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大抵の登山者には山岳保険は必要無い

そろそろ更新時期を迎える山岳保険の扱いに苦慮している。
これまでは、jroに加入していたのだが、買収されて親会社が変わった後、知らない間にそっと約款が修正されていたらしく、保険としては使い物にならなくなってしまった。
こっそり約款を修正するなど、まともな企業のやることとは思えない。jroは先日送り付け商法をするなど、もはやまともな経営をする気が無いのだろう。

(買収されてしばらく後、jroの会員に、新しい親会社のサービス端末がいきなり送られて来た。返送しないと自動的に契約の意思有りとされて、その分もサービス使用料をを払わなくてはならない。買収されてから、こんな商売のやり方を平気でする会社になってしまったのだ。)

こうなってしまったら諦めて、どこか別の保険会社を探さなくてはならないが、面倒臭い事この上ない。
それに山岳保険は、普通の人に必要なのだろうか?

保険と言うものは基本的に「不利な賭け」だ。平均すると加入者が損するように出来ている。
なぜそんな勿体無い事をするかと言うと、自分では到底払えない程の大きなリスクに備える為だ。
自動車保険なら、誤って人を殺してしまうと数億円掛かるかもしれない。こんな額を払える人はそう居ないだろう、だからこそ、損覚悟で高いお金を出して、対人対物無制限の自動車保険に入る必要が有る。
では山岳遭難のリスクはどの程度だろうか?
ほとんどの山岳保険では、200万~500万程度が限度額になっている。それも遭難すれば満額使う訳では無く、生きて帰れる場合ほとんどは公的な救助のためタダ、掛かっても数十万といった所だ。
山で死んでしまって死体探しをする場合は、それなりに掛かるが、300万も掛けて見つからなければ社会通念上打ち切っても恥ずかしく無いだろう。
そこで、300万円という金額は普通の人にとって「到底払えない大きいリスク」だろうか?
私は300万円貯金がある人は登山保険など要らないと思っている。
大抵の人は急病で入院した時や、失業した時、老後の心配に備えて幾らか貯蓄をしているものだ。ネット検索からのデータだから怪しい所も有るかも知れないが、現在大体2/3の世帯では300万円以上の貯蓄が有るらしい。この人々には山岳保険はお金の無駄だろう。
それに現在の登山者は比較的裕福な人が多いと感じる。
私はワークマンとユニクロでどこにでも(冬山除く)行く貧乏登山者だが、専用の服だの高価なストックだのを揃えたおしゃれ登山者が増える現状に、年々肩身の狭い思いをしている。高価な車で登山口に来て、簡単なルートであってもあれだけ無駄に高価な装備を持って歩いている人たちが、300万円も貯金が無いなんて事があるだろうか?
中高年登山者が多い事も考えれば、実際の登山者で300万円以上持っている人の割合はもっと多いだろう。
それ以外でも、家土地や車を売れば300万に届く人、何かあった時に確実に金銭的に頼れる親族がいる場合も、人によっては保険不要だろう。どうせ遭難死すれば、家も車も使う事は無いし、老後の為にお金を残す必要も無い。死体探しの為に全額使い切って構わない。もし、親族に寄生するのが気が引けるのなら、保険の掛け金程度の金額の何かを毎年贈るのはどうだろうか。どちらも山岳保険に加入するよりも得をできる。
結局保険が必要なのは、まだそこまで貯金の無い若年層登山者だけだろう。

では、なぜかなりの数の登山者に不必要なのに、山岳保険は今なお、勧められ続けるのだろう?
今回の文章を書くのに山岳保険を推奨している多くのサイト(ほとんどが保険代理店と山岳ガイド)を見たので一部を引用させていただく。

登山をするなら遭難や事故が起こった場合の救助費用に備え、山岳保険に加入するのは必須と言えます。

https://goodcoming.jp/media/3793/

「山岳保険への加入は登山者のマナー」とされるほど、登山者やハイカーにとって山岳保険の必要性は高いといえます。

https://www.navinavi-hoken.com/articles/mountain-insurance

僕も近場の低山である宝満山に何度も登っていますけど、どれだけ慣れていても転びそうな時は必ずあります。絶対遭難しない山は一つもありません。装備の一つとして、保険がもっと当たり前になったらいいなと思います」
高い山に登る場合や、安全登山の意識が高い人はすでに保険に入っていることが多い。本当に必要な人に、保険の必要性を伝えるにはどうしたらいいのだろう。

https://yamap.com/magazine/28263

読んでいただければ分かると思うが、登山業界では、山岳保険は商取引ではなく、マナーの問題とされているのだ。
自分が無計画登山をやるようなレベルの低い登山者では無く、安全意識の高い自立した登山者である事を示すためのシンボルとして保険は必要とされている訳だ。
ここに必要性や経済合理性は考慮されない。言わば「マナーのある人、きちんとした人は、みんな保険に入っていますよ。あなたはどうですか?」と言われているのだ。
ちょうど昔、新入社員がこれから自立した大人である事を示す儀式として、そろって必要なのかも分からない生命保険に入ったのと状況は似ていると言えよう。

こんな事を書いている私ではあるが、恐らくどこかの保険には入る事になるだろうと思う。
私が保険を必要としているのは、いざという時に保険金が必要だからではなく、心配して騒ぎ立てる老親を安心させなくてはならないからだ。
我が親は、ここに書いた「保険は商取引ではなく、マナーの問題」と本気で思っている人間で、私が何を言っても聞く耳を持たない。そもそも私が「保険は基本的には不利な賭けである」と言うと「でも○○さんは自動車保険で○○円も貰ったよ。得をする事も多いよね」と反撃して来るような人なのだ。
この趣味を許してもらっている弱みも有るし、無駄金だと分かっていても仕方の無いコストとして受け入れるしか無いのだろう。
無駄を無駄と分かっていながらしなくてはならないこの辛さよ、保険選びに気が進まないのもこのせいだろう。どこかに家族を納得させる為だけの、安くて限度額0円の山岳保険とかは無いだろうか。(あ、それがjroか。でもあそこにはお金を落としたくないんだよなぁ)


キャプション画像はホワイトアウトの安達太良山です。