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怒りと憎悪の政治 ポピュリズムの蔓延

今回は吉田徹「アフター・リベラル 怒りと憎悪の政治」の概略と、自分の感想を添えて備忘録とする。そもそも著者の吉田先生とはゼミでお世話になっており、著名な方と聞いたので気になってブックオフで購入した。

ポスト・コロナの様相がようやく見え始めたと心から思う。暗い時代だ。この本もそんな時代を鋭く分析した1冊だ。

検索に引っかからないための苦肉の策

この本の出発点は世界各地で起こっているテロや暗殺、各国のポピュリズムの台頭はなぜ出現しているのかという問題意識から始まる。


【何が起こっているのか?何がいけないのか?】

2022年暮れに放送されたテレビ番組「徹子の部屋」にゲスト出演したタモリが、2023年について「新しい戦前になるんじゃないですかね」と発言したことがネットなどで話題になったのは記憶に新しい。タモリの意図はともあれ、大勢がうっすら感じていた「時代の変化」を的確に言い表した言葉だったが所以の反応だったのだろう。

・戦後保革体制の崩壊

どの政党に投票しますか?

20世紀後半、どの先進諸国にも見られた保革対立の瓦解が著しい。1950年には保守党と労働党で国政選挙の9割程度の票を得ていたが、1970年には7割、2010年代にはこれをも下回る数字になり、この傾向はオーストラリア、オランダ、スペインなども同様である。上の図はこの傾向を最も如実に表している。保守党や労働党を凌いでリフォームUKが最も投票先に選ぼうと考えている有権者が多く、従来の政治構造は瓦解している。従来の経済配分ではなく、70年代頃に左派政党が価値的な(男女平等など)公約を掲げるようになったのを契機に、右派も連動して「価値」の政治へ変わっていった事がその要因として言及されている。つまり労働者の受け皿が左派政党ではなくなったのであり、右派も連動した事によって旧来の階級に基づいた保革対立は空中分解したのである。(戦後の利益配分に基づく分厚い中間層の出現により、階級という概念もそのものさえ過去のものになったのだろう。)

現在は多種多様なバックグラウンドを持った個人の価値観を、(階級ではなく階層として)様々な政党が受け皿になりつつあるのではないか。

またポピュリズムにしても、70年代から始まった第二次工業から第三次産業への移行の中で、顧みられてこなかったブルーカラー層と没落した中間層が担い手だと分析する。近年は格差の拡大が叫ばれて久しい。個人的には元中間層がジリジリと貧しくなっているように思う。

・相次ぐテロと暗殺、ポピュリズム

2024.7.14ドナルド・トランプ暗殺未遂

また近年相次ぐテロや暗殺、ポピュリズムの源泉は「社会や組織から切り離された個人」にあると分析している。2度の大戦や国家の暴走、不完全な戦後体制からの反動でもあり、個人主義はその組織(労働組合など)や社会といったものから個人を切り離し、よく言えば独立した、実態は「孤立した個人」の誕生を産んだ。その結果として新自由主義や消費資本主義、広がる格差を作り出してしまった。(消費資本主義とは、消費によって自己を表象し、それが更なる消費を生み、とめどない消費社会とアイデンティティの闘争に明け暮れることになる。というもので、これは近年売れた「暇と退屈の倫理学」でも触れられていた。)フランスの哲学者、サルトルはこのような状況を鋭く見抜いている。サルトルは「人間は自由という刑に処されている」と述べ、「その(切り離された、つまりは個人主義が進んだ世界での)人間は自らの能力だけのみ、頼る物が無くなることを意味し、結果として夥しい不平等を意味する」とも指摘した。

サルトル(1905-1980) フランスの哲学者

また、こうした「孤立した個人」に入り込んだのがイスラム原理主義などの宗教である。(近年起こった先進諸国でのテロの犯人の多くがイスラム原理主義者であった事が著書の中で触れられている。)人生で挫折を味わった、特に若年層──「孤立した個人」が、アイデンティティを獲得するために感化され、結果行動に至ったりする。(しかしこれら実行犯はコーランについての知識はおろか、宗教的禁忌を平気で行うなど実生活レベルでの結びつきは極めて薄いことも明らかにされている。)これら若年層のテロは「攻撃による自己肯定」と筆者は呼び、過激的宗教が問題なのではなく、「孤立化した個人」そのものに根本原因がある。

元々は大戦を経て、経済的リベラリズム(資本主義の側面)を大きく抑えて、政治的なリベラリズム(個人間の格差是正、平等)との絶妙な両輪(両者は理論的に相性が悪い)で回っていたものが、いつしかブルーカラーの没落と個人主義によって「孤立した個人」に大きなアイデンティティの空白が生まれていたのであった。また、これらには生まれた世代、民族の変化、歴史認識問題など様々な要因があり、多方面に影響を及ぼしている。その例が量の分配を巡る闘争から価値観の分配が政治の争点になってきた事からも明らかだ。


また宙ずり国会(ハング・パーラメント)の様相を呈する事態も日本やフランスで起こっており、混乱を極めている。

・どう対処していくべきか。
こういった事態における筆者の処方箋を紹介する。重要なのは、崩壊し、変容した共同体・権力・争点とも対応する、このアイデンティティ・個人・主体という三角形の均衡と相互の緊張関係であると述べた。自分がどこから来て、その説明責任を公的にリベラリズムが負うべきであるということ。また、政治が経済的なリベラリズムに敏感になり、アイデンティティ政治に依存し過ぎない在り方。何が自分と人々で共通しているのか───についても私たちは忘れてはならない。と。筆者は闘争と平等のバランスをカミュの一文で締めくくる。

不正義を人間世界に加えるのではなく、正義に尽くそうとすること、人間の痛みにではなくその幸せに賭け、世界の嘘を増やさぬよう明快な言葉で説明を尽くすこと。(カミュ「反抗的人間」)

・最後に
私たちは近現代史の中でも大きな過渡期と隘路にいる。また、本を読んでいて痛感したのは、1つのことを知るためには多くのことを知らねばならないということだ。そういえば、丸山眞男が同じ事を言ってくれていた。

「ひとつのことについてあらゆることを、あらゆることについてなにがしかのことを知っていること。」(丸山眞男)

ただ、人間が知ることが出来る範囲には限界がある。この限界性こそが人間が多様であり変容できる強みでもあると思った。

感想が長すぎる。もはや要約である。

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