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私を守りながらやっていく
三連休はなんとか平和に終わった。
いろんな気持ちがふわふわとあちこちに飛び交い、落ち着かない。
弱ってくると自責の声が聞こえてくる。
それをそのまま眺めてぼんやりやり過ごす。
仕方ないよ。
しょうがない。
自分に無理をさせたり、我慢させたりしないように気をつける。
嫌なことを自責でやり続けないように。
嫌なことはやらない。
気になっていた塩田千春さんの作品を見に行けた。
実際に見て圧倒された。
想像するよりも何百倍も良かった。
糸を使ったものが圧倒的な存在感で目が離せなかった。
現代美術ってよくわからないと思っていたけど、今回は行って良かった。
不在の存在。
肉体は無くなったら魂はどこに行くのだろう?
幼い頃から死がいつもあった。
幼い頃から親が私に言い続けたから。
あなたが私たちを看取るのよ!
あなたがこの家を継ぐのよ!
恐ろしかった。
先にいなくなれればどんなに良いかと思ってた。
十にも満たない子どもがそんな気持ちを抱いて毎日生きてるなんて親はまるでわからなかった。
いつも焦燥感や無力感ばかりに囚われて眠れなかった。
そんな私のことなど親はまるでわからなかった。
今もわからないだろう。
私もわからなかった。
やっとこの頃になって自身の育ちがどんなに可哀想だったかを自覚できるようになった。
とてもできないと思っていた思考をなんとか変えられてきたから。
それでもすぐに弱ると戻りそうになる。
私が悪い。
私のせい。
私がやらなかったから。
私ができなかったから。
なんでも自分のせいにして責める思考。
それは長年晒されてきた周りの大人たちのせいだとやっと認められるようになってきた。
そしてそれらを離れて眺められるようになった。
私のことだけ見る。
それ以外のことはその人たちに任せる。
私は家族や親族、周りの人たちの顔色や機嫌を見続けて生きてきた。
それしか生き残る術がなかったから。
そんなのは幻想だった。
それでもやはり恐ろしいし不安しかない時もある。
そんなことして大丈夫なの?
そんなに自分のことだけしてて大丈夫なの?
ほらほら、恐ろしいことが起こるはず。
ほらほら、大変なことが起こるはず。
そうやって自分で自分を恐怖に陥れてパニックになっていく。
なんて可哀想で惨めなんだろう。
そんなことを考えるしかできないなんて。
そんな風に見ている私をやっと見つけられた。
その時は大変だけど、時間が経てば少しずつ離れて眺めて段々と落ち着いていける。
そんな私を守りながらなんとかやり過ごす術を少しずつ身につけていく。
私以外の人間のことは全てその人の問題。
私のこと以外は何も責任はないのだと。
もう子どものことも、夫のことも、親のことも、私のせいだなんて思わない。
もう十分時間は過ぎた。
子どもは自分の人生を。
親も自分の人生を。
それぞれやっていけば良い。
私は私のことを見ていく。
私ができることを。
私が穏やかに過ごせるように。
私が平和でいられるように。
その事だけ気にしながらやっていく。
その事に罪悪感など持たないように。
それは難しいことだけど
じゃあまた戻りたいの?
と聞いたらそれは無理だと言える。
迷い子のような気持ちでいる時もあるし どうにかなると思える時もある。
まるで先は見えないけど、それでも少しずつ少しずつ私の過ごす時間は穏やかになってきた。
まだまだ 何もわからないけれど
ただ 変えられないと思っていた私の思考はかなり変わってきた。
夫との関係も変わってきた。
人はそれぞれ違う。
違うのだから話さなければわからない。
私も諦めたり、我慢したりせず
自分の気持ちは吐き出そうと努力する。
それは認められたことのなかったものだからなかなかに難しいけど
なんでもやっていけば慣れていけるだろう。
幾つになっても練習ばかり。
私が穏やかで平和に過ごせる練習。
また今日も一日やっていく。