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ソーシャルセクターと「政治的インフラストラクチャー」について(1)
アドボカシー太郎と申します。
国家公務員をしながら、NPOでボランティアをしています。
よろしくお願いします。
前回の記事では、包摂社会を実現につながるような政策提言をとおすための「政治的インフラストラクチャー」を構築したい的なことを書きました。
今回は、浅学ながら、そうした政治的インフラを構築するに際して重要だと思うことについて書いていきたいと思います。あくまで直観ベースであり、「重要だと思うこと」に過ぎませんが・・・
あと、「ソーシャルセクター」と「リベラル派=社会的包摂を推進する考え方の人々」を厳密に使い分けられていないです。申し訳ございません。この2者はほぼ重なっているだろう、という前提のもので、なあなあで書いています。
また、自分は今はソーシャルセクター所属ではないので、「外野が偉そうに講釈を垂れている」状態にはなってしまいますが、ご容赦頂ければ幸いです。
結論
政治的インフラを構築するに際して重要なこととは何でしょうか。私の意見としては、「個別の分野における社会問題に関する単なる要望だけでなく、社会の全体像をビジョンとして語れるようになる」ことだと思います。
以下、具体的に説明します。
1 アメリカにおけるアドボカシー
まず、この結論を得る際に参考とした本の紹介から入ります。
2年前にご逝去された中山俊宏先生の『アメリカン・イデオロギー』という本になります。
この本は、戦後アメリカ政界で圧倒的に優勢であった民主党(=リベラル派)の牙城を、保守派活動家たちがどのように崩していった経緯を説明した本になります。
保守派活動家たちの活動について、本では詳細な分析がされていますが、自分なりにまとめると以下のようになります。
①個々の保守的政治勢力(経済的保守、宗教的保守、文化的保守、・・)の縦割りを打破し、保守思想を一つにまとめあげるための理論の構築を目指した。
②リベラル派=民主党に対する単なる批判ではなく、どのような社会にしていくかという問いに答えるための明確なビジョンの構築を目指した。
③上記2つを実現するために、⑴保守派活動家が意見を掲載して議論できる雑誌を発行するとともに、⑵保守派活動家のデータベースを構築して保守活動家たちの連合形成を促した。
自分の理解によれば、こうした戦略のおかげで、保守派は民主党の牙城を崩し、しばらくの間優位を築くことができたということになります。
2 日本でも基本的には同じなのでは?
この本は保守派についての本なので、思想は真逆ですが、とるべき戦略についてはさほど変わらないでしょう。
また、日米の政治体制の違いは大きく、すべてを真似することはできないにしても、「個別の分野における社会問題に関する「単なる要望」だけでなく、社会の全体像をビジョンとして語れるようになることが重要」という基本的なところは変わらないのではないでしょうか。
実際、これは私が公務員として働いてみて感じた印象とも近いです。
私が見る限り、公務員も政治家も、一定程度の正義感と国民からの批判に対する恐怖感があるので、基本的には「良い政策」を実現したいと考えています。(また、私のような上司の顔色ばかり窺っている小役人は、「上司に論理の穴をつかれない」ことばかり考えているので、「論理的に説明しやすい案はどれかな」というのを考えて案をつくっています。)ですので、「良い政策だという認識が、少なくとも政治的にアクティブなひとびとのなかで広まっている」状態をつくることができれば、その政策は比較的スッと通ります。
そして、数多くの要望を日々受け続けている公務員や政治家にとっての「良い政策」とは、「個別の分野における社会問題に関する「単なる要望」だけでなく、社会の全体像がビジョンとして背後にある政策案」だと思うのです。
特に、大きな政策を通したい場合、官邸や財務省、与党中枢を説得する必要がありますが、彼女ら/彼らを説得するためには、「こういう問題があるんです」と主張するだけでなく、「さまざまな社会課題があるなかで、これは優先事項として国家として対応すべき課題である」ということが言えなければならないでしょう。
そして、「個別の分野における社会問題に関する「単なる要望」だけでなく、社会の全体像が背後にある政策案」を作り上げるのに際して、現状縦割り、かつ、「個々の要望」に過ぎないリベラル派の言説を、大きなアイディアのなかに統合するための議論が必要であり、その議論ためには、雑誌等の「思想のプラットフォーム」が必要だということも日米でさほど異なる話ではないのではないでしょうか。
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3 最後に
というわけで、とりあえず、自分が思ったことを書いてみました。
昨年はボランティア活動に参加できてたいへん有意義な1年になりましたね。多くの素敵な人に出会うことができました。
本年はさらに頑張りたいですね。まあ仕事が忙しくなって無理になる気がしています。
補論(ソーシャルセクターのアドボカシーの現在地について)
外野が偉そうにいうのはたいへん気が引けるのですが、ソーシャルセクターのアドボカシーの現状について、思うことを書きます。
まず、上から目線で恐縮ですが、ソーシャルセクターのアドボカシー能力は相当な水準にあると思います。
有力議員や省庁幹部と懇意にされている職員の方が多くいるし、いくつもの検討会や審議会にソーシャルセクターの方が参加しています。
私のような小役人より、ソーシャルセクターの方々の方が大きな政治的パワーを持っていますね。
しかし、一方で気になっている点もあります。
それは、経済財政諮問会議や財政制度等審議会のような「偉い(=個別の課題ではなく、社会全体の在り方を考える)」審議会の委員にはソーシャルセクターの方がなかなか見当たらないことです。
これは、現状、ソーシャルセクターが、個別の分野で現場の声を伝える役割は担っている一方で、社会全体の在り方を語る役割は担っていない、ということではないでしょうか。
上述の会議には、財界、労働者、学者は参加しています。この列に「ソーシャルセクター」があってもよいはずなので、経済財政諮問会議や財政制度等審議会にNPOが当たり前に呼ばれる状態にしていきたいと思っています。