あなたが感じる「嬉しさ」とは
前回、「言葉は誰にも届かない」で他人との感覚の差異を述べた。
その中で、言語・文化的な差異について言及したが、今回はこの「言語的な差異」について深堀をしてみる。
さて、この「言語的な差異」だが多言語間だけではなく、同一の言語内でも発生すると考えられる。
■言語的な差異
例えば「嬉しい」状態一つをとってもその感覚は様々である。
10歳でもらうお年玉の1万円は、月々500円のお小遣いと比べて嬉しいと感じるだろう。
しかし、月々1万円のお小遣いをもらっている子供にとっては、そのお年玉は何とも簡素な嬉しさになる。ここでは、「過去の自分との差異」によって「嬉しさ」を感じているのだろう。
又、努力して平均点が60点の社会のテストで80点をとる事と、あまり努力せずに平均点が80点の社会のテストで80点をとることではその嬉しさは大きく異なるだろう。
ここでは結果は同じだが、「かけたコストの差異」や「周囲との差異」によって「嬉しさ」に違いを感じているのだろう。
さらに言えば、同一点数をとったAさんとBさんの「嬉しさ」は異なるはずである。なぜなら両者の背景情報が異なるからである。
もしかしたら、Bさんは社会が苦手かもしれない、「親に高得点をとればゲーム機を買ってあげる」と言われていたかもしれない。
しかし、我々は一様に「嬉しい」と一言で表現してしまいがちだ。それではこの差異は理解できない。相手にこの差異を伝える為には「言葉を尽くす」事が必要では無いだろうか。
そして、「言葉を尽くそう」とすれば必然的に自己理解も深まるのではないだろうか。
■言葉を尽くすには
言葉を尽くすにはどうしたら良いか。それはまず「なぜ?」かを考える事にある。前述のケースで言えば、「なぜ1万円が嬉しいと感じたのか?」を考える事にある。
では「なぜ1万円をもらって嬉しいのか?」の理由を考えてみる。
などが考えられる。
ここから「今までより多くの事が出来るようになった」「やりたいことの可能性・選択肢が広がった」「他者よりも多かった」「特別感を感じる事が出来る」等差異が挙げられるだろう。
このように深堀を進める事で「何で嬉しいのか?」の自己理解を深める事が出来るだろう。
これを他者に伝える場合、「嬉しい」の一言ではなく、
「こんなにも沢山のお金、持ったの初めてだし、自分のやりたいことが出来るかもしれないと思うとワクワクする。嬉しい!」
と理由を組み合わせて言ってみては如何だろうか。
嫌味もない綺麗な言葉で子供らしさを出してくる、何とも子供らしくない言葉である(笑)
これで相手に正確に伝わるのかは定かではない。しかし、自分なりには「嬉しさの理由」を説明する事が出来るし、言葉を尽くそうとする。
少なくとも、今後の自分が「嬉しさを感じる・探す嗅覚が高まる」のではないだろうか。
■アノマロ
いきなりだが、私は幼少の頃にTVで見た「アノマロカリス」がカッコいいと思っている。
では、この「カッコいい」を「なぜカッコいいのか?」深堀していく。
当時ここまで考えていたかどうかは分からないが、今想像してみるとこんなところが挙げられるだろう。
なので、私は親に
「アノマロカリスってね、うねうねクワガタっぽい大きい捕食者でカッコいいんだ。アノマロカリス。そう、アノマロカリス。こんどからこのカッコよさをアノマロって言うね。お母さんもアノマロだよ!」
と言って殴られるべきだったのかもしれない。
■終わりに
感情の言葉一つとっても、その状態・背景によって感情の意味合いも変わってくる。それを相手に伝える為には「なぜそう感じたのか?」を一度考えてみては如何だろうか。
そうすれば相手に「言葉を尽くそう」と考えるだろうし、自分の傾向も見えてくるかもしれない。
あなたがイライラしているそのパートナーに「なぜイライラしているか」をもう少し言葉を尽くして伝えてあげると良いだろう。
こんな事言える私、アノマロ~。