「苦手な教科」など無い
■はじめに
数学が苦手、理科が苦手、英語が苦手。
そんな会話を学生時分にした記憶がある。
教科書の内容が頭に入ってこない、興味が沸かない、テストの点数が悪い。
理由はいくつかあるが、他者との比較や自身の他教科との比較によって苦手意識がある人が多いのだろう。
■提起
しかしながら、(今になって思うが)本当にそうだろうか?
苦手な教科は存在しないのではないだろうか。
教科・学問・分野は確かに多くの時間をかけてきた先人たちの知恵をより体系的・効率的に学ぶことが出来る。
しかし、それは逆を言えば我々人間が理解し易い様に「境界を引いた」事に他ならないのでは無いだろうか(※)。
※教科・学問・分野そのものを否定しているのではなく、境界を引くことによる視野の狭さを問いたい。
■具体例
さて、例を挙げて考えてみる。
中学1年生で覚える理科の「置換法」について取り上げてみよう。
発生させた気体を集める際の手法分類についてのあれである。
なお、文部科学省の学生指導要領には以下の記載になっていた。当然だがこの理科としての要素は含まれていると言えるだろう。
■考察
では、その他の要素とはなんだろうか。
イメージしやすい様に問題を引用してみる。
まず、水へのとけやすさ・空気に対する密度の違いにより選択肢を変えている。これは「構造化」を理解していると言える。どうな構成要素があり、どんな選択肢があるかを論理的・網羅的に把握し、その条件に応じた手法を選ぶ事が出来る。意識すらしていないと思うが、それは「構造化」を当たり前の様に行えていると言えるだろう。
又、当然だが文章・文脈を理解する「国語」的な要素もあるだろう。「適語」なんて言葉は普段の生活では使われないが、テストという場面において「適切な言葉」と汲み取っているはずである。解答欄へ回答する際も、文中に「法」がある為解答欄へは「法」を書かずに「上方置換」まで書けば良い事を汲み取っている。
さらにA・B・Cが違う図であることを理解・想像し①・②に当てはめようとする「図形」的な理解も必要だろう。
さらに飛躍すると、アンモニア自体とその研究の歴史は窒素肥料・農業の歴史と非常に関係が深い。理科的であると同時に社会的であると言える。
■終わりに
もしかするとあなたは「いや、でも私の理科のテストは35点しか取れていない。苦手以外の何があるんだ」と言うかもしれない。
であるならば、数字=点数で境界を引くのではなく、理科の表現で評価しては如何だろうか。
「私の理科理解は下方置換よりも低い」と。
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