モノの形に込められた思い
雨上がりお昼、散歩がてら道を歩いているとガードレールにカナブンがとまっていた。
ガードレールの斜面に必死でしがみ付くその姿は何とも人差し指で支えたくなってしまう程だった。
ここで「なぜガードレールはこんなに滑る斜面の形状なのだろう」と考えた。
調べてみるとどうやらその蛇腹の構造は「強度」を高める為の様である。
衝突した車の衝撃に耐えうる強度を、その折り曲げられた構造から生み出しているのである。
日々当たり前に目にする構造物も「その形である理由」があるのだろう。
逆に「構造から機能を想像する」と言った考えも持っていてもいいのではないだろうか。
例えば、よく知られているペットボトルの形状だが、軽量化と強度を上げるための構造、持ちやすさを兼ね備えた形になっている。
当たり前だが角が尖った子供用の学習机やランドセルはあまり見ない。そこには「怪我をしないように」といった思いが込められていると言えるだろう。
目の前にあるモニターは?スマホは?イヤホンは?果たしてどんな形だろうか。
「身の回りの物の形に込められた思い」がもっと可視化出来たらモノに対する我々の思い入れも変わるのかもしれない。
角が立たないよう生き、角が取れた今日この頃。私の強度はもうそんなに高くない。