Come true

夢、将来の夢はなんですか?
その問いに対して目の前の原稿用紙は30分かかっても白紙のままだった。
そもそもまだこの世に生を受けて10何年ぐらいで大して何かに熱くなることもなく、ただただ生きてきた僕にとってこれはシンプルだが根が深い問題であって、45分の授業で書き足りるほど易しいものではなかったのだ。
結局1文字も書けないままチャイムが鳴って、来週までの課題になってしまった。

ぶっきらぼうに半分に折った原稿用紙をルーズリーフに入れると昇降口に向かう。
下駄箱でスニーカーを履いていると肩をトントンと叩かれ、振り返ると細い人差し指が頬を差した。
「なぁーに辛気臭い顔してんの?」
幼馴染でまさか高校まで一緒になるなんて、まさに腐れ縁である。
「今日の課題、何にも書けなかった。」
「あーね、私も何も書けなかったわ。」
「…将来の夢とか、よく分からないよなぁ。
 今生きてるだけで満足だよ俺は。」
「私は、あるけど書けなかった。
 勇気がなかった。」
「勇気?」
「うん、言霊ってあるでしょ?
 口にしたら後戻りできなくなっちゃうみたいで。」
いつもあっけらかんとしているのに、少しだけ陰ったように俯いて歩く彼女はらしくなくてムズムズした。

自分の夢が見つからないことよりも、あの顔が忘れられなくてその晩は眠れず、布団に入ったまま真っ暗な天井を見上げていたら急に電話がかかってきた。
誰からかはわかっていた。
「…まだ起きてる?」
「寝てたら電話出てないよ。」
「あのね、私の夢ね、バレエのダンサーになりたいの。」
小さな頃から近所のスクールに通っていて、最近はめっきりだけどコンテストも見に行ったこともあって、どれだけの想いで打ち込んでいるのかは僕も知っていた。
「いいじゃん、夢あるじゃん。」
「でもね、言葉にするのが怖くて。
 でもね、やっぱり叶えたい夢だから、口にしてみることにした。」
そこからは堰を切ったように将来の展望や野望を小一時間語って、すっきりしたような面持ちが声から想像できるぐらい声の色が変わっていた。
「…すっきりした?」
「…うん、まだ怖いけど、こうして話せたからまずは第一歩かな?」
「詳しい事はわかんないけどさ、きっと叶うって、俺は信じてるよ。」
「ほんま?」
リラックスすると両親の影響から体に染み付いた方言が出てくる、僕が知ってる彼女の癖だ。
「うん、嘘じゃない。
 俺と違って、ちゃんと夢があって、叶えられる力もあるんだから。
 大丈夫、きっとやれるよ。」
空っぽの心から振り絞るように、彼女に届けられる精一杯の言葉を紡ぐ。
「ありがと、私もう少し真っ正面から向き合ってみる。」
そうして電話は切れた。

夢なんて、叶うか叶わないかはきっとほんの些細な何かで決まるもんだと思う。
今ならそう思う。
そのほんの些細になるのは、出来事であったり、言葉であったり、人それぞれで。
僕の言葉がもし、その些細な何かになるなら、きっとそれは彼女のためにできる精一杯だと思った夜だった。
僕?僕は結局まっさらな原稿用紙をなんとかでまかせで埋めて提出した。
そのあとは特に、何か大きなこともなく、普通に働いて、普通に生活をしている。
僕は夢もなかったから、叶わなかった悔しさも、叶った嬉しさも経験しなかった。

で、今僕は初めての海外旅行へ向かう飛行機の中だ。
僕の夢はなかったし、だから叶うことも叶わないこともなかった。
でも、あの日あの時届けと念じたそれは、どうやら実を結んだらしい。
もう最後に会ったのは何年前だろう。
唐突にチケットと短い手紙が送られてきて、僕は彼女が夢への第一歩を踏み出したことを知った。
僕はそれを見届けるために、初めてパスポートを作って慣れない国際線に乗って遥々遠い場所へと向かっている。
言葉にできない胸のざわめきが滑走路を走る飛行機の音にかき消されて、気付けば夜空に溶け込んでいった。
真っ暗闇に散らばった星々に僕は密やかに胸を高鳴らせていた。

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