パズル的【価値提供論】
今日、あなたが触れた情報の中で、
これはすごく役に立った!人生楽しくなってきたー!
みたいな情報と出会えただろうか?
もし出会えたのだとしたら、それはものすごく幸せなことだと思う。
それは、情報に対して「価値を感じた」というわけだ。
僕も一応こうやってnoteを書いて情報発信をしているわけだけれど、僕が発信した内容に対してほんの少し、ほんのちょっとでも価値を感じてくれたとしたら、僕はとても嬉しく思う。
では、そもそも「価値提供」とはなんだろうか?
僕なりの定義としては、
「他者に対して良い影響を与えること」
だと思っている。
「良い影響」と一言でいっても、様々なことが含まれている。
色々あるだろうけど、要は、受け取った側に対して「良い変化」をもたらすことができれば、立派な「価値提供」と言える。
そして、僕は「情報」という形で、「価値提供」ができればいいなと思っている。
とはいえ、
「価値があるかどうか」なんてものは、受け取る側の感じ方次第であって、発信側がどうこうできるものでもない。(※上手にマーケティングして限定性とか、希少性を含ませれば「価値がある風に見せる」ことはできるだろうけどね)
なので、基本的に発信側は、伝えたいこと、表現したいこと、シェアしたい気づきなんかを、全力で発信するのみである。
つまり、
こちらが全力で提供した「情報」に対して、相手が「価値」を感じるかどうかはコントロールできない。それをコントロールしようとするから、おかしなことになったりする。
すべてが思い通りになるゲームなんてつまらないけど、予想外の展開、思ってもみない出来事が起こるからこそ、面白いのだ。
それは、「価値提供」も同じ。
ハマる人にはハマるし、ハマらない人にはハマらない。
まるでパズルのように、ビターッ!と、形が合う場合もあれば、まっったくハマらない場合もある。
だからこそ良い。
多少イビツな形だろうが、ハマる人にはハマったりするものだ。そして、ハマった人に「良い影響」を与えることができたのならば、
それは立派な「価値提供」だ。
逆に、パズルの空いている形に合わせて、自分の発信したい内容を捻じ曲げて発信しても、気持ちは乗らないし、ツマラなくなるのがオチだ。
よし。これを「パズル的価値提供論」と名付けよう。
あと、万人受けを狙ったような「丸くて優しい発信」は、耳障りは良いかもしれないが、結局誰にも刺さらず、
1日後、いや、おそらく情報に触れた1時間後には、キレイサッパリ忘れさられてしまう。
だからといって変にトガる必要も無いけど、多少イビツでも、自分の届けたい想いをしっかり込めることが大事だ。
ある本のタイトルだけを引用すると、
だそうだ。
まあ、ここまで「価値提供」の話をしてきたけれど、
「価値提供するぞ!」と、鼻息粗くする必要もなく、まずは日常の中で自分の感じたこと、思ったことを、素直に発信すればいい。
そして、それが「誰か一人」に届き、「良い影響」を与えることができたなら、自然とその波紋は広がっていくのだと思う。
おわり。