汐風の匂い

朝8時、ベッドから伝わる強い衝撃をアラームの代わりにして目覚めると彼女が少し不機嫌そうな顔をしてそこにいた。
「なぁなぁ、いつまで寝てるん?」
あれ、何か忘れているような…あぁ、そうだ海に朝日を見に行こうなんて話をしてたんだっけか。
「もう日、昇ってしまったで?」
部活の疲れからか昨日は帰ってきてから死んだように眠っていて、すっかり忘れていたんだ。
ごめんという代わりに頭を撫でると、眉間に寄せた皺が少し緩んだ。
実は彼女もつい1時間前まですやすや眠っていたというので、朝イチの僕の失態は両成敗となった。

日の出が見れないなら日の入りを見ようとなり、夕方まで時間があったから、お昼ご飯を食べに行ってそのまま少し買い物に出掛けた。
夏休みということもありショッピングモールには制服姿の同年代であろう人たちがたくさんいた。
「うちら、側から見たら付き合ってるみたいやんな」
確かにそうかもしれないな、なんて考えたら少し気恥ずかしくなって無口になってしまった。
顔を覗き込んでくるからお返しに髪の毛をくしゃくしゃにしてやった、顔をくしゃっとさせて怒ったふりをしてきたからもっとくしゃくしゃにしたら人目も憚らずに大声で笑うから僕はまた無口に拍車がかかってしまった。

最盛期を過ぎた海岸には僕ら2人しかいなかった。
肌を焼くような強い日差しは影を潜めてメラメラと赤く大きく輝く夕日は静かにゆっくりと水平線に沈んでいく。
キラキラと煌めく水面は宝石を散りばめたみたいに綺麗で思わずため息が漏れた。
「キレイやね…」
そういうあなたの横顔も…なんてキザなセリフを言えるほど僕は背伸びができなかったから、ただ相槌を打った。
見惚れていると急に彼女が海に向かって走り出した。
思わず追いかけると振り向きざまに彼女は水をかけてきた。
一方的にやられるわけにはいかないので僕もすかさずやり返したが、彼女の方が水量が多くて防戦一方、大逆転の起死回生の一手は自分ごと水に押し倒すことだった。
ツンと鼻をつく海水の匂いに混ざってほのかに柔軟剤の匂いが僕まで届いて、流石にやり過ぎたなという少々の懺悔の気持ちも相まって何も言えないでいると笑って彼女は僕の頬をついた。
ここでもまた、他愛のない勝負は引き分けとなった。

「制服びちょびちょ、夏休みで助かったなぁ」
無限に出てくるんじゃないかと思うぐらい海水を含んだスカートを絞ると濡れた髪のまま僕に向かって振り向いた。
ほとんど沈んだ夕日が彼女を照らす、見慣れたはずのその表情は恋するほどに綺麗で、思わず口にしてしまった言葉に僕はびっくりしてしまった。
面を食らったように彼女も一瞬固まったけど、よく聞こえないとニコニコして聞いてくるから、既に恥じらいも無くなった僕は、それでも顔を見て言えないから海に向かって叫んだ。
彼女は返事の代わりに静かに手を繋いできた。
長く長く続いた夏休みももうすぐ終わる。
汐風の匂いが僕らに新しい季節の訪れを知らせるように、海は静かに揺れていた。

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