ベストセラー
東洲斎レイ。
エンタメ、ミステリー、純文学と幅広い分野での本を執筆し、瞬く間にその名を世間に轟かせた小説家がいた。彼が出す小説はことごとく重版になり、この書店不況の中でも嬉しい悲鳴が出るくらいの作家だった。
ただ一つ、変わった点を言えば、彼は、一切の公の場から出ることはなかった。例え文学賞を受賞したときでさえもそのスタンスは崩さず、文壇の表舞台から姿を現すことはなかった。いわゆる覆面作家だった。噂によると、出版社の中でさえも限られた人しか東洲斎レイの素顔をしらないと言う。
そんなある日、とあるフリーの記者がこの噂を耳にして金になりそうなネタだと思い、東洲斎レイがどういった素性をしているのかなどの調査に乗り出した。
取材調査は案の定難航した。
彼が本を出版している出版社を片っ端から赴いた。A社、B社、C社とどの出版社も東洲斎レイの本を出している会社だが、門前払いをされるばかりだった。というより、その話題すらも忌避しようとすら感じる態度で、どこの出版社の編集長からも取材を断られてしまった。ひどいところだと、怒りというより憎しみに満ちた表情をし「その名を口にするな!」と記者に襲い掛かろうとする人までいた始末だった。
「一体、何なんだ? 」
記者は困惑していた。
本が売れて嬉しいはずなのに、なぜか出版社の人々は複雑そうな顔や、嫌な表情、はたまた、憎しみに満ちた表情をするのだろうと思っていた。
「これにはなにか裏があるに違いない」
記者は、長年、仕事で培ってきた勘が騒いでいた。
「次は…D社だ」
そして、昔、働いていた出版社に向かっていた。この出版社なら、顔見知りの編集長がいるため、もしかすれば話が聞けるのではないかと期待していた。
「お~、久しぶりだな。元気そうでなによりだ。少し、瘦せたように見えるが…」
「えぇ、まぁ…何とか、フリーで生きています」
「…で、話っていうのは何かな? 」
「東洲斎レイについてです」
「……」
その名前を出した瞬間、彼もまた、同じく黙りこんでしまった。
「何者なんですか? 」
「…すまないが、それはプライバシー保護のため私の口からは言えない。取材にも応じれない」
「そこをなんとか、お願いします」
「……」
その時だった、彼から携帯の着信音が聞こえてきた。
「鳴っていますが…」
「…あぁ、すまん」
彼は、そう断り、スマートフォンに耳をかざした。
「もしもし、なんだね…。はぁ? おい、それは、本当か!? 」
編集長は大声をだしながらはげた頭をしきりにさすり、なにやら神妙な面持ちのまま電話にでていた。二、三分、誰かと会話して彼は電話を切った。
「レイが―――死んだ…? 」
編集長から小さい声だったが確かにそうポツリと呟くのが聞こえた。
「どうしましたか? 」
編集長は、口を抑えるような素振りを出した。
「あぁ…いや…。うちの犬が死んでしまってだな。がんを患っていたものだから…、ちょっとすまんが、ここを空けさせてもらう。担当者と急用の打ち合わせをしなければならないのでね」
編集長はそういうと、どこかへと行ってしまった。
そんな大物作家が急死したとなるなら、ニュースくらいになるだろう。ましてや、今を一世風靡している覆面作家だ。そう思い、記者はスマートフォンでネット検索をしだした。だが、今日のニュースを見ても、そんな東洲斎レイが死んだなんていう記事はどこにもなかった。SNSも同様だ。東洲斎レイと打ち込んでも彼の熱烈なファン達が本を賛美するコメントばかりが流れてくるだけで、そんな訃報はどこにも見当たらない。
「一体どうゆうことなんだ…? 」
だとしても、あの驚きようといい、レイと口にしたあとの「しまった」というような仕草、引っかかることばかりだった。
ネットのニューストピックスは、相変わらず、物騒な事件ばかりだ。通り魔に刃物のようなもので襲われる事件、凶悪犯の死刑執行、警察官の汚職―――エトセトラ、エトセトラ。この国の闇がひしめいている縮図のようなトピックスの数々だ。
「ん―――? 」
記者は、ある記事をみて、東洲斎レイが何者であるのか気づいた。
忙しそうな顔をした編集長が戻ってきた。
「編集長」
「何だね…、今は忙しいんだ…、もう帰ってくれたまえ」
「東洲斎レイの話ですが…」
「悪いが、その話なら―――」
「藤原夜月―――元死刑囚、ですね? 」
「……」
記者がその名前を出した瞬間、編集長は時が止まったように静止した。
「罪状は殺人、殺人未遂、公務執行妨害、犯罪史において初めて外患誘致罪が適用された死刑囚。だから、どの出版社の編集長も口にだせなかった。いや、言えるはずがない。今を時めく大物作家、東洲斎レイが国家転覆を企てた殺人鬼かつ拘置所にいる死刑囚だなんてね」
「いつ知った」
「厳密には今ですが…、先程の慌てた態度、表舞台に一切でない覆面作家、凶悪犯の死刑執行、このピースをかけ合わせたとき、一つの仮説が思いついたので」
「……」
「さっき慌てて出ていったのも、彼が執筆していた本でもあったからでしょ。だから、彼の担当者と急遽打ち合わせをした」
「…そこまで見破られていたとは、さすが元敏腕記者といったところか…。そのとうり。彼には、新作を依頼していた」
「凶悪犯に本を書かかせて、しかも名前を伏せて売る。そんなことをすれば、世間や遺族から反発や顰蹙を買うのは必至。どうりで表舞台にもでてこない訳だ。」
「私だけでない。他の出版社だってやっていることだ。この不況下の中、綺麗ごとだけでは飯は食えない。売れる作家がいるなら、そこに依頼する。まぁ、中には売れているためとはいえそれを快く思わないやつもいたけれどな」
記者は殴りかかってきた編集長を思い出していた。
「このことは記事にさせてもらいます」
「構わないが、これを読んでくれたまえ」
編集長がそう言って渡したのは段ボール一杯になっている東洲斎レイのファンレターだった。どれも次回作を待っていますという期待している人たちの声の数々だった。その中には、生きる希望を与えて下さりありがとうという感謝の言葉もあった。
「キミの記事を公開するのは私は止めないが、キミの正義感溢れる行動で幸せになる人が多いのか、はたまた、真実に触れないほうが幸せになる人が多いのか、どちらが多くの幸せな人をつくれるのだろうな」
「……」
「わたしだったら、後者をえらぶがな。それに―――、キミにはその正義を実行することができるのか?」
「記事をかくため帰らせていただきます…」
記者は、その場から逃げるようにして帰った。
記者が記事を書き終えて数日たち、この記事をどこに売ろうかと迷っていた。あれからいまだに東洲斎レイが死亡したというニュースがでないことに訝しんでいた時、衝撃的なニュースが舞い込んできた。なんと、未完であるはずの東洲斎レイの本が出版社Dから新刊として発売されているという情報だった。
「どうゆうことだ…」
記者はまたD社へと向かった。
「キミか、記事は出来たのかね」
「あぁ、これからその記事を他社に売るつもりです」
「そうか、それはなにより…」
「それより、東洲斎レイの新刊が世に出回っているのは一体どうゆうことなんです? 」
「世間は、彼がこの世からいなくなったという事実を知らない。これからも覆面作家として続けてもらおうということで各社合意したんだ」
「各社共々? 」
「私の同業社達だよ。言っておくが他社にその記事を持ち込もうと考えても無駄だぞ。捨てられるか、黙殺されるのどちらかだ」
「まさか、東洲斎レイがいないことをいいことにゴーストライターに本を執筆させたというのか? 」
「ゴーストライターか…、キミは面白いことを言うな。確かに彼が死んだからあながち間違いでもないのかもな。だが、書いているのは至って本人だ」
「何を馬鹿なことを…、彼はもう死んでいるのに書けるわけ―――」
記者はある存在を思い出した。
「人工知能を使った…? 」
「キミは、本当に頭が切れる男だ。そう、彼が手掛けた作品集をインプットさせたAIに任せて書かせた。だから、書いたのは本人だ」
「そうまでして…、東洲斎レイの本を売りたいのか?」
「わたしはね、この本によって人々が幸せになれるのならそんな些末なことは構わないんだ。特にこの本を待ちに待っている読者たちに送れるのであればね」
「編集長、彼は極悪非道の殺人鬼だぞ! 」
「君こそ何を言っているんだ! 彼の罪はもはや存在しない。彼は刑を真っ当に服役した。彼は今や凶悪殺人鬼でもなく、人間でもない。そう、東洲斎レイだ」
「こんなのは間違っている」
編集長は記者に近づきこう囁いた。
「キミがこの出版社で働いていた頃、キミは元会長の汚職に気づき、正義感に駆られ、告発をした。さぁ、キミの行動に対して世間はどのような仕打ちをした? 」
「……」
「その正義の行動に対して賛同しなかった。そして、その英雄は冷遇された。そして、今もフリーの記者で大変苦労しているそうじゃないか。もし、仮に、今、あの時代に戻れたとしてキミは同じように正義の行動をできるのか? 」
「……」
記者は何もいわず俯いた。
「フフッ、うちで採用しよう。そうだな…、担当は東洲斎レイだ。もちろん、報酬も上乗せしよう」
「買収するつもりですか? 」
「違う違う、お礼だよ。この編集長の椅子に座れることができるのもキミの勇気ある行動のおかげで手にできたのだからな」
編集長は記者を諭すように肩に手を置いた。
「それと、キミの書いた記事も私が買い取ろう」
記者はズボンのポケットにあるメモリーを強く握りしめて俯いているばかりだった。