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「短編小説」学園の事件簿 第7話

第7話       にんぎょの海

あらすじ
仙台にある私立高校の二年生が沖縄に修学旅行に出かけた。初日にひめゆりの塔を見学したが、翌朝早く一人の女子生徒が宿から失踪した。家族にも連絡し、少ない手がかりから見当をつけ、指導教員と担任が生徒を探すため、人魚像のある東海岸の村に向かった。その挙句、明らかとなる女子生徒の境遇と悲哀。

本文

 沖縄の海は、群青の大空の下で、透明で淡い薄色のブルーが一面に広がり、岸辺では、海底の薄茶色が丸見えの無色の水となり、強い太陽の光の下で目にまばゆく感じられる。北国の仙台と違って、明るい光が天地に満ちて、心の闇も居場所を奪われ、そそくさと退散する。 
 十月になって、仙台の私立高校二年生の柏木静香は、修学旅行で沖縄に来ていた。那覇空港に到着したその日に、生徒たちは、〈ひめゆりの塔〉の前に立ち並んでいた。燦々と輝く太陽の光に照らされ、緑の樹木に囲まれて、フエンスの中の一角にその名が刻まれた小さな年を経た石碑が建っていた。そのそばに兵士たちが立てこもった地下壕へ通じる穴が口を開けていた。太陽の光はあくまでも明るく、隠す影もなく生徒たちの目の前に顕わになっていた。

「この穴には、負傷兵の看護などに動員された女子生徒や軍人、住民たちが百人ほど隠れていました。昭和二十年六月に米軍のガス弾攻撃により八十人余りが亡くなるという悲劇が起きました」

 ガイドの説明を聞きながら、静香は、後で結んだ髪の毛に手で触れたあと、自分と同じ年ごろの女子生徒の心を思い、その無慈悲さ、悲惨さに言葉もなくそっと手を合わせた。未来が豊かなはずの乙女たちの人生に選択の余地はなく、疑いの心すらなくただひたすらに負傷兵の傷の心配をし続けて散った彼女たちのその心情を思った。選択肢が多すぎて道に迷う現代の自分たちと比べ、あまりにも大きな隔たりに愕然となり、そのような惨事は二度と起こしてはならないと、ただただ、ひめゆりの女子生徒たちの鎮魂を祈るばかりだった。

「私たちが生まれる六十年も前にこんなことがあったなんて、可哀そうすぎるわ」

 級友の両頬が丸い前林舞子が唇を震わせて、沈痛な声で隣にいる静香に思いを口にした。    

「本当に、許せないわね」

 静香は、舞子に相槌を打ちながら、担任の畑石孝信先生が歴史の授業の中で言ったことを思い出していた。

「太平洋戦争を境にして、世の中が変わった。たとえて言えば、戦前という台木に戦後という穂木を接ぎ木したようなものだ。僕も含めて皆は、接ぎ木の果実みたいなものだが、何でもできる自由な民主主義の下で、できれば戦前の良き日本の風俗は吸い上げ、それを滋養としながら立派な新しい日本を築き上げていきたいものですね。どうか実りある果実に育ってください」

 静香には、余りにも理想的な夢のような話で、現実の世の中を見た時、盛り沢山の悪徳がはびこっている気がして、とてもそんな心境にはなれないと半ばあきらめの気持ちで聞き流していたような気がした。それが、今ここで戦前の現実を突き付けられ、生まれた時からの自由な世の中に甘えて、本当に大事なことを見逃していたのかなとの意識が芽生えた。成り行きに任せていては得るものがない、何事も能動的にとりにいかなければとの覚悟が胸の内にむくむくと湧き上がっていた。

 翌日の朝になって、朝食前のひと時、畑石先生の宿泊室のドアーが激しくノックされた。何事かと思って顔を出すと、女子生徒の前林舞子が嚙みつきそうな顔をしてドアーの外にいた。

「先生大変です。静香さんがいなくなりました」 
「いなくなった?どうして」
「分かりません。目を覚まして、ふと静香さんの布団を見ると、空になっていました。部屋の外にあるお手洗いにでも行ったかと思っていましたが、なかなか戻ってきませんでした。同室の他の四人に訊いても、分からないというし、とにかく先生に知らせなければと思い駆け付けました」
「それは大変だ。とにかく皆さんの部屋に行ってみましょう」

 舞子の案内で畑石先生が彼女たちの部屋に行くと、四人の生徒は海の見える窓際の椅子に座り、話しつかれたような顔で茫然としていた。部屋は、十畳の和室だが、六つの布団は、急いでやったのが歴然と雑然とした様子で半分に畳み込まれていた。生徒たちのリュックサックは、部屋の隅にそれぞれ適当に置いてある。その時になって、舞子に連絡を頼んだ指導教員の皆橋公子先生が来室した。

「まったくどうしたんでしょう。さあ、さあ。みんなで家探しよ。荷物はどう。ロッカーの中は?靴は?」

 皆橋先生がそう言うと、生徒たちが素早く動いてそれぞれの個所を確認した。

「リュックはあります」
「服はないです」
「靴はありません」

 生徒からそれぞれの報告を聞いて、皆橋先生が思考をめぐらした。

「ということは、外に出たということね。でもリュックは残っている。戻ってくるつもりだわ」
「リュックはあれです」

 皆橋先生の話から舞子が気を利かして、緑色の地色に白のふちのあるリュックを指さした。すぐに畑石先生が近寄り、持ち上げると舞子が驚きの声を出した。

「先生。下に白い紙が置いてある」
「えっ。どれどれ」

 畑石先生が拾い上げて、二つ折りの紙を広げてみると中に字が書いてあった。

「何ということだ。読みますよ。『かってなこと言ってすみません。私は、沖縄にきたらどうしても行かねばならぬ所があります。夕方には必ず宿に戻りますので、探さないでください。静香』本当に勝手だね、これは」

 ポマードでてかてかの髪をかき上げ、畑石先生が唸った。

「そうですか。それで、柏木さんが沖縄のことで何か言っているのを聞いたことはありませんか」

 眼鏡をずり上げながら皆橋先生の探索が始まった。他の四人の生徒は首を振ったが、静香と親しい舞子が首を振ろうとして、あることを思い出し先生に告げた。

「旅行前の仙台でのことだけど、『沖縄の海には人魚が泳いでいるそうよ』と夢のような話をしたことがありました」
「人魚の話?場所はどこですか」
「場所の話はなかったです」

 とにかく、静香がホテルを出ていったのは間違いがなく、それからの対処が大変だった。すぐに詳細が学校に報告され、学校から家族にも連絡がいった。その際、家族には行き先の手掛かりとなるものの照会がなされ、急いで沖縄の皆橋先生に電話を入れるようお願いされた。
 修学旅行は、そのまま続行として、ホテルには皆橋、畑石の両先生が残り、この件に対処することにして、同行の保健の先生が畑石先生のクラスに随行する手はずとなった。目まぐるしくことは動いて、三十分ぐらいしたら、静香の母、梅子から皆橋先生に電話があった。

「もしもし。すみません。娘がえらい御迷惑をおかけして言う言葉もありません。行き先の手掛かりですけど、娘の部屋を見ましてね、家族とは言ってもプライバシーのこともあるし、いいえ、緊急の場合だから構わないとも思いますが、それでも机の引き出しの中まではかき回す気が起きませんでした。ただね。机の張り付いた後ろ壁に何やら城壁と思われる写真が貼ってあり、その下に〈人魚のいる海〉と書いた紙がくっついているのがありました。参考になるかどうか分かりませんが、お伝えします。それはともかく、これからすぐに私も沖縄に行ってみようと思いますのでよろしくお願いします」

 そのように、母の梅子から電話があったが、家族の要請があり、今の段階では警察への通報はなしで、探してほしいとのことなので、とにもかくにも皆橋、畑石両先生の任務となった。

「探せと言われてもねえ。手掛かりが乏しいわ。先生どう思いますか」

 皆橋先生が思案顔で畑石先生に問いかけた。

「どうしたものか。皆目、見当がつきません」

 畑石先生は、もっとひどく、お手上げ状態で、目の焦点が定まらなかった。

「おほほ。お先真っ暗ですね。考えてみると、今分かっていることは、人魚の海と城壁ですね。これがキイワードになるんじゃないかしら。まずはこの線を追ってみる以外にないでしょう。これが当たるかもしれない。フロントに確かめてみましょう」
「はい。僕が問い合わせます」

 探偵助手となった畑石先生がすぐにフロントに電話をした。フロントで調べてよこした回答によると、その条件に合うのは、東海岸にある中条村でないかということだった。その村には、西側に世界遺産の城跡があり、海岸には人魚の像が横たわり、中条湾には人魚が住んでいるという。那覇からバスで五十分ぐらいだというし、先生たちはレンタカーを借りて直行することになった。昼過ぎについたが、海岸のショッピングモールで遅い昼飯を食べた後、その場で来るかも知れぬ静香を見張ることにした。
 何とも確実性に欠ける話だが、両先生ともこの推理が当たるよう藁にもすがる思いで天に祈るしかなかった。間もなく、那覇空港からタクシーで乗り付けた静香の母、梅子が合流したが、事態が変わるわけではなかった。

「この度は、娘がとんだことをしでかし、御迷惑をおかけしてます。申し訳ありません」

 梅子が両先生と対面するなり深々と頭を下げた。

「いやいや。担任の畑石です。無事見つかればよいですが」
「指導教員の皆橋です。人魚と城跡といえばここみたいですが、本当はどこに行ったのか全く分かりません」

 両先生はそう言って頭を下げ挨拶したが、梅子を見て幾ばくかの違和感を感じ怪訝な顔をした。梅子は、真珠色のシャツに紺色のスカートをはき、まるでモデルのようにすらりと立っていた。顔は細面で目じりがやや吊り上がり、微笑を浮かべて両先生を見ていた。丸顔の目じりの下がった静香とは似ているところが見つからない。
 海岸の白い人魚が見えるモールのテラスに座って梅子が語りだした。

「お二人の見立ての通り、私は静香の生みの親ではありません。私は後妻に入ったのですが、それまではキャバレー回りの売れない歌手をしていました。幾ら歌っても、聴いてもいない酔客とホステスの嬌声の中でした。七色のカクテル光線を浴びながら懸命に歌っていました。歌いながら見えるのです。チークダンスをしながらホステスのお尻をなでる手、座席に残って、ホステスの胸に入れようとする手、スカートの中を探ろうとする手、ホステスたちはそれを適当にあしらってお金を稼ぐ。正に肉欲と金欲の壮絶なせめぎあいの場でした。私の歌なんか誰も聴いていない。それでも、歌が終わるとパラパラと拍手が起こるのです。たとえお義理の拍手でも、それを聞くと嬉しかった。日常の表世界とは違う裏世界。そこには酒で理性を失ったむき出しの欲望が渦巻いていました」

 畑石先生は、梅子が海の青と葉の緑、朱色のハイビスカスの扇子で顔をハタハタと煽ぐのを見ながら、目の動き、唇の動き、顔の動き、身体の動きから夜の街に身をゆだね、化粧になじんだ女の香り、女の雰囲気をそこはかとなく感じ取り、彼女の話に引き込まれた。何か野性的な感情が湧きあがり、ポマードでテカテカの頭に手をやり思わず赤面した。その時、なぜか旧約聖書に記されたソドムとゴモラの話が頭に浮かび、畑石先生は、前に学校の授業で、接ぎ木の果実という話をしたが、あれは幼稚な絵空事の理想論だったと恥ずかしくなった。接ぎ木の果実が、自由を得た分、堕落したのではないかと、それがいいのか悪いのか明確には判じかねて、心のしこりとなった。

「柏木さん。ちょっと的から外れているんじゃないかしら」

 さすがに皆橋先生も話に耐えかねて、眼鏡の奥の目を強め、婉曲的に注意を促した。

「あらあら。脱線でしたねえ。話を本線に戻すと、実は、私の母が居酒屋をやってて、たまたま私が手伝ってるとき、お客としてきたんですけど、主人とはそこで知り合いました。何ね、奥さんに逃げられ、幼子を抱えて苦労している話を聞かされ、柄にもなく私が同情したんです。それで、静香は懸命に育てましたが、我の強い子でね。今でも私を母とは認めません。お手伝いさん扱いでね、私をおばさんというんですよ。それでもずっと一緒に暮らしてきたんだから、心配でこうして駆け付けました」

 最後には、梅子も母親の顔に戻って、真顔になって話を締めくくった。午後の太陽が天空に輝き、コバルトブルーの海の波が風に吹かれて、岸に押し寄せては引いた。

 海を背にして、石垣に囲まれた平屋の民家があった。赤い瓦の上にはシーサーが佇み敷地を見下ろしていた。家の前の芝生の上で、小さな男の子と母親がバトミントンに興じていた。静香が見ていると、男の子はラケットを振っても空振りが多く、贔屓目に見ても上手とは言えなかった。母親はといえば、子供の失敗をものともせず、何度も何度もシャトルを打ち上げ続けていた。丸顔で目じりの下がった顔を見て、静香は、私を捨てた憎いお母さんと思ったが、じっと見ていると、懐かしさで胸が張り裂けるような感情が走った。これからの人生のため永久に区切りをつけようと、ただ見るだけで最後のお別れと思ってきたが、とてもこらえきれない思いに駆られた。これではいけないとそこを離れようと歩きかけると、母親が気付き声をかけてきた。

「あら、珍しいわね。セーラー服の生徒さん。何か御用」
「いや。ただの通りがかりです。バトミントンが面白くて」

 静香は、とっさに笑顔を作ったものの、顔をこわばらせて嘘をついた。

「えー。息子に少しでも上手になってもらいたくって。それにしてもどちらの高校?」
「仙台です」

 静香は、にわかに嘘もつけず、正直に答えた。

「仙台ですか」

 母親は、そう言って、静香をまじまじと見ながら言葉を継ぎ足した。

「私には、事情があり仙台に残してきた娘があって、あなたと同じぐらいの齢ですよ。…………。もしやあなた、静香と言わない?」

 霊感が閃き、母親がハッと身を震わせ、目を見開き静香に迫ってきた。

「違います。私は舞子といいます」 

 何故か分からないが、本当のことは明かしてはならないと、友人の名前がすらすらと口から洩れ出た。

「舞子さんですか」

 母親は、悲しそうにつぶやき、歩を止め、静香の顔に見入った。

「失礼します」

 静香は、踵を返し、歩き出した。

「待って」と母親が言い、追いかけようとしたが、すぐに諦め、涙目になって見送った。

「ママ。バトミントン続けようよ」

 男の子の声を後ろに聞き、静香は、速足になって歩みを進め、すぐに駆けだしていた。泣きそうになるのを堪えて全速力で海岸を走った。砂浜を走っていると、遠くに白い人魚の像が視界に現れた。その後ろの海岸の砂地のむこうで、ピカピカ光る海原には、濃い青色の大空の下、淡い透明な青緑の水の中で、ひめゆりの女子生徒たちが人魚に還り、黒い瞳をきらめかせ黒髪が水に浸り、薄い桃色の肌と七色の下半身でゆらゆらと泳ぎ回っているのが静香の目に幻のように浮かび上がった。はるか遠くで、空と海の濃淡違いの青色が接し、緩やかに丸みを帯びたその天地の境を背景に、すぐにソプラノの歌が聞こえ始め、続いて合唱が湧き起こった。美しい歌のハーモニーが四方に広がった。

 ♬人の国での学びの旅は終わった。終わった
  人魚の国へ、帰っておいで、帰っておいで
  生まれ故郷のあなたの国へ、帰っておいで、帰っておいで♬ 

 海辺に到り、静香は、何の疑いもなく、生まれた家に帰るつもりで海水の中に入っていった。その時後ろから、静香を呼び戻す男と女の声が聞こえた。

「海から、戻れ、戻れ」
「どうしたの。溺れちゃうよ」
「静香、静香」

 追いついた畑石先生がバシャバシャと海に走り込み、膝上まで水に沈んだ静香の手を取って引き戻した。皆橋先生が追いつき、静香のもう一方の手をつかみ砂浜に引き上げた。その時遅れて走ってきた梅子が砂に足を取られて、前のめりに転んだ。我にかえり、それに気づいた静香が走り寄った。

「あっ。お母さん、どうして?大丈夫?」

 静香は、そう言って梅子を引き起こそうとしたが、ちょっとだけで引くのをやめて、スカートの水しぶきをまき散らしながら、そのまま抱きついていった。

「あーあ。お母さん。お母さん」

 母の香りをかぎ、息遣いを感じ、声を聞き、生身の弾力を全身で受け、静香は無心で幼児のころに戻り、声をあげて泣いた。今までせき止められていた川の水が止め板を抜かれ、一気に流れ落ちるようにこれまでの思いをすべてぶつけて泣いた。それは、生みの親か育ての親かの区別がつかず混然となって静香の全身で渦を巻いた。梅子もようやくお母さんと呼ばれ、嬉しくて、嬉しくて静香を強く抱きしめ涙にむせんだ。皆橋先生も畑石先生もその二人の姿を見て、もらい泣きで目が潤んだ。南国沖縄の日の光は強く、ピカリ、ピカリと波に反射し、海水が砂浜を駆け上っては引き返す永遠に止まらないその波動が飽きもせず押し寄せて砂を濡らした。

 

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