九十九物語 【襲った怪異の正体】#9
「違うよ」
「え? あぁ、ツクモガミが私を襲った―――」
「さっきも言ったけれど、あのツクモガミはキミの深層心理を写し出しただけで、そこに悪意も善意もない。鏡の国自体も君の作った世界だ」
「え? じゃ、じゃあ、誰が私を襲った言うの? 」
「誰もキミを襲ってなどいないよ」
「は?? 何言っているの? 」
「襲っているのはキミ自身だよ」
「え…? 」
「キミは、落合彩葉という存在に恐れおののいた。その証拠に彼女の存在を否定するかのような態度をそこかしこで見られた。隣にいても直視せず、必死に排除しようとした。それは無意識的に彼女の存在が許せなかったんだ。だから、夢の世界しかり、鏡の世界でも親の敵のように殺意に溢れていた証拠。というよりかは思い出したくないという気持ちが反映されたのが正しいのだろうけれどね。だから、キミはどこからともなく拳銃をとりだして彼女の存在を消すんだ。彼女の存在を否定するんだ」
「……」
「なんせ、キミのあの傷だらけになった体からもなんとなくだけれど読み取れてしまうよ」
「鏡の世界で、彩葉に近づくたびに足から、痣が広がり、全身になったやつ? 」
「脛に傷を持つ―――自分の身に後ろ暗いことがある。そして、満身創痍―――、精神的に傷つき、痛めつけられる。彩葉さんのことを知ろうとして近づくたびにキミの体は無意識的に反応していた。それが―――」
「———キミの心傷風景なんだろうね」
「じゃ…、最期に襲ってきたあの怪物はツクモガミでもなく、ジャバーウォックでもなく、私自身? 」
「キミの思い出したくない。目をそらし続けたい。現実を見たくないというそんな弱い怪異が反映されてしまったのだろう」
「そんな…。彩葉が私を襲っていたのじゃなくて、私が彩葉を殺し続けていたの?」
神楽は何も言わなかった。
「それに、彼女はただ、キミに思い出してほしかっただけなんじゃないのかな」
「え…」
「天涯孤独だった彩葉さんだからこそ、キミに思い出してほしかったんだ。人ってね、二度死んでしまうんだ。これ、意味分かるかな? 」
神楽は私に話をふったが、私はわかるわけもなく首を振るのだった。
「肉体から魂が離れた時に死ぬ。これが亡くなった。そして、故人のことを覚えている人が亡くなり、記憶からなくなったときにもう一度死ぬ。そのときにその人がいたこと自体が完全に無くなったことになるんだ」
「―――!」
「だからこそ、キミにだけは忘れたくない。忘れられたくないからこそキミが夢の中に現れてはどうにか思い出させようと奮闘したのだけれども、キミは彩葉さんの存在を覚えていない。それどころか彩葉さんはキミにとって忘れたい存在。だから、無意識的に恐怖の対象として認識して消していた」
「……」
私は、毎晩、彼女が夢の中から出て来たことを思いだしていた。
彼女は、私に思い出してほしかった。けれども私はそんなことを露知らず、何度も、何度も否定し、拒んだ。
私は彼女を何度も殺していたのだった。
そして、鏡の世界でも私は、彼女の存在を無視して、恐怖の対象と認識していたため、私自身は彼女を排除しようと凶暴化して、消そうとしていた。そして、教卓に向かいあった際、「殺せ! 」「早く、殺せ! 」という乱暴な声がクラス中に響いていた。誰かの声に似ていたと思っていたが、それは、紛れもなく私自身だったのだ。
いまなら、わかる。私が彼女にめがけて銃を撃ちはなった際に涙を一滴ながしたのは、「また、思い出してくれなかった」という無念さを表しているのを。
「私は…、いろはを……、いろはを殺しつづけていた…。恨まれているよ」
「けれど…、彩葉さんも思い出してくれたことを喜んでいるにちがいないよ」
「なんでそういえるの…、最低だよ。私は…、私は…、こんなひどいことを何度もしているのに……」
「それでも、キミは、鏡の中で大葛藤を取り除いて、彩葉さんを助け出したじゃないか。それに、葛籠の中に何が入っていたか? 」
「イロハモミジ…だけれど」
神楽は、葛籠の中の一枚を手にした。
「イロハモミジには花言葉が存在するんだ。花じゃないのにね」
「花言葉? 」
「美しい変化、大切な思い出」
彼がそう呟くと、葛篭の中のモミジは閃光を放ち、そして、葛籠からもみじが噴出し、雨のように降り出した。モミジが次々と写真へと変わっていくのが分かった。そこには彩葉と私との楽しかった思い出が次々と溢れてくるのだ
私は、いろはとの思い出が走馬灯のように流れていた。そのたびに、私の名前を何度も嬉しそうに「花ちゃん!」と言う声が忘れられなかった。
一つの写真が私の頭に当たった。
「花ちゃん!この間、花ちゃんにぴったりな小説があったの 」
「へ~、どんな?」
「教えない、でも見たらきっと喜ぶ本だと思うよ」
「じゃ、塾が終ったら、教えてね」
「うん、またあとで
「じゃ、またあとでね」
おそらくだが、その本というのがこの鏡の国のアリスだったのだろう。
そう言って互いに手を振り合ったのだ。
それが、最期だった。
私は、涙を流していた。
忘れていた罪悪感。思い出してしまった悲劇。溜め込んでいた自分の感情が今になってこみ上げてきた。
「ごめん…、いろは…、ごめんなさい」
私は、降り積もる紅葉の中で慟哭した。
忘れない。
もう二度と忘れない。
それを踏まえて、私は、また彼女の思いを別の形で背負っていくことを私は誓った。
しばらくすると、イロハモミジは跡形も無くなくなり、あれだけ眩い世界だったのにも関わらず、暗闇へとまたかえるのであった。
「落花枝に帰らず、破鏡再び照らさず、か―――」
彼は、そう小さく呟いているのが聞こえてきた。
第九話目