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コントラバスを始めたきっかけ

 バイオリンと違い、コントラバスは始めたきっかけを明確に覚えている。コントラバスを始めたのは中学の時である。リコーダーアンサンブルに通奏低音として入ったのが初めてである。元々音楽室に教育用として飾ってあったのを、先生が弾く機会を作ってくれたのだと思う。先生は私がバイオリンを弾くのを知っており、飾ってあったコントラバスを私が興味津々で見ていたので弾かせてくれたのである。といっても音楽の先生が弾き方を教えてくれたのではない。飾ってあっただけでなので楽器のメンテナンスがされていたわけでもない。自分の両親を頼りにしながら自力でどうにかしていったのである。

 私の中学時代は、YouTubeどころかインターネットさえ一般的でなかった時代である。ヤマハなどで売られている教本を見るしかなかった時代である。自力で全てできたのではなく、両親と懇意にしていた弦楽器店を頼りにした。親が何となくの楽器の構え方と指使いをどこからともなく仕入れてきてくれた。また、弦楽器店の人は楽器を修理して音を出すため、曲を弾けなくても音の出し方はよく知っている。そこで少しだけ教えてもらった。あとは、教則本の写真と文章を読むしかなかった状況であった。

 実は、初めてコントラバスに触った日から本番まで1か月強しかなかった。始めの2週間は家で2オクターブ弱の音(1stポジションでだせる範囲)を出せることを目標に練習した。毎日かなりの練習をし、練習を終わらせるのは、それ以上弾くと血豆が潰れて楽器を汚してしまうから、という理由で終わりにしていた。始めの2週間の中でも曲をさらうこともしたが、それは音を出すのではなく指の動きを覚えるためだけに留めていた。実際に弦を抑えて音を出して練習する時間的、体力的な余裕がなく、基礎を固めることを重視して曲の練習は体力を消耗しない形としていた。

 後半の2週間は合奏で合わせながらの練習であった。曲はグリーンスリーブス(作曲者不詳)と管弦楽組曲(バッハ)の中の1曲であった。音程を合わせるのはとても苦労をした。音程がずれていることを認識できても、左手がそこまで追いつかなかったのである。リコーダーアンサンブルなので、他の人が音程を外すことはないというプレッシャーは大変なものだった。

 まあ、そんなこんなでどうにか本番を迎えることができたのはとてもいい思い出である。「どうやったら2種類目の楽器を弾けるようになるか」と聞かれることが時々ある。「1か月あればどうにかなります」と答えてしまっている。学校の部活動では、「4月に楽器を始めて秋の文化祭までに弾けるようになんてなるわけない」、とあきらめてしまっている人がいる。私はそうとは全く思ってない。「他の全てのことを投げ出せば絶対に弾けるはず」、あるいは、「指導が間違ってなければできる」と思っている。

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