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Revenant Doll 第27話

第3部

9 鬼

 
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 よくない夢を見た朝、一つか二つのストーリーは脳裏に強く焼き付いているのだが、実は他にも幾つかの夢見があったはずだとぼんやり感じることがある。大概それらは後の時間帯に見た夢の印象に上書きされ、内容のおぼろげな輪郭も消え失せている。そんな時、うっすらと尾を引く後ろめたさの中、頭のどこかで「忘れてよかった」と安堵していたりする。

 小早川学の人生が終わり、俺が座光寺信光として意識を取り戻した時、「雲の流れる空」「炎上する音楽室」の記憶を携えていたことが、そうした「選別」の結果なのかどうかは分からない。それにしても、戦場に斃れた哀れな嬉野小〝卒業生〟小早川くんのイメージはあまりにも強烈で、座光寺信光に立ち返るのには少々手間取った。

 そして俺の目覚めた場所は嬉野小の理科室でも音楽室でもなく、板敷の粗末な小屋の中だった。板戸の壁に背を預けて座り込んでいる俺の顔を、メアリーとハッサンが心配げに覗き込んでいた。

「あなたたち……どうしてここに?」
 
 二人は顔を見合わせてから、ハッサンが口を開いた。
 
「若君様と一緒にここへ飛ばされてしまったようです」
「何と」
 
 その時になってようやく、自分のいる場所に思い当たった。前夜、藤山はつ子に導かれて迷い込んだ廃屋の座敷だが、布に覆われた立像はもちろん、生活の跡をしのばせる物品一つ残されていない。もちろん俺たち三人以外に人の姿はない。

 思わず左手首の「ウロボロス」を確認すると、案の定スライドボタンは「満月」の位置にずれていた。ところが、泡を食って「三日月」へ戻そうとしてもスイッチは動かない。何度繰り返しても同じだった。
 生身の人間だったらさぞや顔から血の気が引いたことだろう。スイッチが「月光エコドライブ」に固定されたまま充電が切れれば、自分の体に戻ることはできなくなる。
 俺の肉体は魂の抜けた植物人間のような状態になり、霊体である今の俺は霊のまま永遠にさまようしかない。

 不具合を放置すれば秒速で悪化が進むのも精巧無比のIT機器たる所以か? 冗談も大概にしてくれ。
 
「あなた方を巻き込んでしまったのか……申し訳ない」
「とんでもございません。どこまでも若君様をお守りせよと、我らはバトラーより言い付かっておりますので」
「確か、理科室で子供の霊を追ってたんですよね。俺はどれくらい気を失ってました?」
「十分ほどです」
 
 つまり、俺に残されているのはあと四時間足らず。吸血鬼め、とんでもない欠陥品をつかませやがって……と怒り狂いたいところだが、「修理するまで使うな」というエドの警告を無視したのは俺だ。ここで命を落とすのは自業自得だとしても、例によってエドの従者まで巻き添えにするのか。

 ウロボロスを指差して「ぶっ壊れてます。直りそうにありません」と告げると、ハッサンは半眼になって両手を広げ「アッラーの思し召し」と言い、メアリーは俯いて十字を切った。白々しい思いで二人の所作を眺めていると、不思議に腹が据わってきた。
 
「いいですか皆さん。この際確認しておきますが、俺に課せられたミッションは、嬉野小学校の旧校舎解体工事を再開できるように、今起きているいろんな霊障を絶つことです。俺がここで死ぬかどうかは関係ありません。だからお二人にも全力を挙げてもらいます」
 
 メアリーとハッサンは片膝を着き、胸に手を当てて「仰せのままに」と声を合わせた。その時、二人の背後にうっすらとした光の塊が生じ、人の形へと変わった。ウサギを胸に抱いた少女の霊だ。服装は違うが、その顔は覚えていた。
 
「君は、小林千恵ちゃんだね?」
 
 ウサギを抱いた少女は無言で俺を見つめている。エドの従者たちが彼女の気配に気づき、背後を振り返って身構えるのを、俺は「大丈夫」と言って制した。
 
「小早川君は気の毒だった。彼は最後まで君たちのことを心配していたよ」
 
 一、二秒ほどの間を置いて少女の口が開いた。
 
「気の毒なのはあなたたちよ。もう元のところには戻れない」
 
 彼女は俺たちの動揺を誘っているのだろうか。俺は「そうみたいだね」と笑顔で応じた。いまさら自分の行く末を案じても詮無いことだ。
 
「自己紹介が遅れた。俺は座光寺信光という神奈川県の高校二年生で、ごらんの通りの霊能者だ。嬉野小が改築されることは知ってるよね? 古い校舎の解体が進まなくて関係者が困ってる。だから『何とかしろ』ってことで俺が呼ばれたんだ」
「あなたも学校を壊しに来たの?」
 
 千恵ちゃんの目が鋭く光った。慎重を期したつもりが裏目に出たらしい。俺の口から、怨霊に通用するとも思えない弁解が流れ出ていく。
 
「いやいや、校舎が古くなったから新しくするだけだ。第一、今の校舎は君らがいた時の木造と違うだろう? 古い建物は建て替えなきゃいけない! そうやって学校は続いていくんだよ。ごく当たり前のことだ」
「私たちの学校に手出しはさせない」
 
 その断固とした口調が俺の口を封じた。
 
「あんたは何も分かってない。学校は私たちが帰ってくる場所なのよ。まなぶ君も、他の売られていった子たちも、『御蚕様』になった子も。あんたたちはそれを壊そうとしてる。私たちの帰る場所は私たちが守る。絶対に」
 
 千恵ちゃんは俺に人差し指を突き付け、重く低い声で「鬼」と言った。
 
 人差し指を向けた格好のまま、彼女はゆっくりと闇に溶けて消える。「ちょっと待って!」とわめいても聞き入れられるはずがなかった。

 本来、怨霊に論理的な説得を試みるほど愚かなことはない。理屈ではなく情念そのもので成り立っている存在なのだから、燃えさかる怨念に油を注ぐのに等しい。彼らにとって合理性は単なる「おごり」であり、思うにそれは、自分たちが理解されることは絶対あり得ないという一種の諦めに由来している。
 そうはいっても、このままでは今の児童が戻ってくることができず、学校自体が存続できなくなる。どうすればこれを分かってもらえるのか。
 
「とにかくここを出ましょう」
「どちらへ?」
 
 俺を見据えるメアリーの眼差しに不吉なものを感じた。エドが如鬼神となって一世紀余り、彼女も歴代当主の下で場数を踏んでいる。それは俺の想像も及ばない凄惨な現場だったはずだ。
 そして彼女もハッサンも、座光寺信光の最終形態が禍々しい「悪龍あくりょう」であることは、エドから聞かされて知っているだろう。
 
「学校へ戻ります。鬼呼ばわりされようと俺は彼女らの説得を試みます。実力行使はあり得ません。よろしいですね?」
 
 二人はゆっくりと頭を下げて承諾の意を示した。

 ちょっと待て。お前は今何と言った。

 「実力行使はあり得ません」だと?
 
 炎に包まれる藤山はつ子の姿がフラッシュバックした。彼女の唇が無音のまま動く。「何すんだよう」──。そして彼女はもういない。覆水盆に返らず、何もかももう後の祭りじゃないのか?
 それだけで済めばよかった。もう一つ、全く予想外な場面のイメージが、閃光のように脳裏を駆け抜けていった。

 裸電球の下で顔を寄せ合う男たち。人数は三人……? いや四人か。違う、もっといる。皆二十歳くらいの若さで、顔を斜めにして俯いている。そのうちの一人が顔を上げ、俺と視線が合う。そしてにやりと笑う。

 喉の奥から叫喚が上がりかけた。

 メアリーとハッサンが、棒立ちになった俺の顔を怪訝そうに眺めている。これはまずい。俺はどんな顔をしていた? とにかく落ち着いて、自分をコントロールする。今はそれが大切だ。
 
 廃屋──藤山はつ子の家──の屋根を突き抜け、俺たちは夜空に舞い上がった。山裾の広がる方向に当時の嬉野小の目星を付けて飛翔するが、眼下はどこまでも暗い。闇の中に目を凝らし、農家の黒い影が少しずつ増えていくのを確認しながら飛んだ。
 藁葺き屋根の間に、ひときわ大きく細長い建造物を見つけた。木造二階建てで、運動場が付設されている。小早川学の時に見覚えのある「講堂」は、現在の体育館よりかなり規模が小さいことが分かった。

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