「、、、だからね、5本にしたの」
とある工場の隅っこに、青くて小さな壺が野晒しになって置いてあった。
その壺は、錆びれた工場にあまりにも馴染んでいなかった。どこぞのお屋敷の玄関か、リビングで、客人をもてなすような壺だ。
青く美しい壺には、天使が描かれている。
ねぇ、どうしてこんな所にいるの?
よく分からないけど、ここにいると決めたのはこの壺なのだろう。なるほどね。意図はわからないけど、なるほどね、素敵ですねと頷いて、私はその場を立ち去る。
まだ、あそこにいるのだろうか。わからないけれど、まぁどちらでもいいのだろう。
最近そういう事が増えました。
2024.3/7
今日は、私と彼が付き合った記念日だ。
今日でやっとお付き合いして1年経つのに、この付き合った記念日が来る3日前の、3月3日に入籍した。
おめでとう自分、ありがとう自分。
まさか彼に初めて会った1年前の私は、こんな短期間で結婚までしてしまうとは思わなかっただろう。
こんな素敵なご縁を頂いて、感謝感激雨あられです!神様仏様あらゆる次元の皆みな様!といつも思っている。
私が好きな本の一冊に、「幸せになる勇気」がある。
アドラー心理学について書かれた本だ。
この本を読んでから、私はパートナーに求める条件として、「自分と踊るように生きてくれる人」と願ってきた。
とても抽象的な表現だと思う。でも、だから良い。
手を繋ぎ、目の前で共に踊ってくれる相手がいたら、ちゃんと向き合う。楽しく、軽やかにステップを踏んで、躓きそうになればお互い助け合って、ゆっくり、穏やかに、時に激しく。
くるくる踊り、踊り続けて、気がつけば、周りには見たことのない景色が広がっている。
それが楽しくて仕方がない。
夫は、入籍した日に薔薇の花束をくれた。
5本、それにはちゃんと意味があった。
私は世界一自分を愛しているが、自分と同じくらい夫のことも愛している。そう思える相手に出会えて、私は本当に嬉しい。
彼と出会う前に、とある占い師に、「貴女はここ1年ほど、真剣な恋愛はできないと思います。遊びの恋ならできるけどね、運命の相手が現れるのはまだ先だね」
と言われた。
それを聞いた私は、たくさん考えた。
もし恋愛に発展しない人だとしても、目の前で私の手を取って、一緒に踊ろうとしてくれる相手がいたら、ちゃんと真剣に向き合いたいと、強く思った。
例え周りに「その人は運命の人ではない、あなたにはもっと良い人がいる」と言われても、目の前にいる相手だけをしっかり見つめて、楽しく踊ろうと、強く思った。
そして、それからすぐに、彼と出会った。
きっと、あの占い師さんは、私にこの気持ちを強く気づかせてくれる為に現れてくれたのだと思う。すごく感謝している。
夫は本当に素敵な人だ。ずっと彼とのことを惚気ていたい。
こういう事を言うと、「そんなの今だけよ」と言われたことがあるが、まぁ確かにこんな甘々なのは今だけかもしれないし、そうではないかもしれないし、それならそれで別にいいよと思う。
私たちが踊りながら向かう場所は、私たちにもわからない。
今、この瞬間を踊るように生きる。大切な相手と手を繋ぎ、ステップを刻む。
大切なのは、何処へ辿り着くのかではなく、今どんな風に踊るのか。
なんだか堅苦しく話してしまったけれど、まぁぼちぼち楽しく参りましょう。