
2025/02/16 雑に使うが、雑には扱わない
【2025/02/16】豆日記:雑に「使う」けれど、雑には「扱わない」ことについて考えてみた。
少し変わったペン先の、たとえば漫画を描く際に用いられるGペンを使いたいとして、Gペンで描く技術を上達させるにはどうしたらいいか?
当然、Gペンを「使って」描くことが必要になる。描いて描いて描きまくることで、Gペンで描く技術が上がり、絵の上達にも繋がる。
その際に、ペン先が摩耗するから・・などと言って使うことを躊躇していては、一向に技術は高まらない。つまり、「使う」にしても、「雑に・手軽に・ラフに」使う必要があると言える。
Gペンは一例にすぎず、どんな道具でもいい。
紙のノートでも、デジタルツールでも、あるいは本でもいいかもしれない。道具を使い、何かしらの成果を生み出す。なにかを創造する。そのためには、道具を何度も何度も「雑に使う」ことによって、スキル・成果物の質の向上にも影響してくる。
ただ、「雑に使う」ことはすれど、同時に、「雑には扱わない」ということもまた、大切なことのように思う。
ここでの「使う」というのは、単にその道具を用いること。そして、「扱う」というのは、道具を用いる「姿勢」だと考えてみる。
つまり、どんな「姿勢」で道具を「使う」のか。
たとえば、思いついたことをパッとノートにメモしたいような、「雑に使いたい」とき、ノートが手元になければ、当然、思いついた着想を書き残すことはできない。
そのような不測の事態を避けるためには、ノートを「手元に置いておく」必要がある。
であれば、道具を「雑に使う」には、道具を「大切に扱う」ことが、必要なのではないだろうか。
「大切に扱う」というのは、常に使いやすい状態を維持しておくこと。つまり、道具との物理的・心理的な距離を日頃から近づけておくこと。
言い換えると、日頃から「道具との関係を築いておくこと」が、「大切に扱う」ことなのではないだろうか。
…と、そんなことを考えていると、人間関係にも言えるのかも?という考えに脱線した。
やや無理やりではあるが、上記のような考えを「人」に当てはめてみる。
雑に話せる(雑談ができる)人。気軽に話せる人。ラフにコミュニケーションが取れる人を思い浮かべてみる。
仮に、その人に頼み事をするとして、日頃から雑談をして関係を築いているのであれば、軽く憎まれ口を言われたとしても、頼み事を引き受けてくれるだろう。
しかし、普段から「雑に話していない人」に対して頼み事をするのは、ハードルが高いように思う。
ここであえて「扱う」という言葉を用いるならば、その人の「扱い」が分からないからこそ、頼み事もしづらいのではないだろうか。
つまり、普段から「雑談できる」ということは、相手を「大切に思っている・尊重している」からこそ、できる行為のように思う。
ここでいま一度、道具の話に戻ってみる。
人間関係を築くことになぞらえるならば、道具との「関係を築く」ためには、ある程度「雑に使う」時間が必要とも言えるのではないだろうか。
仮に、高級な素材で書くのがもったいないという理由で、真っ白なままのノートがあったとしたら、そのノートを「雑に使う」ことはできないはず。それは、一見すると「大切に扱っている」ように見えて、「使う」ことから逃げているだけだ。
それは、ある特定の人を腫れ物を触るかのように恐る恐る接し、気軽に話そうともせず、関係を築こうともしていない状態と似ている。
道具であれ、人であれ、なにかに対して「雑に接する(用いる)」ということは、「関係を築く」ことに繋がるのではないだろうか。
道具であれば、まずは試してみる。雑に使ってみる。もちろん、最初から上手に使えるわけではない。
冒頭の例に戻れば、Gペンを使って描き続けることで、Gペンと自分との関係を築いていける。とはいえ、どうしても相性というものもある。合わないという関係性もまた、まずは「使ってみる」ことでしか、見えてこない。
「大切に扱う」からこそ、「雑に使う」ことができる。
そこには、道具と真剣に向き合う姿勢や、相手に対するリスペクトが必要なのだと思った。