百恵フォロワーのアイドルたち
今回は、80年代の百恵フォロワーを紹介したいと思います。
引退によって期待された百恵フォロワー
1980年3月7日に引退発表を行った山口百恵。
女性アイドル界のトップが引退となり、空席となる王者の椅子に誰が座るのかが注目されていた。
百恵がいなくなることにより、「その路線は他の誰かに求められるだろう」というのが自然な考え。
それ故に同年、百恵の路線を引き継ぐ新人が何人か現れることに。
浜田朱里
浜田朱里は、80年6月に『さよなら好き』でデビュー。
百恵と同じCBSソニー所属。
しかも百恵をヒットさせた酒井政利プロデューサーの担当で、実質【百恵の正式フォロワー】である。
浜田が歌った世界観は、百恵が初期に歌っていた、【一人の男性と体で結ばれることで本当の愛を確かめたい】という内容のもの。
つまり浜田朱里は、百恵が確立した【青い性路線】の公式継承者なのだ。
しかし、淡々と歌う百恵と違って、歌う時の表情がどこか優しげ。
キラキラした瞳、清楚感のある美人。
そして、なにより百恵にはない笑顔がある。
3曲目『青い花火』は、花火が行為の隠喩と捉えられるにもかかわらず、笑顔で歌う浜田のほうが強く印象に残る曲に仕上がっている。
浜田の華やかさが歌詞のいやらしさをかき消してしまうので、意味深な青い性路線を歌うのに、まさにピッタリな逸材である。
青い性路線はその後2年も続くことになったが、売り上げは奮わず苦戦。
だが、青い性路線を歌い続けられたことは、それに2年も耐えうるだけの魅力が浜田にあったということだろう。
三原順子
三原順子は、百恵の引退とほぼ入れ替わりで80年9月21日に『セクシー・ナイト』でデビュー。
三原順子はポスト百恵と騒がれていたが、百恵との相違点がある。
百恵が『イミテイション・ゴールド』や『美・サイレント』で特定の男性との体の関係性を歌ったのに対し、三原はデビュー曲からわかるように、気まぐれな恋=遊びの一夜。
三原順子は、百恵の『プレイバックPart2』以降の路線を継承しつつも【遊びの女】感をより加えたのだ。
また、デビュー前に「3年B組金八先生」で不良少女の役をやっていたことも手伝って、自然と不良を連想させるアイドルとなった。
ただ単純なアダルト路線ではなく、不良のイメージが加わったことで、従来にはなかったアイドル像を確立したのである。
3曲目『ド・ラ・ム』で、三原はその本領を発揮。
この曲は失恋をテーマにしているはず…
なのに“性悪女”というワードが目をひき、ここからも遊びや不良を連想させる。
三原順子の成功が、その後の中森明菜の不良ツッパリ路線のゆるやかな源流を作っていたとも言えるだろう。
その他の百恵フォロワー
百恵のそっくりさんの佐藤恵利が、片想いの曲『ラブスケッチ』でデビュー。なぜか百恵とは正反対のニコニコ笑顔で歌唱。あえて本家との差別化を図ったか。
麻野星子が『喪失~My Another Birthday』というあまりにもやりすぎかつ直接的な曲でデビュー。彼と別れても祝い続けるとは…百恵より過激にいこうとしたのか?
デビュー曲『ありがとう』がヒットした石坂智子が、2曲目『デジタルナイトララバイ』でオトナ路線に挑戦。ピンク衣装で、ポスト百恵というよりもお色気が優先に…。
と、百恵が引退した80年はこんな具合で、一口に百恵フォロワーと言ってもバラエティに富んでいた。
結局この年、ポスト百恵の座を手にしたのは、百恵の路線を継承すらしていなかった松田聖子だったのだ…。
翌81年は、聖子フォロワーが急増し、百恵フォロワーはいなくなってしまう。
浜田朱里と三原順子の2人だけが、老舗菓子店の如く百恵の味を継承し続ける結果に。
しかし82年の中森明菜デビューの直前に、衝撃的な百恵フォロワーが現れる。
中野美紀【百恵と明菜両方の流れを汲んだアイドル】
中森明菜が登場する2か月前。
82年3月に『未経験』でデビューしたのが、中野美紀だ。
「未経験」というのだから、どういう売りなのかは聴くまでもなく明白。
いざ聴いてみると、題名以上に歌詞が衝撃的すぎる。
この曲には注目すべき部分が2つある。
1つめは、【意中の男性に抱かれ、本当の愛を知りたい】という百恵の青い性路線を継承していること。
2つめは、百恵の世界にはなかった【不良を示唆する部分】が描かれていること。
意中の男性がケンカや煙草で退学になったり、ある女生徒がへまをした(子どもを身籠った)と噂される、等の部分がこれにあたる。
これは同年にデビューする中森明菜の不良ツッパリ路線の流れを既に汲んでいるといえる。
このセンセーショナルな表現があまりにも過激すぎたのか、中野はすぐに引退してしまった。
しかし、中野美紀から百恵後夜、明菜前夜の匂いを感じ取れることは歴史的な変革として特筆すべきだろう。