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Revenant Doll 第7話

第1部

7 蛇の道はHeavy

「おおよその趣旨は分かりました。ところで一つ確認なのですが」
 
 ソファーに足を組んでふんぞり返っているエドは、俺の説明を聞き終えると眉間に皺を寄せ、刺々しい視線を向けてきた。一応は急ごしらえの想定問答を用意して臨んだのだが、案の定初っ端から予想外の問いが浴びせられた。
 
「その生徒会長さんは、当家の事業をいつ、どのようにしてお知りになったのでしょう。若君様から話されたのですか?」
「いや、俺は話してません」
「ならばなぜご存じだったのです?」
「いつの間にか知ってたとしか……。理事会から伝わったんじゃないかと」
「では、生徒会長が交代する際には引き継ぎ事項となるのでしょうか?」
「それはないです! 俺が口止めしておきます」
「そうしていただきましょう。念のためこの件は理事会に対しても徹底していただくよう、若君様から現生徒会長にお取り計らいください」
「分かりました」
 
 エドはまだ腑に落ちない様子で、ローテーブルを挟んだソファの斜め向かい側に座っている親父──現当主の座光寺信弘のぶひろ──に視線を向ける。親父は無言で頷き、「OK」のサインを出した。
 
 結局その日は午後九時を過ぎての帰宅となった。放課後以降いろいろあり過ぎて疲労困憊していたし、生徒会長から説明された内容も細かい部分は頭に入っていなかったが、気が重いことは早めに片付けてしまいたかった。その方が安眠できそうに思えたからだ。
 夕食後、ちょうど勤め先から帰ってきた親父に「ちょっと相談したいことが」と声を掛け、水際佳恵が持ち込んできた事案の概略を説明したのだった。
 
「まあ、そちらは若君様が卒業されるまでの問題として、さほど気を揉む必要もございますまい。しかしいずれにしましても、当家への依頼は、しかるべき仲介者を通じて旦那様に伝えると決まっております。若君様に直接持ち込むなど論外と存じます」
 
 執事の言葉に親父が軽く頷き、俺に顔を向ける。
 
「基本的にはエドの言う通りだ。正式な依頼であれば私に話が来なければいけない。回答期限はあるのか?」
「いや、それは特にないけど」
 
 水際佳恵の説明を聞いた限りでは、旧校舎解体をめぐるトラブルは今のところ「濃密な偶然の連鎖」という域を出ていない。やはり、霊が関与したという証拠なり証言のあることが受け入れの条件ではないのか。その点を口にすると、意外にも親父は「それは特に関係ない」と否定した。
 
「関係ないかな。結構大事なポイントじゃないの?」
「そこはケースバイケースだ。私のところにはもっと訳の分からん話も持ち込まれるし、時には手遅れになる前に動く判断も必要になる」
「じゃあ今回の場合はどうなの」
「確かに今話を聞いた限りでは状況証拠しかないが、それ以前に手続き上の問題がある。これではうちとしては受けられない。ただしお前が生徒会長から個人的に頼まれただけなら、私が強いて止める理由はない」
「旦那様、それはいかがなものでしょう」
 
 エドが俺と親父の顔を交互に見て、語気を強めた。
 
「若君様は何よりも学業を優先すべき身でございます。これは学園理事会が彼らの都合で、学業と全く無関係な厄介ごとに生徒を巻き込もうとするような話ではないのですか。生徒会長の個人的な相談というのは隠れ蓑でございましょう」
「そうなんだけどさ。確かにその可能性は否定できないが、高校生の自由研究レベルなら止めるのもどうかと思うよ。要は匙加減の問題でね」
「それで済めばよいのですが。そもそも……」
 
 エドが何を言い淀んでいるか、俺はすぐに悟った。さすがにドライな吸血鬼も言葉を選んでくれるつもりらしい。ありがたいことだが、まあ親父だってとっくに知ってるだろうし、全然構わないんだけど。
 
「生徒会長さんが若君様との友情を濫用するおつもりではないかと、それが気になるのです。昨今の言葉で『ハニートラップ』と申せば身も蓋もありませんし、基本的に男女間の事柄はギブアンドテイクなのですから、信光様のお歳にもなれば、そうした機微を学ばれる大切さを否定はいたしません。しかし今回の件が果たして妥当でありますかどうか。正直申しまして、守り役として安閑としてはおれないのです」
「ギブアンドテイク……なんですか?」
「はい。この国でも『相手のあること』とよく申しますのは、常に先方の事情をわきまえよという戒めです」
「だから、こう考えればいい」
 
 親父が俺の方を向いて、口を挟んだ。
 
「お前が学校の友達から頼まれたことは、あくまで個人同士のことだ。学園当局も座光寺家も関係ない。その上で、引き受けられる範囲で力になってやればいいんじゃないか? 滅霊師の仕事として大ごとに考える必要はないだろう」
「しかし、先方の小学校も行政もそのように認識するとは限りません。『座光寺家が腰を上げた』などと勝手に勘違いする恐れもございますが。当家としての判断はどのようになさいます」
「それは私から、向こうの県教委のしかるべき部局に『受けられない』と伝えておく」
「ということは、座光寺家の見解を正式に伝える形にするのですな?」
「仕方ないだろう。釘を刺すべきタイミングではしっかり刺しておかないとな。まあ、どこが発信源なのか心当たりはある。『蛇の道は蛇』だ。こっちの学園理事会はどうする?」
 
 俺はあわてて「自分が生徒会長を通じて『NO』と回答する」と答えた。横からすかさずエドが「これで信光様が、学園側から不利益を被るようなことは絶対ないようにいたしませんと」と駄目押ししたのは取り越し苦労のようにも感じられたが、親父は「ならこうしよう」と応じた。
 
「信光から『父も今回の件は非常に不愉快だと言っていた』と生徒会長に伝えてくれ。向こうも身に覚えはあるだろう。これでしばらく様子を見よう」
 
 おおよその方針は決まったが、吸血鬼は固い表情を崩さない。
 
「私はどうも、聖往学園当局が最初からその……友情に、ただ乗りするつもりだったように思えてならないのですが」
「そうだな。……そこは申し訳ないが、今後も君がウォッチしてもらいたい。よろしく頼む」
「承知いたしました」
「信光、お前も深入りする必要は全くない。夏休みに入ってからでも構わないんだろ?」
 
 俺は「全然OK」と答えてから、少し考えて付け加えた。
 
「考えてみるとやっぱり変だ。どうして俺に話を振ったのか、もう一度確かめてみる」
「それはおよしになった方がよろしいです」
 
 エドは当主の顔も見ずに言った。親父も黙って頷いた。年配者たちの複雑な思考を必死でフォローする十七歳男子の身にもなってもらいたいものだ。
 
「なぜ?」
「生徒会長さんにしてみれば、禁じ手であることは百も承知だったはずです。そのようなことをいまさら確かめる必要はございません。その方もまだ高校生なのですから」
「でも俺の立場は?」
「立場などどうでもよいことです。現に若君様は大層元気でいらっしゃるではありませんか。今この時、生徒会長さんがどういう思いで過ごしているか、そのあたりをお考えになるべきでしょう」
 
 釈然としない思いは残った。捨て身とも思える行動に出た本当の理由を、あの水際が俺に明かすはずがない。とはいえ彼女の頑なさをスルーできてしまうのは俺の優しさなのか、間抜けさなのか、それともずるさなのか。こうして親父とエドを前にしていると、そのあたりが自分でもよく分からない。
 
「そりゃ私も生徒会長さんのやり方はけしからんと思いますが、威をもって女性に対するのは紳士の態度とは申せません。どのみち、これ以上追及したところで大した収穫はありますまい」
「まあ、無闇につつくこともなかろう。せっかくできた彼女カノジョでもあるしな」
 
 思わず「彼女じゃねえって!」と声を張り上げてしまい、親父とエドは呆気にとられた様子で俺の顔を見返した。
 
 そう。確かに「彼女」ではない。
 
 話し合いが終わった時には二十三時を回っていた。直ちにLINEなりメールなりを水際に送るべきか迷ったが、結局翌朝一番に電話で結果を伝えることにした。
 「おはよう。どうした?」──一時間目が開始間近の八時五分、着信音二回で電話に出た水際の声は明るかった。既に教室にいるらしく三年生男女の喧噪が漏れ伝わってくる。やはりLINEにすべきだったかと悔やんでも後の祭りだった。
 正門前に立ってスマートフォンを耳に当てる俺の横を、教室へと急ぐ女子生徒が走り抜けていく。現段階では座光寺家として受けることはできない。そう決まったと伝えると、生徒会長は「あ、そうなの。分かりました」とこれ以上ないくらい事務的な口調で答え、哀れな下僕をうろたえさせた。
 預かった資料は返却しようかと聞くと「持ってていいよ。紙飛行機にして飛ばしたりしないんなら」と訳の分からぬことを言い、教師の来着を告げて電話を切った。用件以外の話をする暇も与えられなかった俺は途方に暮れた。
 この後、まるで恋人同士のように「どうしてる? 元気?」などと連絡をしてもいいのか。梨のつぶてに耐える覚悟のほどは? 早くもお預けを食った犬の境遇に落とされて悶々とその日を過ごし、週末を迎えた。家でネットを眺めていた土曜の午後、慈悲深い女王様からお呼び出しのLINEが入った。
 明日(日曜日)の十七時に「聖往記念会館」の正門前へ来るように。できるだけ時間きっかりに、早過ぎても遅過ぎてもいけない。「了解」と返信すると、こちらが尋ねもしないのに「王侯の寝台」は既に搬入したと告げてきた。訳も分からず胸の中がざわついた。
 
 
 そして今、その寝台の上に俺たちはいる。

 皺の寄ったシーツの上に置かれたプロジェクターから、闇を貫く太い光線が壁に吊るされたスクリーンへと円錐状に伸び、数日前に俺たちが演じた行為の一部始終を再生している。音声は編集時に消したと水際は言っていた。赤外線撮影された画面上の俺は黙々と、かつ一心不乱に役柄に没入している。我ながらその表情が一種の敬虔さを漂わせて感じられるのは、理由のないことではないだろう。
 吸血鬼の持論の正しさを、まさに俺は目の当たりにしていた。この世界に真の闇など存在しない。完全な闇に身を潜めたつもりでも、俺たちの肉体に転移された太陽の光は、こうして暗所での振る舞いを容赦なく暴き出してしまう。しかしこれもまた、まぎれもない恩寵なのだ。それを讃えられるだけの境地から俺がどれほど遠く隔たっているとしても。
 動画のアングルからみて、少なくとも三つの方向から撮影されていたことになる。いかに無我夢中だったとはいえ、撮られていることにまったく気付かない間抜けさをいまさら呪っても詮無いのだが、綿密に計算されたカメラの角度といい編集の手際といい、出来栄えの見事さには脱帽せざるを得ない。さらには、より実用的な評価基準に当てはめても、「証拠物」として完璧だった。つまりそれだけ凶悪な代物というわけだ。
 
「合鍵、作ってもらっちゃったんだよねー」
「ああ……この部屋のこと?」
 
 モノトーンの俺が繰り返す単調な動きを満足そうに眺める水際が、黙って頷く。
 聖往記念会館最上階の会議室の、クローゼットの奥に防火扉を隔てて設けられた緊急避難室パニックルームは優に四十平方メートルほどの広さがあり、ローテーブルを囲むソファーセットに大型テレビモニター、さらにはバーカウンターやキッチンまで備えられている。そして一階エントランスホールの壁に貼られた案内図には記載されていない。
 平面図を見れば、非常階段に接して不自然に余分な空間があることは一目瞭然なのだが、それを指摘するほど野暮な不心得者はいないのだろう。俺たちがくつろいでいる寝台は、カーテンで仕切られたその一隅に置かれていた。
 
「この寝台にしても、『他にも使う人間がいるのを考えてできるだけ汚すな』って言われてるんだけどね」
「『できるだけ』ね」
「そう『できるだけ』」
 
 生徒会長が相好を崩すのを横目に見て、俺も薄く笑顔を作った。こうやって表情をコントロールするのも最近は苦にならなくなった気がする。
 
「バカだねえ。『汚すな』って言われたらますます汚したくなるタイプでしょあんた」
「正解。まあ、あの人たちにすりゃ言っておけばいいんだよ。アリバイ作りの脊髄反射ってやつでさ。抑止よりもまず保身なんだから」
 
 この寝台の上で優に三時間は過ごしていると思い、時刻が気になった。休日ゆえ人の出入りがないのか、雑音を完全シャットアウトするだけの壁の厚さがあるのか、先ほどから外の音は全く聞こえてこない。
 白と黒で繰り広げられるスクリーン上の行為も終わりに近づいていた。俺は若干のためらいを振り切って、思いついたことを口にした。
 
「この動画、コピーもらえる?」
「いいよ」
 
 女王様の返答は見事なまでに躊躇がなかった。少しでも逡巡の素振りを見せたら、彼女に対する俺の不信は一挙に膨れ上がったに違いない。しかし、そんな不調法は絶対にしないのが女王の女王たる所以であった。
 軽い身のこなしで寝台の足元からゼロハリバートンを引っ張り上げ、中からノートパソコンを取り出してシーツの上に開くと、俺の視線など頓着せずに複雑なパスワードを打ち込んで立ち上げる。USBメモリーを差し込んでコピーが始まるまでの動作は、水の流れのようにいっさいの無駄がなかった。
 PC画面のバックライトに浮かび上がる水際の横顔は、黒いカーテンさながらに切り揃えられた断髪に隠れ、表情が見えない。その「カーテン」の奥から低い声が闇に響く。
 
「何? 家族で鑑賞会でもすんの?」
「まさか。自分で見るだけ」
「見て楽しむのね?」
「そう、自分で見て楽しむ」
 
 俺の棒読み口調が壺に入ったのか、画面を見つめたまま水際は断髪を揺らして笑い、「自分で、見て、楽しむ」と繰り返した。
 
「最初の時から撮られてたか。それ気になってんだろう?」
「……よく分かったね」
「お前の考えそうなことはだいたい分かる。もちろん最初の時から撮ってるよ」
「やっぱりか……」
「でも回数重ねればそれだけお互いスキルアップするから、鑑賞に堪える作品になる。その方がいいだろ?」
「じゃあ、これからも続けるの?」
「嫌ならこれっきりにする。カメラがあると思うと気が散るだろうし」
 
 コピーが終わり、画面から顔を離した水際が「どうする?」と俺に向けた顔は、暗がりの中とはいえ、笑っていないことは容易に見分けられた。「じゃあやめて」と蚊の鳴くような声で俺は答えた。
 このUSBメモリーはお前へのプレゼントだ。会館を出る俺を見送り際、彼女は真顔でそう念を押した。鑑賞会とまではいかないが、エドに見せたらきっと面白がるだろう。俺は俺でそういう腹積もりがあった。
 
 何台のカメラに囲まれていようと、気が散るどころか一層奮起するようでなければ真の下僕とは言えまい。そういう心掛けに到達するまでの長い道のりは、まだ始まったばかりなのだ。

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