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大好きな箱根駅伝‥。夢を叶えた選手の言動を思い出した。
紹介する選手たちは既に引退しておられる方々ですが、統一して〇〇選手と呼ばせて下さい。
箱根駅伝は中学のときから観ていてかれこれ20年以上ファン。かつては「憧れのお兄さんたち」だったが今では監督のほうが年が近くなってきた。
実際に見に行ったこともあるが、選手たちは速すぎて一瞬で通り過ぎていってしまうため、テレビで観戦することがほとんどだ。
箱根駅伝やマラソンを観る時に「今日は大迫選手はゲストや解説で出るかな」とつい思ってしまう。
大迫選手は3000m、5000mの日本記録保持者、2020年東京オリンピックで男子マラソン6位入賞を果たしているので知っている方も多いだろう。
2011年、第87回箱根駅伝で早稲田大学は総合優勝をしている。
出雲と全日本大学駅伝も制したので学生駅伝3冠を成し遂げた。
この時、大迫選手は1年生だった。
箱根駅伝に優勝した次の日の朝の番組で優勝メンバーが出演していた。
早稲田大学は久々の優勝ということで皆テンションが高く盛り上がっていたのだが、大迫選手だけは始終冷静だった。
渡辺監督(現在は住友電工陸上競技部の監督)も確か選手と一緒に頑張るためダイエットを成功させていたので、本当にチーム一丸となって戦って成し得たのだろう。
そんな中で冷静な大迫選手を見て、当時は「1人スカしちゃって‥」と思っていたが、その後の大迫選手の活躍を見て「箱根は1つの通過点」と思っていたのだろう、と今ならわかる。
大迫選手が4年生のとき、「箱根駅伝 絆の物語」という番組で、仲の良い駒澤の同学年の選手と焼き肉屋で話をしている場面があった。
「東京オリンピックのとき、うちら29歳でしょ。ギリギリだな〜」
「なんで?何がギリギリなの?」
「年齢的に‥」
「前例がないってだけで。やってみなければわからないじゃない。」
(当時の動画を探してもなかったので、私の記憶から掘り起こしたものです。だいたいこんな感じの会話だったと思います。)
大迫選手も決して調子の良い時ばかりではなかっただろう。
高校時代に長期故障をして身体には細心の注意を払うようになったと聞いたことがある。
大学4年生のときに箱根の直前に米国に渡った時は非難の声も上がったという。
しかし、夢のために邁進し続けてきた。
弱音を吐きたい時もあったのでは、と思うが強い気持ちでマイナスにことを言わないようにしてきたのではないかと勝手に思っている。
実際に‥大迫選手が東京オリンピックに出場したとき。夢を叶える人の常日頃の言動が大事、ということがこれほど腑に落ちたことはなかった。
(厳密に言えば焼き肉屋での会話の時は大迫選手はトラック競技での出場を目指していたが。)
大迫選手に憧れて陸上を始めた人も多いのではないだろうか。
しかし‥華々しい活躍をした人だけが見ている人に希望を与えるわけではない。
2007年第83回箱根駅伝。東海大学の佐藤悠基選手が1区で区間新を打ち立てたとき。
「空前絶後の区間新」と箱根のCMの合間に流れるこのシーンを覚えている人も多いのではないだろうか。
スタートから飛び出し誰もついていかない。むしろついていこうとしないようにも見えた程だった。
それくらい異次元の走りだった。
その中で唯一ついていこうとしたのが、東洋大学の大西智也選手だった。
結果は佐藤選手に4分1秒差をつけられての2位。
この大西選手の勇姿を見て「東洋大学に入りたい」と思ったのが「2代目 山の神」と言われた柏原竜二選手である。
この「2代目 山の神」と言う呼称は不本意であるがわかりやすいようにこう記している。柏原選手は平地も強かった。第40回全日本大学駅伝ではルーキーなのに2区で区間賞を獲得している。早稲田の竹澤選手や駒澤の宇賀地選手を抑えてである。
関東インカレの10000mでも日本人トップの成績をおさめている。
しつこいようだが駅伝ファン歴20年の私。
柏原選手ほど愛されて人の記憶に残る選手はみたことがない。
大平台ヘアピンカーブを駆け上がるときの力強い走りは今でも鮮明に覚えている。
大西選手がいなかったら、柏原選手も東洋大で走っていなかったのかもしれない。
かなり長くなってきたがもう1人だけ選手を紹介させて下さい。
井上大仁選手。
井上選手は山梨学院大学の選手で現在は三菱重工マラソン部に所属している。
井上選手が4年生の箱根駅伝のとき‥私は上手くいけば山梨は往路優勝を狙えるのでは?と思っていた。それくらいの布陣だった。
2区に留学生のエノック・オムワンバ、3区に井上選手、1区も力のある選手だった。
しかしエノックはアキレス腱を痛め欠場。
1区もまさかの出遅れ。3区の井上選手に襷が渡った時は結構差をつけられての最下位であった。
箱根駅伝のレベルと一緒にするな、と怒られそうだが、私も県駅伝でぶっちぎり最下位で襷をもらったことがある。後ろはもちろんいない、前も全く見えてこず物凄く孤独だった。
こんなに「長い」と感じたレースは初めてだった。
(箱根駅伝を応援する観客にはいないと信じたいが、ぶっちぎり最下位だと声援でなく野次が飛んでくることがある。「ビリって可哀想」とか「もうやめたら」とか)
どこの監督か忘れたが「最下位で走っていると力のあるものでもどうしても遅いペースになってしまうのに井上はすごい。」と言っていた。
井上選手が走り終えた後、上田監督は車の中から「井上、ありがとう!ありがとう!」と声をかけていた。
後日、陸上競技マガジンの記事を読むと上田監督は「いつもは走り終わった選手にはお疲れ様、と声を掛けるのに、自然にありがとう、と言っていました」と話している。
その時は上武大学の監督だった花田監督も「うちにも井上みたいな選手がいたら‥」と言われていた。
これも人の記憶に残り魂を震わせた物語ではないだろうか。(因みに井上選手はエノックに英語を教えてもらっていた、と聞いたことがある。井上選手も世界を見据えて行動してきたのではないだろうか。)
「成果主義」の時代で頑張っても結果出せなきゃ意味ないじゃん、と最近よく聞く。
しかし、もしめちゃくちゃ頑張って戦いに敗れてしまったとしても、その姿を見ていた人が偉業を達成するかもしれない。
そう思ったら少し希望が湧いてこないだろうか。
最後に箱根駅伝を題材にした小説を紹介して終わりにしたい。
読書の好きな人にとって「自分の好きな作家が自分の好きなテーマを描いてくれた」ということは人生の喜びの中でも結構上位に来ると思う。
それでも最初は「三浦しをんに箱根駅伝の世界が描けるの?」と思っていた。
何故ならエッセイなどで三浦しをんが運動とは無縁のオタクと知っていたから。
しかし読んでみて‥取材量が半端ではない。大学陸上部の練習方法、予選会等の箱根駅伝出場までの道のり、箱根駅伝の各コースの特徴、レース中の駆け引き、選手が何を考えているか等‥
このレース構成が非常に緻密なのである。各人の生い立ちや仲間に対する思いの丈が書き込まれている。各人のエピソードの造形‥各区間の特性の捉え方が上手すぎる。(ちなみに5区を走る神童と言われている青年が留学生から神童ってどういう意味?と聞かれ、「田舎では勉強も運動もよく出来る子のことを神童と言うんだ。東京に出てきたら‥神童でも何でもないんだけどね。」という台詞があり、そこがちょっと切ない。)
増田明美さんがこの小説を「美しかった」と評していたのがよくわかる。
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