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【短編小説】目明かし丹治の捕物帖 2

            おあしは回る

 初夏のさわやかなそよ風が吹き付け、屋敷森の淡い緑色の若葉がカサコソと微風に揺れている。仙台城下の北側にある村の肝煎(名主)、太次郎の館でも田植えが終わり、ほっとした空気が漂っていた。空は青く、所々に白い雲がたなびき、周りの田んぼには、一面に水が張られ、植えたばかりの稲の苗が整然とどこまでも続いていた。

 この日の昼過ぎ、肝煎館の奥の間で、娘、お鈴が着る結婚衣装の品定めが行われていた。仙台城下の反物屋、きさらずの主、藤七が手代の菊三に反物を運ばせ、太次郎とおかみのお紋それに娘のお鈴の前で布地を広げた。一つは白無垢で、次は赤地、最後は青地だった。

 その時、十四歳位の稚児髷の女の子が部屋に入ってきて、皆にお茶を配り、お辞儀して出ようとしたが、消えたと思ったら襖の影からのぞき見を始めた。それに気づいたお紋が声をかけた。

「これ。喜乃。見たいんだろう。構わないから、隠れていないで、部屋においで」

 お紋の優しい声に、迷ってる様子が見えたが、やがておずおずと部屋の入り口に座った。うりざね顔にやや愁いを帯びた目がきれいで、畳の上に広げられた反物を見つめた。

「さあ。どれがいいですか。あなた。どう思いますか」

 お紋が、まずは主の藤七をたて、意見を訊いた。

「うむ。親の意見はともかく着る本人はどうなんだ」
「本人?お鈴。どう。どれを着てみたい」
「全然分かんない。白、赤、青でしょう。私に似合うのはどれ。分かんない。後でいれる模様のこともあり、何も分からない」

 それを聞いて、お紋が困って、部屋の入り口の喜乃に気付き、あろうことか彼女に矛先を向けた。

「そうだ。喜乃はどれがいいと思う」

 思いもかけずお紋に訊かれた喜乃は、仰天して下を向いた。

「おいおい。喜乃には無理だよ。何で意見求めるの」

 さすがに主の太次郎が、慌ててお紋を止めにかかった。

「あたいは青がいいな」

 太次郎の声を聞くと、喜乃が頭を上げて、やっとそれだけを言うとまた下を向いた。

「何よ。あんたの着物を選んでいるんじゃないのよ。あたいは赤がいいわ」

 喜乃の答えを聞くと、お鈴は、きつい目を部屋の入り口に向け、逆らうように赤といった。お鈴の丸い顔は、これといった特徴は見られず、笑うとえくぼが可愛いい。お鈴の意向を聞いて、顔を見て、赤の衣装で大丈夫かなと反物屋の藤七は思った。

「分かりました。お嬢さん。それでは赤の布地を肩にかけてみましょうか」

 藤七は、手代の菊三に指示して、準備させ、自身は大きな鏡をもってお鈴の前に立った。それから四半刻(三十分位)ほどして、布地は決まったが、それは白無垢だった。布地と模様が決まるとお鈴と喜乃は部屋を出ていった。

「いつもごひいきをありがとうございます。ところであの喜乃とかいう娘さんはご親戚ですか。いやね。あの器量では年頃になったらさぞや赤い花嫁衣装が似合うんじゃないかと思いましてね」

 反物屋の藤七が、先ほどからの気がかりにそれとなく探りを入れて、太次郎の顔を窺った。太次郎は、娘、お鈴の容姿をけなされた気がしたか、わずかに苦い顔をしたが、すぐに笑顔になり、答えた。

「いや、違いますよ。住み込みで年奉公の雇人です。まだ子供なのに可哀想な話ですが」
「住み込み、年奉公で、可哀想」

 太次郎の仔細ありそうな話に、藤七は適当な言葉が見つからず、オウム返しに反復した。すると、おかみのお紋が太次郎の話を引き取って語り始めた。娘のお鈴と同じような丸顔だが、小鼻を膨らまし、思いのたけを言葉に紡いだ。

「いえね。あの娘はててごの借金のかたで奉公に入ったんです。わが家への借金じゃないですが、ててごは仙台城下の大工です。道楽者で仕事もしないで遊び歩き、多額の借金で身動きができなくなったんです。結局、借金整理屋に娘が出され、可哀想なので、その金を我が家が払い娘を引き取ったのです。人助けと思ってますが、何しろ大金が絡んでますから、相応の仕事はやってもらっています」
「ててごの借金。それはひどい。よくある話だが、場合によれば遊郭じゃないですか。救いの神ですね」

 藤七が、頃合いを見てお紋の話に合いの手を入れた。

「そうですね。とは言ってもあの娘にとってここが天国という訳でもないんですよ。お金の元を取るために働いてもらってますけど、体壊すと大変だから休みを取ってといっているのに、早朝から夜遅くまでなんですよ。炊事、洗濯、掃除、庭の草取り、野良仕事と、手を休めると怠けものとみられるのが嫌なようで、いつもおびえながら過ごしているみたいです。ここでは心を許せる人がいないし、とにかく一人ぼっちで耐えてるんですねえ。気弱そうに見えますが、気丈な娘で泣いたのは見たことがありません。それでも一度だけ母親が様子を見に来た時は、母の姿が現れるなり、飛びついて泣いていました」

 お紋は一通り話し終え、孤独な娘の心情に思いをはせ涙ぐんだ。その果てに太次郎に喜乃の窮状の軽減策を求めるのだった。    

「ねえ。あなた。何とかならないかしらね」
「そうだねえ。借金は働いて返してもらうのが筋だけど、働き者だから、働き賃を借金以上に出して貯めてあげようか。藤七さんのいう花嫁衣装に当てようじゃないの。それに、時々奥の間に呼んで、お前が寛がせたらいいと思うよ」
「それはいい考えですね」

 反物屋の藤七が相槌を打ち、お紋は、旦那、太次郎の行きとどいた対策を聞き、何度も頷いて憂いを晴らした。   

 しとしとと雨が降っている。今年の雨は例年になく長く続き、湿気が多く蒸し暑くてかなわない。この日、目明かし丹治が子分の松吉と共に女房のお千代が営む一膳めし屋で朝飯を食べ終わったとき、もう一人の子分、良助が雨しずくをまき散らしながら飛びこんできた。

「おやぶーん。てえへんだ―」
「この雨の中、何が起きたんだ。河童でも踊りだしたか」

 丹治が食後のお茶を飲みながら良助をちゃかした。

「そうじゃないです。反物屋のきさらずで五両が盗まれたというんです」「何、五両?千両箱じゃないのか」
「親分。冗談言ってる場合じゃないですよ。一両たって、わしらには拝めないんだから」

 良助が頬を膨らまし、雨の中、難儀しているのにと思いながら、恨めしげな眼をした。

「そうだね。悪かった。すぐ行くから、マツついてきな。ヨシは朝飯を食ってからでいいから。ご苦労だったね」

 丹治は、すぐに自分の悪ふざけを省み、良助を慰撫した。その後すぐに、蓑笠をつけ、女房、お千代の火打石を背に受け、外に出た。
 それから半刻(一時間位)ほどたって、丹治と松吉は、反物屋きさらずの客間に座っていた。そこには、この屋の主、藤七と店の丁稚、磯和がいて丹治の尋問に答えていた。

「それでは、どんな些細なことでも包み隠さず話してもらいましょう」

 目明し丹治が、手のひらの十手をこれ見よがしに上や横に動かしながら藤七の説明を促した。

「はい。店の帳場の箪笥から五両を盗まれたというお粗末な話です。丁稚の磯和が夜中に厠に立ったら、店の方から変な音がしたので、恐々店を覗いたら、店先の横にある通用口から黒い影が逃げるのを見たというのです。磯和の通報で来て見たら、帳場には帳簿が散らばり、箪笥は開けられ、中の五両が足りません。急いで外に出たけど、暗闇の中、誰もいませんでした」
「なるほど。それでは、磯和さんに訊くけど、その黒い影というのはどんなだったい」

 丹治が訊く相手を変えて、十手で自分の肩をたたき、それとなく威圧した。

「通用口から外に抜ける瞬間だったので、丸っきり分かりません」
「灯りは持ってなかったのかい」
「行燈を持っていました。だけど一瞬だったので何とも言えません」
「着ているものは、色とかも分からないと」
「その通りです」
「それで、帳場は確認したのかえ」
「へえ。行燈をかざしてみました。帳簿類が散らばっていて、すぐに旦那様に知らせようとその場を離れました」

 何とも捉えどころのない磯和の答えに、業を煮やし、丹治は再び主の藤七に向き直った。

「それで、旦那が帳場を見て、五両消失の外に変わりはなかったですか」

 この問いに藤七は困惑の表情を浮かべて言いよどんだ。それを見て、丹治が十手で畳をつつきながらすごんだ。

「旦那。洗いざらい言ってもらわないと為になりませんよ。泣きを見てもいいんですかい」

 丹治の剣幕に藤七は苦笑を漏らしながら話し出した。

「いやね。お客様の損得に関わるので巷には出さないでください。つまりは、客の積金帳が見当たらないんです。それと五両の借用證がありました」「何。積金帳と借用證だと」

 丹治は意図を測りかねて首を振った。

「とにかく、帳場と通用口を見せてもらおう」

 帳場では、乱雑に散らばっている帳簿を眺め、箪笥の錠前を確かめ、そのあと丹治は通用口に来て、引き戸の具合を検分した。引き戸は木製で、戸締りは内側につっかえ棒を斜めに当てるというもので、いたって簡単だった。

「棒の接触面に外側から戸板に穴をあけ、穴越しに押して、つっかえを外したようです」

 問われもしないのに、主の藤七が説明した。

「なるほど。よく考えたもんだ。今日はここまでだな。きさらずの旦那。邪魔したね。」

 丹治は、内側から外側へと丹念に穴の具合を見た後は、特段の詮索もしないで、そのまま反物屋を出ていった。とは言っても丹治が犯人の手掛かりをつかんだ訳ではなかった。何か迷路に迷い込んだような気がして、丹治の胸は晴れなかった。外部の犯行に見せようと巧妙に仕組まれたような思いがして、その可能性も捨てがたく、丹治は、反物屋の向かいの家の二階を借り切って、子分を張り込ませ、店への人の出入りを見張らせた。

 見張って三日目に二挺の駕籠が店に入った。降りたのは、仙台北部の村の肝煎、太次郎とおかみのお紋だった。半刻ぐらいいて帰ったが、それから五日後の朝早く、丁稚の磯和が北に向けて店を出た。股引をはき、脚絆をつけ、どうも遠くに行くらしい。この日は、丹治も部屋に来ていたが、これを見て、すぐに子分二人に行き先を突き止めるよう指示した。

 丹治が待ちくたびれて、部屋に寝転がっていると、昼過ぎにようやく松吉と良助が戻ってきた。     

「ややや。疲れたろう。どうだったの」

 丹治は、起き上がりざま、性急に報告を求めて二人を見た。

「あっそうか。腹減ってんだろう。ここにお千代の握った握り飯があるから食べながらでいいよ」

 ああ有難いと二人は何はともあれ、握り飯にかぶりついた。

「それで、磯和ですが。あ奴は、北の肝煎、太次郎の屋敷に入りました」

 口をもぐもぐさせながら、松吉が丹治に報告した。

「それを確かめて、すぐ戻ってきましたが、よかったですか」

 同じく口を動かしながら、良助が不安そうに丹治を見た。

「おー。十分だ。何となくつながってきたじゃないの」

 丹治は、そう言って、嬉しそうに頷いて見せた。

「マツとヨシ。明日。肝煎のところに行って様子を探るから、今宵の夜遊びは厳禁だよ」

 軽く冗談を言いながら、丹治は下に降りていった。

 それから二日後の昼過ぎに、番所の中では反物屋の丁稚、磯和が首を垂れて畏まっていた。

「お前さんにちょっと訊きたいことがあるんだけど、面倒かけてすまないね」

 丹治が下手に出て磯和の心をほどきに出た。

「消えた五両の話だけどね………」
「ごめんなさい。おいらが借りました」

 丹治が話を切り出すや否や、磯和はがばと畳の上にひれ伏した。

「まだ何も言ってやしないよ。大変になるから嘘をついちゃいけないよ」「嘘じゃないです。おいらがやりました」
「何のためにそんな大金を盗ったんだい」
「そ、それは」
「言えないのかい。それじゃ、店には帰れないよ」

 丹治がやんわりと脅しに入った。

「言います。借金のかたで年奉公に入った幼馴染を救うためです。牛馬のようにこき使われて大変なんです。親分さん。どうか見逃しておくんなさい。あの娘は、誰も知らない他人の中で耐えて泣いているのです」

 磯和が急に感情を高ぶらせて畳に這いつくばった。

「人のためとはいえ、盗みはいけないよ。悪いようにはしないから、奉行所に行ってもらいましょうか」

 丹治は、肝煎、太次郎の話との符合を頭に浮かべながら磯和に告げた。磯和のやったことは善行には違いないが、掟に反していると丹治は、心に浮かんだ同情の芽を摘んだ。

 この事件の裁定は、仙台平野の稲刈りが終わったころに仙台城下の町奉行所で行われた。奉行所の広間では、前面の高座に奉行が、その右隣には郡代が座り、高座の両側には与力、同心などの面々が控えていた。その前の板の間には事件の関係者がかしこまっていた。一番手前の板敷きに丁稚の磯和が首を垂れて座っていた。全員がそろうと程なく事件の裁定が開始された。担当の与力から事件の内容が開陳され、それが終わると、奉行が口を開いた。

「この度は、城下外にも及ぶため郡代が同席している故、承知おかれたい。そこで丁稚、磯和に訊くが、その方は、金子五両の借用證を置いて、金を持ち出したというが相違ないか」
「へい。その通りです」

 磯和はゆるりと首を上げ、低い声で答えた。

「その金を肝煎、太次郎に持っていき、父親の借金で年奉公となった幼馴染の娘、喜乃を助けようとした」
「へい。間違いありません」
「次に、反物屋の藤七に尋ねるが、借用證はあるのだな。それに積金帳なるものは後で出てきたとか」
「はい。いずれも厳重に保管しています」

 藤七は尋問の意味は深く考えもしないで、事実のままに神妙に答えた。

「肝煎のだんなに尋ねるが、借金が返れば娘をどうするつもりか」

 ここで、郡代が口をはさみ、太次郎の顔を見て頷いた。

「はい。娘、喜乃の考え次第です。いかようにも」

 それを聞いて、郡代は、小さく縮まっている喜乃に優しく話しかけた。

「肝煎の旦那はああ言っている。喜乃とやらの望みはいかがかな」
「分かりません。あたいを心配してくれるのは嬉しいですが、人様の金をとって磯和さんが罪になるのは切ないです。そんなことしなくても、あたいが働けば返せるのだし、だんな様もおかみ様も優しいから、あたいは家には帰りたくありません。どうか、私が働けばいいのですから、そっとしておいてくださいな。お願いします」

 小さなか弱い喜乃が、奉行所の板の間に額を擦りつけて、肩を震わせ懇願の声をあげた。それを見て、広間の中は無人のごとく静かになった。ややあって奉行が声を張り上げた。

「これより裁定を下す。反物屋の藤七は金五両の借用證を所持し、それに積金帳も現れたから損害は認められない。正当な取引とみなし、よって丁稚、磯和はお構いなしとする。肝煎の太次郎は、預かりの金五両を受け取り、娘のくびきを解くのだ。そこで喜乃は、肝煎でも反物屋でもどちらかで働いて、磯和と二人で借金を返すがよかろう。異存はありやなしや」

 奉行はそう言ってしばし沈黙の後に声を張り上げた。

「これにて裁定は終わりとする。本日の一件落着」

 そう宣告すると、奉行は郡代とともに広間を去った。その後に残る裁定の余韻の中、緊張がほどけ、皆の胸に安どの気持ちが広がった。

 翌日の夕方、お千代の店で同心、井崎の設営により目明かし丹治と子分二人の慰労会が開かれた。

「おかみさん。いつも旦那を借り受け申し訳ないね」
「良いですよ。この人、家にいてもやることがないんだから。大いに使ってください」

 同心の井崎が礼を言うと、お千代は、謙遜気味に丹治を下に置き、言葉を返した。

「ははー。親分もおかみさんにかかっちゃ、実も蓋もねえ」
「これで、うちらも小遣いにありつける」

 子分の松吉と良助が安どの声をあげた。

「ところで、親分は、こんどの件で初めから曲者は内部の者と踏んだのかな」
「いや。何とも言えないです。ただ、積金帳の紛失を聞いて、外部からとの偽装じゃないかとも思いました。木戸の穴を見たら確信に変わりました。穴がね、内側が広くて、外側が幾分狭い。これはね中から削ったに違いない」

 丹治の説明に、井崎は大きく頷き、納得の表情でお膳の肴を箸でつまんだ。

「今回も奉行の裁きで大事にならずによかったと思う。それにしてもおあしはよく回るものよ。有難いが、怖いものでもあるな。吾ら下々の者に大金は縁のないものだが、気をつけなくちゃ」

 同心の井崎は、しみじみと言葉を紡ぎ出し、盃の酒を一気に飲み干した。それを見た丹治がすぐに徳利を取り上げ井崎の盃に酒を注いだ。


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