アッどうも、冷やし中華はじめました。
introduction
昔オレが夕焼けだった頃(わかんねぇだろぉな、、、)、冷やし中華はそれほど高くなかった(ラーメンが100円くらいの時)。今や冷やし中華ソバは1000円超え時代になっちょるばい。
すでに四半世紀以前ラーメンブームが起きて、かつて中高生が学校帰りに (ビールじゃない) 一杯いただけた品が、物価上昇もあるにはせよ、むしろその多様化によって、いつのまに庶民価格を超えちまった。リーマンショックも関係なかった、おそれ入谷の鬼子母神。
野望を抱くこだわりすぎの独立店や、さらに成功店の新規チェーン展開で、クセの強い珍な味とプチ贅沢へと進化?する方向にマスメディアも便乗。その後フォロワー店の競争世界になる。チープな価格は全国チェーン店が受け継いだが、その味は?嘆麺! (ほぼ出汁の香味なしのだいなし)
1950〜60年代の邦画の現代物では、登場人物が上等でない小店で(この頃は町中華として再発見されてるようですが)支那そばをすするシーンがありがち(成瀬巳喜男や小津安二郎監督の映画でよく観ましたやな)。郷愁をススられる、あの市井のラーメンは今いずこ?
と言う我っちは中華店の子として育ったわさ。子どもにとって (あくまで個人の見解です) 幼い頃口にしたものが舌に慣れたら、美味と感じるようにナルトやない?(いや、かつてスープに浮かんでいた、具の定番、桃色渦巻をとんと見かけませんがの)、、、
小学校入学の初めの時間。今時じゃ考えられへんが、一人ひとり起立して、家族構成や親の職業を発表するんやが、「中華そば屋」の一言で皆に笑われた。美味いと思っていたものに、何か別物をガツンと食らわされて恥ずしかった麺メモリー。子どもちゅうもんのイノセントな残酷さよ。
本日初回のトピックで推察されると思われますが、我っちも相当の年齢になりやんした。「或る日突然」は同時代の甘酸っぱい歌やったが、己れが急に「無」に帰すかもし知れん。日記をつける習性のない我っちでしたが、老者必衰の日常の中で “心を打つ” ものを書き置く気持ちになったのは、10年超えのガラケーをスマホに変えてから。理系弱者がITストレスを浴びながら、やっとこさのブログ開設にたどり着きました。
我っちをお見知りおきの方、未知の皆様、隅から隅までよろしゅうおたの申し上げまする。おおかたが老者の気迷い妄言でありますので、そこんところは、まァお許しあれ。
P.S.
シニア世代になって好きになったのが珈琲。
ドリップしたあとの泡の one shot
日常の一景でござります。
(旧ラインブログより加筆訂正)
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