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いきなりやってくる息子

金曜日ののんびりとした夕方ラインがくる。
息子が大阪に来てるらしい。
今晩泊めて欲しいらしい。

19時に会合が終わるのでそれから合流して泊まりたいと。

それならとうちで夕食を用意して食べることにする。

たまには店じゃなくうちのご飯も良いだろうと。

はっきりしたらまた連絡するということで19:30を目安に用意する。

でも待ってても会合が長引きそうと連絡が来て先に食べることに。

なんだか怪しいなと思ってたらとうとう終電も終わりタクシーでたどり着くことに。

深夜にやってきた息子は風呂に。

しかし湯船に浸かり動かない。

3時間右往左往していろいろやってみてもまるで動かず湯船で寝る。

これでは流石に危ないと結局湯船のお湯を抜いてしまうことにする。

深夜の3時にもう諦めて先に寝ることにする。


酔っ払いを湯船に浸けることは2度としないと思った。

かなり疲れていたのだろうし、呑んでもいたのだろうが、久しぶりすぎて顔色からはまるでそんな風に見えなくて大失敗。


夫はさっさと寝てしまうし、1人でアタフタして疲れる。

しばらくしたら流石に起きて布団で寝たようでやれやれ。

翌朝には夫はいつものルーティンでゴルフの練習に行く。

私は疲れたので朝寝。

息子は同じくらいの時間に起き出してきた。

睡眠時間がかなり少ないらしくそこにアルコールが入りどうにもできず、反省していたが、大人の男をどうにかできないので私には本当に困る。

しかし、久しぶりに思い出した。

子どもと一緒に暮らしていた頃のこと。

夫は単身赴任で2人の子供と私で暮らしてた頃。
社会人でシフト時間がバラバラな娘と
大学で専攻のために深夜実験に明け暮れる息子と暮らしていた頃。

食事も、寝る時間も、風呂に入ることも何もかもがバラバラで訳のわからない生活だった日々。

もうあんな生活したくはない。

今はなんて平和なんだろう。

久しぶりに息子を見て思い出した。

誰が悪いとか良いとかそんなことではない。
みんなそれぞれ大変なことを抱えているだけなんだろう。

夫には夫の都合が。
私には私の都合が。
子どもたちにはそれぞれの都合が。

みんなある。

それだけ。

週末ゆっくりしていくのかと思ったらさっさと帰っていく息子を見送りながら、
なるようになっていくだろうと思う。


息子がどう思っているのか、
夫がどう思っているのか、
そんなことは私にはわからない。

今この時をどう過ごすかは考えるけど、過去のことも未来のことも私にはどうすることもできない。

息子がどんな風にやっていくのかは彼が決めれば良い。
夫がどんな風にやっていくのかは彼が決めれば良い。
私がどんな風にやっていくかは私が決めれば良い。

それが交わるのか、離れるのかはわからない。

どうなってもそれは仕方のないことなのだから。

子どもたちには信頼できる人がいて欲しいと願う。
私にはいなかった信頼に値する人がいてくれたらと願う。

でも、それはどうなるかはわからない。

そして私ができることでもない。

自分1人でさえもうまく出来ないのだから。

つい自分を責めそうになる私を手放す。
そんなことは無駄。
そんなことして誰が助かる?
私は手放すことにしたのだから。
私のせいなんて思わない。

子どもは子どもでやっていけば良い。
助けてと言われたらできることはもちろんやろう。
言われなければしない。
もう立派な大人なんだから。
夫も夫でやっていけば良い。
私にはもう人のことなどに使えるほどのエネルギーなど持っていない。

私1人をなんとかやり過ごすことで必死なのだから。

もう少し経てばまた違うこともあるかもしれない。

でも今は無理だと思う。

子どもたちはもうすぐ誕生日。

だからといって何もできないけど、とにかく自分を大事にやっていって欲しいとだけは願う。

自分がそうでありたいと思うように。

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