今更ながら「何歳の頃に戻りたいのか?」を改めてちゃんと聴いて見てみた
櫻坂46 8thシングルである「何歳の頃に戻りたいのか?」は2024年1発目のシングルであり、選抜メンバーには2期生・3期生を据えた上にキャッチコピーとして「新・櫻前線」とあるようにまさしく櫻坂46の新体制のスタートを感じさせるシングルです。
今年の6月に開催された東京ドームのライブではセットリストの1曲目としてパフォーマンスされています。
私個人、今年出たシングルで1番好きな曲です。
2024年も終わりが見えてきた今、改めてこの曲を聴いて、MVを見た感想をここに記しておこうと思います。
まずこの曲はテーマとして「今を生きる」ということが大枠として存在していると考えています。
歌詞の中では過去はそんなに美しかったか?そんな過去を懐かしむことに何の意味がある、未来を夢を見て今を生きろ、と訴えかけてきているような。
そうした時に「本当に過去は美化された思い出の産物なのか」ということに私は少し疑念を抱いていました。
何故なら過去だって大切なものだから、今を作っているのもこの先未来を作っていくのも過去の自分の積み重ねたものがあるからこそだから、そんなに過去を卑下しなくてもいいじゃないかと。
秋元さんが本当に伝えたい真意は一生答えは見えないし、答え合わせもないのでこちらで受け取ったものを咀嚼して推敲していくしかないのですが…そんな中でMVを見るとこの曲が持つ歌詞について一段解像度を上げることができると思います。
MVは天さんを中心に物語が進んでいきます。
ここで天さんを今を生きる人として仮定して、メイド服に身を包んだメンバーを過去、その他のドレッシーな衣装を身に付けているメンバーを未来とします。
MV中の細やかな所作や目線から過去は未来に対して少し弱さが垣間見えたり、2Aに入る前の対立構造からしても過去と未来が相容れない関係性であることが示唆されているように見えます。
それを踏まえた上でMVを見進めていきます。
1Aでは過去が給仕に徹しており、運ばれた飲み物をこぼしてしまうのを未来はまるで蔑むような軽蔑の目で見つめる。
一切笑みを見せずどこか死んだような目で虚空を見つめる未来が生きる世界が、どれだけ色彩豊かな衣装を身に纏い取り繕おうとしても殺伐とした中で生きているのではないか、と感じさせるようなそんな場面です。
1Bでは広場で酔狂な踊りをする過去をどこか冷めた目で見つめる未来。
抑圧され封じ込められた過去がもがき助けを求める、それに呼応したのが今を生きる天さんでした。
そしてその後の1サビで天さんが笑みを浮かべながら過去の前に立ち力強く鼓舞するような振り付けに変わります。
この時の天さんは頬にそばかすが見えており、天さんはまだ若かりし頃の今を生きている存在であることが見て取れます。
またビニール袋に纏められた枯葉をばら撒いて1サビに入るシーン、枯葉は過去のメタファーでありビニール袋に纏められた枯葉は確かに存在しているがどこかに整頓されてひとまとめにされた記憶や思い出、それらをばら撒き過去が踊るステージに彩りを加えるシーンに見えます。
ここの振り付けは地団駄を踏むようで怒りを感じさせる振り付けでもあると感じます、過ぎてしまえば閉じ込められて、歌詞の中ではそんなに楽しかったか?とまで言われ封じ込められてしまった過去の確かな怒りはそれでも未来に負けそうになります。
スマートに呼吸を乱さない整理整頓された未来が踊る振り付けは強さを感じつつも、振り付けの中でも口を塞ぐような部分があり、型に押し込められ言いたいことも言えなくなってしまった未来の密かな助けを求める声を感じさせる振り付けだと思います。
2Aでは天さんはメイド服に身を包み過去に扮しています。
自由に踊る天さんを過去すら冷めた目で見つめています、そんな中2Bで過去と未来を引き連れて天さんは自分のステージに2人を上げます。
最初こそ歪み合うような目でお互いを見つめる2人でしたが踊りに身を任せていくうちに笑顔が垣間見え、まるでお互いを許容し合うような場面になっています。
ここで歌詞を下記に引用します。
未来のあの冷ややかな態度は一種の防衛本能が働いた結果であることがここで示唆されます。
「ただの思い出」である過去を封じ込め、「先の見えない未来」にも希望が持てない未来の瞳には光が無く、ただただ今を消費し続ける生産性の無い生き方をしていたのかもしれません。
これは1Aにも歌詞として書かれています。
そんな過去と未来の紡ぎ出す空間にまた1人未来が触発され飛び出そうとしますが時間の奔流に飲み込まれてしまいます。
隔絶された未来と過去の間には絶え間ない時間の流れが存在し、その流れに埋もれてしまうも必死に手を差し出します。
それを先ほどまで過去に紛れていた今を生きる天さんが引っ張り上げ2サビに突入します。
この時の天さんからはそばかすが消えており、1番の頃から確かに大人になっていることを感じさせます。
2サビは過去の2曲から振り付けを引用し今と対峙する様を過去と未来が円で囲い熱狂するシーンになっています。
またここで過去の2曲の振り付けを未来が踊るというのが個人的にミソだと思っています。
もちろん、その曲のセンターであることを考えれば当たり前だとも思いますが、この楽曲で未来に扮していたメンバーが過去の振り付けを踊ることに意味があると考えています。
今と対峙する2人はもちろん、それを囲う過去も未来もみんな笑顔があり表情に生気を帯びているのがわかります。
ここでまた歌詞を引用します。
歌詞の中ではやはり過去の美しかった日々は幻想だ、実は普通だ、そうして人は過去を美化していくのだと揶揄しますがMVの中ではどうでしょうか。
過去と未来が同じ輪の中で笑顔で生きています。
これは私の邪推ですが、このシーンは歌詞に対するカウンターだと思います。
そんなことないぞ、過去は確かに美しく、それを踏まえて今も未来も輝かしいんだと。
勝手に押し込めるなと言っている気がします、このアンバランスさが私はとても好きです。
間奏では今を生きる天さんを過去の未来が持ち上げて奉るように練り歩きます。
光悦とした表情を浮かべる天さん。
でもその後の大サビ前では天さんの後ろ姿を映して物悲しげな雰囲気が流れます。
今の奮闘があり過去と未来が手を繋ぎあったこの瞬間が、まさしく「今この時」がいつしか過去となってしまう時がいつかは訪れてしまうのを天さんは知っているからです。
またここで歌詞を引用します。
ただ、今まで歌われていたような過去になるわけではないことも天さんは知っています。
いつか未来で苦しみ、光を閉ざしてしまうような日が訪れるかもしれない。
でもその時過去の輝かしい日々は自分を支えてくれるかもしれない、救ってくれるかもしれない。
ラスト大サビに行く前に歌詞を下記に引用します。
これは1サビと同じ歌詞なのですが、ここでは意味合いが違って聴こえてきます。
過去と今と未来、この曲を通して過去は決して美化された思い出などでは無く今を生きる、果ては未来を生きる自分を作り上げるものであり、決して過去の遺物として切り捨てるものではない。
ですが現状過去に戻ることはできない、生きていれば時間の流れからは逃れることはできません。
ただ黙っていても時は過ぎていきます。
未来は辛く厳しく思い描いたようなものではないかもしれない。
でもただ生きて時間を無駄にすることはしたくない。
美しかったあの日々は遠い過去の思い出、それでもそれを抱きしめて少し先の未来を夢見て今を生きるんだと。
一種の人間讃歌のようにも思えます。
MVに戻ると今を生きる天さんを中心に過去と未来が入り混じって今を踊ります。
大サビ突入前に天さんの横顔を太陽が照らすシーンが差し込まれていますが、この時の太陽は未来のメタファーだと考えています。
その後枯葉が風に吹かれて、太陽が照らす広場を舞いステージを彩ります。
過去と未来が渾然一体となったこのシーンはとてもこの楽曲の象徴的なシーンだと思います。
地団駄を踏みながら、たまに風に吹かれて姿勢が揺らいでも空に手を伸ばして今を生きるみんなの表情には力強さがあり、決して時間の奔流に流されずに今この時を生きる様が描かれています。
アウトロで天さんが長く伸びた髪を振り回すシーンがあります。
長く伸びた髪はまさに時間を表しています。
その髪をブンブン振り回すその様はまるで決して逆らうことができない時間の流れすらもこっちのものにして今を生きてやるという気概を感じます。
最後に天さんはちょっとおどけたような表情で笑みを浮かべて終わります。
そしてこのMVの最後に天さんは我々に問いかけます。
「何歳の頃に戻りたいのか」と。
この問いかけに対して今この時を必死に生きたい、と胸を張って答えることができるように日々過ごしたいと私は思います。
長々長文でしたがここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
勝手な願望ですが、私はこの曲を紅白で見たいです。
今年も出演が叶いますように。