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駅 ーいくつかの自分ー

 気付くと自分はその風景に存在していた。
目の前に古びた田舎の駅舎があり、その駅舎は山の中腹にあるようだった。なぜなら見渡せる下方の森林の茂みにあるレールは、低い方へと続いており、駅舎の上方には、霧のような白いもやが、かかり、ぼんやりとレールが消えていくからだ。
 時刻は、深夜なのであろうか、夜空には三日月が出ており、ほんのり薄暗い。駅舎にふわふわとした感覚で歩いていって、屋根をくぐると切符売り場が無いのに改札はひと一人がやっと入れる改札があった。自動改札機などは無い所を見ると無人改札なのだろうか。
 改札の横にはベンチがあり、そこには一人の男がうつむき加減に座っていた。薄闇の中に見える男は、上下地味な灰色の作業着、頭には工場用のちょっと汗臭そうな感じの帽子を目深に被っていた。なぜか、私は躊躇することなくその男の横の改札を抜けプラットフォームに入ってしまった。
 コンクリートで作られているホームの狭い細長いのっぺらぼうの空間には、小さな業務員用と思われる一間ほどの小屋と、その先に電車待ちのためのベンチが置かれているだけだった。
 屋根の無いホームは三日月の光のせいか、駅舎内よりは明るく、ベンチで横になり寝転がっている男がいた。その男は、髪はぼうぼうと伸び、破れたシャツと切れかかったズボンを身に付けて顔を見せずに寝ている。離れていてもアルコール臭が匂い、男はいわゆる路上生活者のように思えた。
 静かな夜で、虫の声が線路下方の茂みから聞こえてくる。特に何するわけでなく突っ立っていると、小さく小さくキシキシと、木工家具のきしむような音が下方からしてきた。見ていると、最初は暗闇だったのが、やがて牛の目のようなライトが二つ遠くに見え、きしみ音がだんだんと近づいてくることがわかった。
 すでに常識の外にいる感覚なので、こんな時間に電車ダイヤがあることはそんなに不思議な感じがしないものの、次に何かが起きるのではないか?という動物本能である不安が自分の胸を抑えつけてきた。
 すると、横の小屋の引き戸が音もなく開き、駅員の制服を着た男がすぅっと出て来て、私の前に立った。咄嗟のことに男を凝視する。駅員らしき男の顔は青白く、目鼻立ちはどこかで見た事のある、そう、はっきりとは言えないのだが、どうも自分のようであるようだった。
 この風景の中にいる自分が誰であるかわからないにも関わらず、自分の前に立つ男が自分であることに違和感はなく、自分であるからこそ、この不安を問いかけずにはいられなかった。
 「私は誰で、なぜここに居て、これから何が起きるのか?その訳は?」
 青白い顔の駅員は鏡の前にいるかのごとく、私を凝視し、唇は動いていないのだが私の認知器官に語りかけて来た。
「私はいま、あなたと同じく存在していることだけが確かだ。
 それだけが確かであり、それ以外はすべて不確実だ。
 明日に比べ、昨日は確かであると思い込んでないか?
 明日が、予測できないという不安は昨日にも同じことが言える。過去であってさえ、あなたのいまから見て順番と、印象で秩序立てされたに過ぎない不確実なものではないか。
 誰かが、あるいは別の思考を持つ生物がその順番で見て、全く逆の印象で感じればあなたの思う過去も全く別のものになるかもしれない。
 つまり、自分に対する謎かけは、自分自身が不確定だから、未来の混沌と過去の不確実性の狭間にいる以上、謎かけている自分の存在だけが確かだ。」
 ぼんやりした頭の中では駅員の「私」の話は理解されないまま、やがて電車音は近づき電車の輪郭がはっきりして来た時、さらにもう一人の男が改札に飛び込んで来たのだった。
 男は高級そうなスーツを着ており、使い込んだ銀色のスーツケースを軽々と持って必要もなく改札でパスケースを提示して駅に颯爽と入ってくる。そしてその後ろからホーム外にいた労働者風の男もついて来た。これで、ホームにいる客は駅員を除くと3人になった。
 電車はホームに到着して停止した。運転席に人が見えなかったがさほど違和感は無い。電車は3両編成だ。
 酔っ払いの男もベンチから起き上がり3人それぞれ電車のドアの前に立つ。電車の内明かりから照らされた三人の顔は、青白い見覚えのある目鼻立ちの皆同じ顔、駅員同様、すべて私であると直観する。
 ききぃという乾いた音でドアが引き戸で開き一車両目に、先程駆け込んだ背広姿の自分、二車両目に作業服の自分、三両目にホームレスの自分が乗り込む。
 駅員の自分は片手で点呼するように指差し、三人が乗り込んだのを確かめたら自嘲するように唇を歪めた。ドアは閉まりやがて、電車はがたこん、という音と共に上方のもやの中に向かっていく。ゆっくりと進んでいき電車も白いもやに包まれ、影になり見えなくなる。
 やがてプラットフォームも蜃気楼のようにゆらゆらと実体が薄れて改札も、ベンチも、小屋も駅舎の屋根さえもうっすらと消えていきそして暗闇さえも消え、そしてそれを観察していた自分の存在も消え、まぶしい、白い光に包まれていくのだった。
 そして、ぎらぎら光る太陽が照りつける。そこはありきたりの1日の始まりの朝がある。いままで駅であったと思われる場所には、コンクリートとアスファルトで塗り固められた街並みが現れてくる。上方へと電車が消えていった先には巨大な高層ビル群が街を支配するようにそそりたっているのであった。
(終)


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