Perfect Days って 何?
歌詞和訳/Dos Gardenias
いいわけ、、、(いらんかもしれんけど)
note にも多くの記事が寄せられ、なるほど人それぞれの見方があるものと感心していたら、もう上映終了! の頃、すべりこみで観ましたやな。それからほぼひと月は、note に上がる該当記事には目を通さずに、自分なりの思いを書くつもでおったところ、本作が米アカデミー賞にノミネートされていて、10日に国際長編映画賞が選ばれるとのこと。
何も米アカが映画の最高レベルではないにせよ、結果発表後では何ともはやなんで、所用で東京から戻ってからは、時間に追われるウサギになってます。
PERFECT DAYS
(監督/ヴィム・ヴェンダース/2023)
主人公は朝食を食べない。清掃業にはエネルギーがいるだろうに、毎朝缶コーヒーを飲むだけなのだ。それもアパートの横の自販機で買う。なぜ箱買いしとかんのかな? 台所には冷蔵庫があるようだけど、、、主人公の日常生活が流れだすと、そんな細部が気になってしまう。
早朝目覚めてから仕事に向かうルーティン。布団をたたみ、作業着を着て、玄関口の棚に順序よく並べられた品を、決め事のように身につけ外に出る。帰ればそれを同じ位置に戻すなど、繰り返される几帳面な生活動作パターン。
仕事道具を積んだ軽自動車のハンドルを前にしてコーヒーを飲む。さあ、出発だ。何かうれしそうでもある。
映画はいい感じで始まった。
ところで、(ドアの鍵はかけないで大丈夫なんか?)
洗顔、歯磨きはするけれど、食事は作らないようだ。型は旧そうだが、給湯器に汚れなし。
外観は古いアパートだが、二階があるのに驚く。今どきはメゾネットというのかしらん。しかも二部屋ある。寝起きの部屋と、水やりの欠かせない、木の若芽ポットを並べた部屋 (趣味のための空間を確保できるって、収入はそれなりにあるんだろうな。スカイツリー近くの墨田区内、この広さだと結構な賃料になるだろう)
居室では自分が撮った木漏れ日の写真をチェックし、寝る前に文庫本を読む。文庫は行きつけの古本屋で選ぶのだが、いちいちウンチクをたらす女店主 (犬山某)がいる。 読後感を言える相手がいない淋しさがあるんだろうな (我っちならこの店には通わないが)。彼は人にやさしい男なんだ。ともあれ生活はシンプルで、家事は掃除以外はしない人 (洗濯はコインランドリーへ)。
仕事はトイレの清掃人。ただしこの映画に出てくるヤツは、駅便やそこらにある公衆物とは違う、デザインにこった金満便所だ。
主人公は下町から都心へ通い、エリート臭いトイレを丁寧に磨くことに集中する。(始めは素手!で取りかかるのには驚くが)
この設定は映画のスポンサーの意向もろだしである (しかも製作はグローバルな服商売人のCEO柳井某の重役息子なんだな)。監督を受けたヴェンダースは、孤独で無口な人間が静かに送る日常に、小さな喜びと心の奥底を描こうとしているだろうから、お洒落トイレに気を取られてはつまらない。
まだ日の残る時間に帰宅し、さっそく銭湯へ。主人公は一番湯につかり至福の笑顔だが、我っちはまだ、使われていない給湯器や冷蔵庫が気になる。おそらく前住者が置いていった物と想像しておこう。
主人公は何年かメシを提供されて生きてきたから、あれこれ食いたいという欲もないのだ、多分。自分の身のまわりの物品へのこだわりも消えている。
家具といえばせんべい布団があれば事足りるし、目覚めると素早く畳んで部屋の隅に押しやる。家内はさっぱりしたものだ。この生活描写から獄舎の生活が身に染みついた人のようにも思われる。すると、元から無口なたちのか?、私語を制限された環境で、寡黙に作業を繰り返す日々を送ったせいなのか?
押入れ一杯に積まれた、月年が記されたブリキ缶には、仕事に出かける度に撮る木漏れ日の写真が納められている。出獄までの日を数えるカレンダーのようだし、同じ仕様で揃えた保存箱は、彼の前職が何かの研究者らしい妄想まで誘う。
毎朝、外で落ち葉を掃く音で目覚める。季節はもう秋のようだ。部屋の窓にはカーテンはなく、寝る時も窓が半分ほど開けてある。寒さに強いというより、外と遮断されるのが嫌なんだろう。出発の時、うっすらと笑みが浮かぶからには。
首都高に乗って、担当地区へ向かう。カセットテープをかける (今どきカセット仕様があるんかな)。アニマルズ (1960年代のUKバンド) がヒットさせた朝日のあたる家(邦題) というトラディショナルソングが流れる。これ以降も70年代前後の曲が印象的な場面で挿入される。選曲は監督の趣味の範囲からなんだろう。
現場に着くと、あとから年下の同僚 (柄本弟) がスクーターでやってくる。仕事は請負い契約だろう。なので車は主人公の所有 (できるくらいの収入はあるんやなとまた思う)。
喋らない主人公に向かって同僚は無駄口を利きまくる。こいつも淋しい奴なんだとは感じるけれど。
昼になると近くの神社の境内に行き、ベンチでコンビニのサンドイッチ手にする。仕事の割に軽い食事だと、また思う。その間に木漏れ日を観察し、小型のフィルムカメラで撮る。
いつも隣のベンチに一人で昼食している事務員ふうな女子がいる(長井短)。職場にとけこめないタイプなんだろう。目で軽く挨拶すると、少しおどおどするが、ゾッとしたわけじゃなさそうだ。翌日も同じ場所に座るからには。
そんな日々のなかで、同僚とちょいとした絡みがあって、その風俗系ジョブ(?)の彼女 (アオイヤマダ) を車で送ったりする。何やかしらん哀しみを抱える様子が切なく伝わる。
銭湯を上がると、自転車で橋を渡り、浅草の地下街に行く日課だ。
活気のある店ではあるが、無口な常連の彼が腰かければ、いつものやつが出てくる。賑やかに飲んでいる人たちを静かに見るのが好きなようだ。雨の日でもカッパ姿で自転車をこいでくるには。
川向うの方が安価な飲食店が多いはずだが、嫌なのかな、地元の人と顔なじみになるのが。しかし、休みの日には近所のスナックへ行く。よくわからないが休日はスペシャル デイ、気になるママ (石川さゆり) を前に飲みたいのだ。
この場の配役は少々お遊び的にみえる。客は (モロ師岡、あがた森魚)という、いかにもの顔ぶれ。森魚の素人ぽい (わざとか?) ギターで、ママが浅川マキ版の朝日のあたる家 (朝日樓) を聞かせるんだが、つまらないシーン。ここで石川さゆりに歌わせるのは、何だかな〜。
外目からは謎めいてはいるが、彼にとっては普通の感覚で自然に行動している。役所広司はそんな感じを良く出している。(さすが!? カンヌの男優賞)
後半、家出した姪っ子 (中野有紗) がアパートを尋ねてくる。銭湯へ行ったり、浅草へ行ったり、二人で自転車に乗って出かける。(姪の白い自転車はどうしたんだろう? 買ったのか? 近所付き合いが無いのに借りられるのも不自然だ。スナックのママからと思うしかなさそうだ)。
軽自動車で担当地区に連れて行ったり、いつもの神社で昼食をしたりする。若い血縁者と数日の交流は、彼にとっていつもとは別の幸せな時間。
小津安二郎作品にあるような、近しい人とのかかわり方の現代版を見るようだ。小津監督をリスペクトするヴェンダースはぜひ撮りたいシチュエーションだったろう。姪の名前はニコ 。この役名はヴェルヴェット・アンダーグラウンドのアルバムで歌ったニコからと分かる。(映画には V.U.とルー・リードの楽曲が挿入されていて、リードのソロ曲が 、
Perfect Day)
お互いに親しく心を通わせた数日後、夜、運転手付きの高級車がアパートに乗り付ける。娘を連れ戻しに来た妹 (麻生祐未)。かなりの財産家のようだ。兄に代わって家を継いだんだろうな。過去、この一家にとっての大事があったことをうかがわせる。好物の手土産を渡され、ぎこちなく妹をハグする。和解なのか永遠の別れなのか、“言葉はいらない” 日本的心性は細かく揺らぐ木漏れ日と似て。
Prodigal Son
(The Rolling Stones with Ry Cooder)
(from “Beggars Banquet”)
*original by R.Wilkins (1930年代)
(youtube)
姪っ子が帰った後、清掃業務に戻ったとたん、金髪女子にふられた同僚が突然仕事を辞めてしまう。そのシフトがすぐに補充されないため、夜遅くまで二人分をこなすことになる。さすがにキツイので会社へ何度か文句を言うと、ようやく赤い軽自動車で助っ人がやってきた。
「はじめまして佐藤です、どこからやりますか?」(うろ覚え)。その一行の台詞にリアルな存在感を出した安藤玉恵の、たった一度の見事なシーンが心に残る。この後の進展がないのはもったいない。
休日に、まだ開店前の時間だが、スナックの扉が少し開いていて、覗くとママが男と抱擁している。慌てて立ち去り、川の岸辺で落ち着こうと煙草を吸っていると、男 (三浦友和) が近寄ってくる。何という間の流れですなん。ここは平山 (役所広司) がよく川を見にくる場所で、おそらくママもそれを知っていたんだろうな。墨田区側は人通リは少なく静かだ。一緒に散歩したのかもしれない。
それにしても都合よく登場した男 (三浦友和) はママの元夫で、すでに死の宣告を受けていると明かす。
死が近い人との呟くような会話が、やがて影踏みのシーンへ動いていく。男の気持を和めようとするのか、平山はいつもよりかなり饒舌になる。
夜と影を死の表象とするなら、昼の木漏れ日は生のそれと思えないか。昼に揺らぐ木の葉は濃淡をつくり、重なり合う人影はさらに暗い。夜ごと平山の眠りのなかでちらつく木漏れ日の影は、日常に潜む生と死を暗示しているだろ。
朝はまた来る。仕事に向かう平山の微笑には、うっすらと涙がにじんでいるようだ。ニーナ・シモンの Feeling Good がとても心に響くラストシーンだ。
いやはや、Begining と Ending は素晴らしいけれど、魂は細部にやどっていなければ。そんな映画が現実の深部にリアリティ(真実)を感じさせる作品になるだろうやが。
1989年日本公開のドキュメンタリー作品、東京画 (1985) と同じように、ヴェンダースは日本趣味と小津趣味 (平山も小津作品で笠智衆が演じる役名) につまずいた気がする。情もすぎれば仇となる。それをフィクションの世界に映すとしても、もっと 「さり気なく」が日本的というものだろう。
主人公を演じた役所広司は決してわるくなかったけれど、我っちの中での印象的な残像は、1999年の Shall we ダンス?(周防正行監督) と 翌年公開の EUREKA (青山真治監督/カンヌ国際映画批評家賞) やな。バスの運転手の沢井が20数年の時を経て清掃員・平山の姿になったのかなと思われた。
added Wim Wenders
この監督の映画をすべて観ているわけではないので、あくまで心に強く残っている作品を挙げておきます。
ハリウッドではほぼ脇役出演のクセ強すぎ俳優、ハリー・ディーン・スタントンとナスターシャ・キンスキー の絶妙な配役。孤独な心の襞にミステリーをさぐり、家族の結びつきを切なく描いていました。
パリ, テキサスで音楽を担当したライ・クーダーがキューバ音楽とミュージシャンを再発見して発表したアルバム、
BUENA VISTA SOCIAL CLUB (1997) をドキュメンタリーとして、再映像化した作品。一党独裁の政権下で自由な音楽活動を制限されてきたミュージシャンの才能に再び光りがあたりました。
Dos Gardenias
(vo./Ibrahim Ferrer with gt./Ry Cooder)
(youtube)
*恐れ入りますが、原詞はネットで閲覧くださいませ (_ _)
Dos Gardenias
クチナシの花をふたつ君に
想いをこめて伝えたい
君が好きだ、愛してる、僕の命さ
クチナシをよく見ていてほしい
ふたりの心に育つのだから
クチナシの花をふたつ君に
あの一度の熱いキスにすべてを込めた
君にささげたキスのなかでも
もう君が出会うことのないほどの
ほかの男の情熱にはあり得ないほどの
君のそばで生き、語り合うだろう
僕が一緒にいるときのように
クチナシが云いたいことを信じるまでは
愛してるからさ
けれど、もしある夕暮れ
僕の愛のクチナシが枯れてしまうなら
気づいてしまったんだ 花が
君の愛が僕を裏切ったことを
ほかの男がいるってことだから
気づいてしまったんだ 花が
君の愛が僕を裏切ったことを
ほかの男がいるってことだから
(訳詞/杜村 晩)
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