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快楽と幸福はケーキと福沢諭吉である
今回は、「快楽」と「幸福」をテーマに書いてみる。
それぞれの言葉の定義としては、
快楽とは、目先の満足感を得ること。
幸福とは、心の充実感を得ること。
という考えで文章を進めていこうと思う。
どちらも、「何か心地よいもの」で満たされているような状態と言える。では、大きな違いは何か?
それは、得られるまでの「時間」、得られる「場所」が異なるという点だ。
時間という視点でみれば、
快楽 → スグに得られる
幸福 → 後から得られる
場所という視点でみれば、
快楽 → 脳
幸福 → 心
みたいに、分けられると思う。
イメージするならば、目先の美味しいケーキを食べて「あ〜、今幸せ〜」と感じる(脳が喜ぶ)のが「快楽」。
対して、
3年前、めちゃくちゃ悩んで苦しんだけど、今の仕事に就いて良かったな〜と、感じるのが「幸福」。
あるいは、あのときは失恋して辛かったけど、そのおかげで今の夫(妻)と出会えて、結婚できて良かった(心が充実する)・・・。とかね。
というのが、僕の中での「快楽」と「幸福」の違い。
ここからは少し怖い話をする。
実は、「快楽」というのは得れば得るほど、「幸福」を遠ざけてしまう。という性質があるのだ。
目先の美味しいケーキを食べれば食べるほど、未来に得られるはずだった「健康的な体」からは遠ざかってしまう。
目先の面白いYouTubeを観続けて夜ふかしする(快楽を得る)ほど、次の日の万全なパフォーマンスからは、遠ざかってしまう。
ちょっと角度を変えた例でいえば、
目先の意見を鵜呑みにしてわかった気になればなるほど、自分の頭で考えることをやめ、自分の主張ができず、他人に流される人生を送ることになる。
つまるところ、「快楽」と「幸福」の関係性は、
「スグに手に入るもの」と「後から手に入るもの」という違いとも言える。
福沢諭吉さんの言葉の中で、
簡単に手に入るものはさほど貴重ではない。得るのが困難なものほど貴重である。
というものがある。これは、「快楽」と「幸福」にも当てはまるようにも思う。
もちろん、だからといって、ちょっとした贅沢を味わうのが全く駄目なことかといえばそういうわけでもない。多少の快楽を得ることも、人生を豊かにしてくれる要素ではあると思う。
ようはバランスだ。
理想的な割合としては「快楽2:幸福8」くらいの割で生活してみるのはどうだろうか。
目先の快楽を堪能するのは、週に1〜2日程度にして、その他は、後々の幸福を得るために、自己研鑽、家族との交流、振り返りなどに使ってみるなど。
そうやって目先の快楽の割合を減らしていくことで、人生全体の幸福度は上がっていくように思う。
だいたい、楽しくて飲みすぎた次の日は最悪の気分での目覚めが待っている、というのがありがちなパターンだ。その法則を人生単位で考えてみればいいのだ。
目先の「快楽」を得ることとは、後に得るはずだった「幸福」を前借りして、今の「快楽」へと変換している行為というわけである。
すると、当然のように「快楽」を得ればえるほど、後に得られる「幸福」もドンドン減ってしまうということだ。
そんな風に考えてみると、今後、目先の「快楽」を得ようとしたとき、
今からしようとしている行動は、後から得られる「幸福」を前借りすることになるけど、本当にいいのか俺?
といった問いかけにも繋がり、目先の快楽を得る行動は抑制されるんじゃないかな。
ってなわけで、
「快楽」と「幸福」をテーマに書いてみた。