チョコレートをもらうみたいに褒められた ~「ほめるBar」にいった話~
ほめない、ほめ、ほめる、ほめるとき、ほめれば、ほめろ、、、
10月初旬に「ほめるBar」というイベントに行ってきました。
このイベントに行ってみたら、移住して4年、ずっと抱えてきた苦しさの正体に辿り着くことができました。
もしかして「ほめ」ってすごいんじゃないか?
この投稿では「ほめるBar」というイベントの体験を通して得られた気づきと変化を綴ります。
「ほめるBar」とは?
4年前に移住してから、ずっとモヤモヤを抱えて過ごしている自分。(「はじめまして」を参照)
何かこう、突破口となるような気付きとか、それに繋がる何かに出会いたいと常々何かを探していました。
「ほめるBar」を知ったのは
「ほめるBar」を知ったきっかけは“生き方編集者”という素敵な肩書をもつ山中散歩さんのnoteです。
その山中さんのことを知ったのはLOCAL LETTERの「インタビューライター講座」。私はこの講座の5期生で、山中さんは講師でした。
講座を受けるにあたり、山中さんがどんな方なのか、どんな文章を書かれるのかを知りたくて、noteを拝見したんです。
そうしたら出てきたんです「ほめるBar」という謎な、でもとてつもなく惹かれる催しの記事が。
直感で「このイベントを自分の村でやりたい!」と思いました。
まだ体験もしていないのに。でも「これだ!!!」と思ったんです。
地域おこし協力隊が50人以上いるこの村で、頑張っている人たちが元気に過ごせるようにな面白いこと、それがこれだと直感で感じました。
そのためにまずは参加してみたい!そして、、、自分をちょっとでも好きになりたい!
しかしながら、検索して過去の開催履歴を追ってみると、開催は主に東京か大阪。そして開催方法も東京と大阪で異なる。さらにだいたい平日開催。
うーーーーん、なかなか難しい。
長期戦で夢を見よう。。。
と、思っていたところ、自分が今住んでいる岡山県で開催するという情報が舞い込みました。これって奇跡なんじゃないか。
今回の岡山は大阪バージョンでの開催で、「ほめる人」の中から、”話してみたいな”と思う人を1名選び、希望の予約時間(1回20分)とあわせてご予約をする、という仕様。
事務局の方に「遠方から行くので、せっかくだからいろいろな方をお話をしてみたいのですが、複数回予約をすることは可能ですか?」と問い合わせると、「今回のイベントは回数制限はないのでどうぞ」と言ってくださいました。ありがたく3枠予約完了。
色とりどりのほめシャワー
10月になったというのに真夏日という暑い日、2時間車を走らせてイオンモール倉敷に到着。久しぶりに大きい建物を見上げ、非日常感が増しました。
トコトコあるいて会場へ。
会場にて受付を済ませると、テーブルに案内されました。
1対1でお話ができるようにテーブルセッティングがされています。セションは1回20分。料金は1000円。どんなことをお話しよう?
◆ほめる人①:ほめるインタビュアー 山越 栞さん
選んだ理由:自分がインタビューを勉強しているので、“インタビューを生業としている人”の質問や、回答、紡ぐ言葉などを知りたい、と思って。
開始して何を話したらいいのかわからなかったので、「自分の生き方に軸がないんですよね~」ということをお話しました。
すると、「軸ややりたいことが見えなくても、何を選んでここまで来ているかはあなたのセンスじゃないですか。流されるのが上手って、結構なセンスですよ。才能です」と山越さんは言いました。
これまで、流れる川に身を委ねるようにして生きてきた自分。今回の移住も夫が転職したから、という状況で決めたし、流されて生きている、ということがずっとずっとコンプレックスで。でもコンプレックスに思っていることも見方を変えれば「結構な才能」なのか!うれしい。
刺さった言葉:「流されるのが上手って、結構な才能ですよ」
◆ほめる人②:ほめる人 郡司 淳史さん
選んだ理由:郡司さんはこの「ほめるBar」を含めた「ほめるプロジェクト」の発起人。こういった面白いイベントを発想するその思考に触れてみたいと思いました。
郡司さんとのセッションでは「生きるうえで軸は必要なのか」という話題になりました。
「軸って必要なんですかね?」と郡司さんに聞かれて、うーん、と考えるわたし。「必要かどうかはわからないですけど、軸をもって生きている人に憧れるし、軸があると“私はこういう人間です”って、人に伝えられやすいと思うんです」と答えつつ、心の中では「軸、必要ないのかもしれない?」と考えに変化の兆しが。
そこに「僕はね、“人生が本業、仕事が副業”だと思っているんです」と郡司さん。 何ですか!その素敵な考え!
いま正社員で仕事をしていないこともコンプレックスに感じている自分。
でも、人生は一生懸命生きている。郡司さんの考えを借りていうならば、本業はしっかりやっている。仕事をしていないと自分に価値がない、という無意識感覚が自分を蝕んでいたのかもしれない。
ちなみに・・・移住にあたって仕事を辞めたことをお話したとき、郡司さんに「20年以上も続けた仕事を辞めることはそう簡単じゃなかったですよね」と言ってもらいました。ぶわーと涙が出て止まらなくなりました。
思い出してしまった。移住前に勤めていた仕事は“天職”と思ったくらい好きな仕事だったこと、信頼する仲間や上司、後輩もいて幸せな仕事人生を送っていたこと。
郡司さんにそういうふうに労いの言葉をいただいたことで、自分のキャリアが救われた思いでした。
刺さった言葉:「人生が本業、仕事が副業」
◆ほめる人③:ほめる生き方編集者 山中 散歩さん
選んだ理由:散歩さんから紡がれる言葉の美しさに憧れていて、それを直で聞いて心で体感してみたかった。だからリアルでお会いしてみたかった。「ほめるBar」のことをたくさん聞いてみたかった。
この段階にくると、人生相談になりました。
「緑が芽吹くには、土があって、育つ栄養があって。この“土”の部分には、あなたがが明日も生きていけるかのヒントが詰まっていますよ」と散歩さん。はて、自分にとっての“土”はなんだろう?
わたし:「朝、元気に「おはよう」が言えるようになりたいです」
散歩さん:「どうしたらそうなると思いますか」
わたし「なんだろう、誰かに頼られるとか、認められるとか?人に頼られたら、“頑張ろう”って思えるから」
ん?「認められる」?なんかこの言葉、今までの自分に出てこなかった言葉だ。自分は認められたい??、、、、、、しばし黙って自問。
すると、散歩さんが「“褒められる”というのと“認められる”というのはちょっと違いますね。重なる部分はあるけれど、ちょっと違います。“認める”というのは「ここにいていい」という“存在”について使う言葉です。だから“認められたい”ということは“ここにいていい”って思いたかったということかもしれないですね」
ああ、そうだ。
そうかもしれない。
私はきっと、仕事や、やりたいことをしていないと、ここでは価値がない、と思っていたのかもしれない。だから自分はここにいていいのかという“不安”を抱き続けてきた。それが自分を苦しめていたのかも、、、、
散歩さんにインタビューライター講座でお世話になったことの御礼のお手紙をお渡しし、セッション終了。
刺さった言葉:「ここにいていい」って思いたかったんですね
イベント会場を後にする際、散歩さん、郡司さん、山越さん、事務局の方、皆さん揃って見送ってくれました。
受付から最後まで心のこもった対応で、じーんと染み入るような温かさを感じました。ありがとう。また参加したいです。
「ほめるBar」に参加したからわかった“モヤモヤ”の正体
家に帰ってからずっと考えていました。
なんで「ここにいていいのか」と不安になっていたんだろう、と。
東京にいたときの、好きな仕事をバリバリやって、参加するコミュニティもいろいろあって、軽やかに電車に乗って遠くも近くもいろんな所に行って、「私はこういう者です」という名刺になるような行動ができていた自分。
いまは、パートで(自分で選んだ働き方だけど)、参加するコミュニティも少なくて、車の運転も苦手で行動範囲もせまくて、東京の自分と比べたら「何もない」自分。
移住して、自分が何者か言えなくなって、やりたいこともわからない、そんな自分を否定していたのは、自分。
「これまで」と「いま」を比較して、足りてない自分に“価値がない”とラベルを貼り、自分を否定していたのは、自分。
抱き続けてきたモヤモヤの正体、それはここにいる自分を認めない自分だったんだ。。。
わあ、自分が自分を苦しめていたとは。
そう気が付いたら、すーーーーーっとクールミントな風が心に吹きわたりました。
そもそもね、東京にいたときの自分だって、それこそ何十年もかけて育んだ自分だったなあ、気が付きました。
同じようにここでも “育み” の時間が必要なんじゃないか。
時間を使っていい、時間をかけていい、一日一日を味わいながら積み重ねていけばそれが道になる、ここにいる自分だっていい感じになれるんじゃないか。
ほめるBarの3セッションのおかげで、ここまで考え抜くことができました。
殻、やぶれたかもしれない。
「ほめるBar」に行ってみて感じたこと
そもそもネーミングが「ほめる」「Bar」。
「ほめる」があることで、内容がわからなくても「否定されない安心」を想像することができ、「行ってみたい」という行動に繋がりました。
そして、自分とはつながりのない第三者の方だから、話せることがある、話してもらった言葉を素直に受け止めることができる。
雑談を超越した言葉のやり取り、「ほめるBar」は「人生の壁打ちセッション」といえるものでした。
ほめられたら単純にうれしくなる。
即効的に満ち足りた気持ちになれる。
「ほめるBar」ってそんな感じの場なのかと思っていました。
でも、受け取った言葉が、
ゆっくりと、チョコレートのように溶けて、
ゆっくりと身体に染みて、自分になっていったように思います。
そんな「ほめるBar」を体験することができました。
大丈夫。
私は流され上手で、
本業の人生を力を尽くして生きていて、
ここにいる時間を楽しんでいる。
ありがとう、「ほめるBar」
私も誰かをチョコレートをあげるように褒めていこう、そう思いました。
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