。 ただ、ただひとつだけ 自分以外の誰かと共存する場所ではそうも言ってられない。 大人

          No.8「三日坊主、毛は生えてる。」

          No.7「いつもそこにあるのに、いつもは気づかないモノってなーんだ?」

          この前、最近仲良くしている女の子が僕の大学に勉強しにきた。 その子はまるで海外旅行に来たかのように 歩くんだ。 僕は毎日通っているはずなのに違う世界に見えてくる。 楽しかったんだ。 いつもと同じバスでも、いつもと同じ道を歩いてもなんだか景色が違う。 世界を揺るがすような、 画期的な、驚愕的な発見じゃないんだ。 無意識の日常から切り取られた、 意識した日常。 そこにあったモノは 僕の抱える漠然とした問いの答えだと思う。

          No.7「いつもそこにあるのに、いつもは気づかないモノってなーんだ?」

          No.6「大人に、はしゃぐ時間はあるの?」

          なんだか最近、自分が面白く無くなっている気がする。 というのも、3年前までは次の日の予定や睡眠時間を気にせず友達と夜通し遊んだり、女の子に夜に会おうと言われれば寝る直前でも10分後に家を出ていた。 バイト前に急に誘われて昼飲みしたこともある。 つまり、ノリが良かったわけである。 それが社会人まであと1年を切った今、いわゆる普通の計画性のある毎日に変わってしまった。 もちろん、遊びには行くが馬鹿なことはしなくなった。 次の日が早ければ夜の誘いは断るようになった。 それは

          No.6「大人に、はしゃぐ時間はあるの?」

          No.5「童話『うさぎとかめ』っぽい僕の結婚観」

          うさぎはプラスの感情。 かめはマイナスの感情。 僕は丘の上のゴールから、うさぎとかめを見守ってる。 なんだかこの人といて楽しいな。 そんな名前のうさぎがスタートと同時にどんどんゴールに向かってくる。 先に近づいてきたうさぎに夢中になってる。 まだかめは見えてない。 でも見えないところで着実に進んでいる。 時間が経ってうさぎのスピードは落ち、 しまいには休み始める。 時を同じくしてかめが現れ、うさぎに追いつく。 で、結局先に到着するのはかめだ。 そんな心配もあってか

          No.5「童話『うさぎとかめ』っぽい僕の結婚観」

          No.4「あの頼りにしていた先生も昔はテキーラを飲んでいたかもしれない。」

          思えば先生という職業は大変だな。 人格と信頼と授業力が全てだ。 そんな職業に来年度から就くのだが。 僕はお手本とは対極の大学生活を過ごしてきたから、過去のはっちゃけエピソードを隠して、教育支援者にならなくちゃいけない。 先生という職業だけか? いや、限らない。働くってそういうことなのかも。 世界観を作るのだ。 個人経営のディズニーランドみたいなものか。 もしかしたらこれまで出会ってきた尊敬するあの人や、手の届かない偉い人もそうなのかもしれない。

          No.4「あの頼りにしていた先生も昔はテキーラを飲んでいたかもしれない。」

          No.3「大人の方が子供じゃないか。」

          休みが欲しいだとか、沖縄に行きたいとか。 昔とはちがって今の大人は成人してから周りの人との生活を比較し始めた。SNSによって。 多様性を認めて自分の道を進みなさいと僕らに教えてきた当の本人たちが他人の生き方を羨んでる。 わがままだ。 SNSというものが双方向コミュニケーションではなく、自分を出したいだけの一方通行コミュニケーションであると理解してる今の世代の方が自分の道を行くのではないか。 自問自答してみる。 いや、僕も画面の向こうを羨んでる。 ただ、羨んで終わり

          No.3「大人の方が子供じゃないか。」

          No.2「『学生の遊び>授業』という公式の証明」

          今学ぶべきことは学科の専門性ではなく「遊び」だと常々思う。 1人ではなく、友達との遊びを。 同性だけでなく異性とも。 なぜか。 将来的にはコミュニケーション能力みたいな漠然としたものが求められる。 それを友達との遊びで身につける。 成人の友達との遊びって案外難しい。 考えもせず地域の公園で遊んでいたあの頃とは違う。 高校生までは幼馴染とか小中学の友達とかこれまで付き合っていたコミュニティの延長だから困らない。 それが大学に入って、枠から突然外される。 たまったもんじゃな

          No.2「『学生の遊び>授業』という公式の証明」

          No.1 「復活はいつも突然に」

          「おわり」って不安だ。 人は平等に「死」という「おわり」を抱えている。 だから「おわり」には敏感なんだと思う。 ゲームオーバーとか遺書とか卒業とか。 だからこそ「復活」には心動かされるものがある。 先日、某番組で復活出演していたアイドルがいた。 その番組はわたしの中学生時代の数少ない娯楽のひとつで、あの頃に戻ったように楽しんだ。 まさに「復活」したわけである。 第三者にとって「復活」はいつも突然で 安心を取り戻す原料だ。

          No.1 「復活はいつも突然に」

          No.0 「22歳、言語化って難しい」

          大学4回生の秋。 これからの人生において特に意味もない授業で俯きながらネットの海を彷徨う。 すると、このアプリのことを知った。 感じたことを言語化するって難しい。 若者言葉が流行し、豊富な語彙と表現が失われてると警鐘される中、 偏差値50ほどの普通の大学生がどれほど人に見られる文章が書けるのか、。 挑戦と練習と意志を持って日本語を綴る。

          No.0 「22歳、言語化って難しい」