ビジネスチャンスとしての「子供がかわいそう」
参考にさせていただきました。
商売とは、ともかく物を売らねば話にならない。
そのためには、消費者の弱みにつけ込む事が重要だ。中でも子どもは攻撃対象として、狙いやすい獲物になるのだ。
例えば、スーパーマーケットで、レジ前で子供の目線の高さを狙って、大量に駄菓子やらおもちゃを並べる。
貨幣経済の何たるかを知らない幼児に、目の前に物が余るほど並んでいるのに、それを手に取ってはならない理由が分かる筈も無く、ただ理不尽さ(と子供が認識する状況)に泣き叫ぶ事になろう。
どうすれば、年端もいかない幼児にできるだけ多くの苦痛を与えられるかを研究するのは、デキるビジネスマンにとってすばらしい行動なのだ。
ビジネスのやり方として、親を狙うのも有効だ。
ほとんどの人はわざわざ無駄な物を買ったりしない。
ミニマリスト等出来るだけ消費しようとしない人もいる。それも子無し家庭なら、誰が何を買おうとも、赤の他人のビジネスマンが口出しする事は出来ないのだ。
しかし、殆どの人は子供が不都合を感じるとなるとお金を使わざるを得ない。
最近では、習い事や家族旅行に行けないと、"相対的貧困"と言われてその子どもは"かわいそう"らしい。
別に勉強だったら親が教えても良いし、旅行に行かなくても出来ることは沢山有るだろうが、そのような親は子どもに対して何らかの義務を果していないのではないか、子供を貧困に追いやっている、虐待しているのではないか、と罪悪感に苛まれたり、親戚や近所の人からの冷たい視線に晒されるのだ。
有能なビジネスマンなら、この"子供がかわいそう"という感情を利用して多くの物を売る事が出来る。
たとえば
●こんな狭い住宅では子供が可哀想です。
●こんな小さなクルマだと子供が可哀想だ。
●最新のPC,ゲーム機を持たせてあげないと子供が恥ずかしい思いをします。
●皆が持っているブランドの服、バッグを持たせてあげないと学校で浮きますよ
●スポーツスクールに通わせないと友達が出来ませんよ。
●みんな塾に行ってます、あなたの子どもは置いて行かれますよ。
などの宣伝文句はとても有効だ。
恐らく世間の声(ビジネスの都合で作られたもの)に耐えきれなくなった親達は身の丈に合わない消費をして、その為に生活の余裕を無くし、ストレスを抱えながら日夜馬車馬のように働くだろう。
もちろんそんな家庭に産まれた子供こそ不幸だが、"物が売れること"こそがビジネスマンにとって重要なのであって、消費者の家庭が崩壊しようと、子供が不幸になろうと、そんな事はごく些細な事なのだ。
さあ、優秀なビジネスマンよ。
親の罪悪感を煽り、浪費させよう。
子供に必要な必需品を際限なく増やしていこう。
それでも浪費しない家族が居たなら"虐待"のレッテルを貼ろう。
子供連れの家庭は狙いやすいカモなのだ。