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才能の創造
どうも、やまけんです。
突然ですが、才能とはなんでしょうか?
辞書によると、
生まれつきの、あるいは訓練によって発揮される、物事をうまくなしとげる能力。
だそうです。
「才能」という言葉からは、いわゆる「天才」みたいなイメージが浮かんでくるのは、僕だけではないはず。
あの人は「生まれつき才能があったから・・」というフレーズはよく耳にします。
でも、辞書の定義によると、どうやら「才能」が発揮される状況は2パターンあるらしい。
生まれつき or 後天的に訓練によって獲得する
の、2パターン。
つまり、訓練によって「才能」は獲得できるということ。
大谷翔平選手がマンダラチャートを使用して、目標達成に向けて努力していたことは有名な話です。
確かに「生まれつき」の要素もあったのかもしれませんが、
努力しなければおそらくメジャーリーガーとして大活躍はしていないはず。
そして、才能は「後天的に身につけることができる」のだとしたら、理論上、誰でも一定以上のスキルを身につけ、成果を出すことができると言えますよね。
自分には才能が無いと、言うのは簡単。
そして、自分の才能の無さと向き合う必要がなくなるため、非常に肩の荷が下りたように心が軽くなるのも確か。
とはいえ、それはある意味の「自分の数ある選択肢の一つ」を捨てる行為でもあるということも言えそうです。
ここで、あるアニメを紹介します。
俺は全てを【パリイ】する
![](https://assets.st-note.com/img/1721834157600-D12hqKFMNh.png?width=1200)
というアニメです。
まだまだアニメは序盤ですが、すでに学びがたくさんありました。ネタバレも多少含みますので、ご注意を。
まず、主人公の青年ノールは、冒険者としてギルドに登録しようとします。が、なんのスキルも持っていない人は登録できませーん!と、断れてしまいます。
なので、ノールはスキル習得に向けて様々な訓練場に修行に行きます。まあ、現代でいうところの職業訓練校みたいな場所ですね。
戦士の訓練、魔法使いの訓練、シーフの訓練・・などなど、様々な訓練を片っ端から受けるのですが、
どこの訓練所においても、
「お前は〇〇の才能が無いようだから、諦めたほうがいい」
と、言われてしまいます。
しかし、どうしても冒険者になりたいノールは諦めません。
戦士の訓練所で覚えた唯一のスキル「パリイ(相手の攻撃を弾くスキル)」を、徹底的に磨いてやろうと決意し、パリイのスキルを毎日毎日、何年何年も磨きまくります。
なぜ磨きまくるのかといえば、戦士の訓練所で、
「一つのスキルを極めれば、またその次のスキルが習得できる。」
と、言われていたから。
なので、真面目なノールはその「次のスキル」の習得を目指してパリイを極めまくるのですが、一向に次のスキルの習得の気配はナシ・・・。
もはや冒険者としての生活を諦めていたときのこと、ひょんなことから、自分のパリイのスキルを用いて、国の王女様を助け出すことに成功します。
そして、王女様と関係性を持ったことをきっかけに、物語はドンドン展開していきます。
と、ここまでが現段階でのざっくりとした物語の流れ。
面白いポイントとしては、主人公自身は、自分にはなんの才能もなく、パリイしか使えないショボいやつだと思っていること。
ただ、そのたった一つ使えるパリイの上達具合が、尋常では無いレベルに達しているわけです。だからこそ、王女様からクソ強い悪魔から救い出せたということ。
まさに、これは「才能」と言えるんじゃないでしょうか。
自分には才能が無い・・・と、どん底に堕ちたところから、たった一つのスキルを磨きに磨き上げ、気づかぬうちに遥かな高みへと到達してしまったわけです。
見事に「後天的な訓練」を通じて、身につけた例と言えますよね。
最後に、ミニマリストである佐々木典士さんの著書、
「僕たちは習慣で、できている。」の冒頭分を引用したいと思います。
↓
才能は「与えられる」ものではなく、習慣を続けた果てに「作られる」ものだからだ。
才能の無さに悲観するのではなく、
身につけられたらめちゃくちゃカッコいいだろうな!みたいな想像をしつつ、少しずつ才能を創造していけたらいいんじゃないかなと。
ではでは。