たまにはバッドエンドで
空が白み始めたころに僕の1日は始まる。
布団から体を出そうとするけど冷えた朝の空気はそれを許そうとしないし、布団に残る温もりは人間を堕落させる兵器だと思う。
それでもまだ眠っていたいと瞼を閉じようとする体に鞭を打ち、支度をする。
朝の満員電車は非常にストレスだ、人と密接に関わりたいと思うこともあるがこんな形は望んでいない。
キツイ香水の香りに汗の匂いが混じって、子供の頃にCMで見た色のキツイ得体の知れないお菓子の味を思い出す。
ギリギリ吐き気を催さないこのジリジリとした時間が僕はどうにも好きになれない、きっとあと何十年もこれと付き合っていかなくてはいけないと思うと憂鬱になって思わず窓から飛び出してしまいたいと思うけど、そんな勇気を持ち合わせてもいない僕は職場の最寄駅に着くまで耐え忍ぶヘタレな精神だけはどうやらこの短い人生で培ってしまったらしい。
今日も1日が終わって帰路に着く。
明日もこの繰り返し。
小規模な輪廻転生を繰り返している、ループする感覚、抜け出したいのに抜け出す勇気のない自分に苛立つことすら忘れたけれど、昨夜のコロッケが美味しかったなんて些細な記憶を仏が地獄に垂らした細く頼りない糸として、必死に縋り付いて生きることはやめない。
考え事をしていたら小石に躓いてスラックスの膝が破けてしまった、あぁそれなりに高かったんだけどな、とふと落ち込む余裕があるうちはまだ生きているのだと思える。
家に着いても誰もいないから、暗がりにただいまということもやめた。
古いエアコンは奇怪な音をあげながら生暖かい風でつま先まで冷えた僕の体を少し温める。
これぐらいで良い、これぐらいが良い、そうして騙し騙し生きている。
ある人からすれば贅沢な生活、ある人からすれば見窄らしい人生。
それでも僕は足掻いてる、足掻くことすら忘れたならそれこそ僕は伽藍堂のハリボテになってしまうから。
テレビを点ける、ラジオを点ける、人の声、顔も知らない誰かの話、中身の無い娯楽には必ず誰かを貶めて笑いにする誰かがいる。
顔で笑って心で泣いてなんて、泣きたいなら泣けば良いじゃないか。
だんだんアホらしくなってきて重たくなった体は吸い込まれるように布団の中へ滑り込む。
そうして眠って朝になって、僕はつまらないルーティーンから抜け出そうとしない弱い人間だ。
それでも生きる、生きている。
たまには?
またとない幸運の上で僕は生きている。
細胞レベルから始まっている競争を勝ち抜いて僕は生きている。
たまには?
絶対に嫌だ。
ベストなエンディングなんて迎えられるか分からないが、バッドエンドなんて迎えてやるもんか。
そうして意気込む僕の心は布団の中で有耶無耶になって、夜の帳に消えていく。
それでもなお生きている。
明日もどうにか生きていく。
意味はありません、そして私の話でもありません。
明日も頑張ろう、では。
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