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【短編小説】目明かし丹治の捕物帖                                    

            酒樽は笑う

 梅雨時になって、毎日、しとしとと雨が降り続き妙に暑苦しくうっとうしい。時には激しく降ることもあり、仙台城下を流れる広瀬川は、いつもよりは水かさが増し濁っていた。今日は梅雨の晴れ間で、時々日も差し、どこの家の庭先にも洗濯物が干され風に揺れていた。時は江戸時代、五代将軍綱吉の治世で、仙台は四代藩主綱村が治めていた。

 この日の朝早く、仙台の酒問屋さえもんの手代、駒吉が酒樽二つを積んだ荷車を丁稚の音松にひかせ、お城に向かっていた。橋を渡るため、広瀬川の近くに来た時、川原に生えた濃緑の草木の陰から抜刀した総髪の男が二人飛び出してきて、道をふさいだ。着物はよれよれで、刀は一本ざし、一癖も二癖もある顔つきでただ者には見えなかった。そのうちの一人が喚いた。

「その酒樽、ここからは我らが運んでやる。文句あるなら言ってみろ」

 男はそう脅かした上に刀を振り上げて威嚇した。

「ひえー。お助けを」

 音松は真っ先に悲鳴を上げ、荷車を放り出して逃げようとして転んだ。駒吉は、よたよたと尻もちをついて、震えながら片手を突き出し、刀を防ごうとした。

「殿様に届ける酒だよ。ただじゃすまないよ」

 それでも、口だけは動いて、何とか酒を取られまいと相手の気を削ごうとした。

「しゃらくさい。行くぞ―」

 男は、駒吉の頭の上で刀を一閃させると、鞘に納め、もう一人の男と二人で荷車を引き、川沿いに北の方へ逃げ去った。

 女房のお千代が営む一膳めし屋の二階で、目明し丹治は、昼飯後に眠気を催し、団扇を片手に横になり、うとうとしていた。そのときドタドタと階段を駆け上がる音がしたと思ったら、子分の良助が息せき切って顔を出した。

「親分。てえへん。てえへん」
「何だ、真昼間から騒々しい」

 丹治が起き上がって、良助を見ると、下で昼飯を摂っていたもう一人の子分、松吉も顔を出した。

「へい。今朝早く、城下の広瀬川近くで酒問屋さえもんの荷車が賊に襲われ、奪われたという話です」
「酒だと。酒の話は暗くなってからにするもんだ」

 急に起こされ、眠りから覚め切っていないのか、丹治がトンチンカンに応じた。

「親分。目を覚ましてください。酒問屋の酒樽が盗賊にとられたというんですよ」
「さえもんとか言ったな。すぐ行くぞ。マツとヨシついてこい」

 分かれば素早かった。目明かし丹治は十手を腰に差すなり、一膳めし屋を飛び出した。この稼業は、いつ何が起こるか分からない。女房のお千代は心得たもので、無事を祈り、火打石を打って亭主を送り出した。

 酒問屋さえもんの客間で、目明し丹治が、この屋の旦那、左衛門と手代の駒吉それに丁稚の音松を相手に事の顛末を聴いていた。

「とにかく洗いざらい話してもらいましょう。隠し事があったんではためにならないからね」

 目明し丹治が鋭い目つきで駒吉と音松を見ながら、相手は被害者なのに、十手を上げ下げしながらあらかじめ釘を刺した。油断も隙もありはしない。実は被害者を装ってちょろまかしたのかもしれないと用心をしたのだ。

「へい。荷車で酒樽を二つ運んで、広瀬川の手前まで行ったら一本ざしの輩が二人現れて、酒樽を奪い北へ逃げちまったのです」
「一本ざしだと?侍じゃなかったのかい」
「へい。黒っぽい着物で、細い袴をはいてました」
「えっ。忍者みたいじゃないか。顔は?」
「頭巾はしてなかったです。頭は総髪で、目は、一人は大きく、もう一人は細目でした」
「これじゃ何も分からない。盗賊の一味なのか。旦那は、何か心当たりがあるんじゃないですか」

 余りにも雲をつかむような話に業を煮やし、丹治は主の左衛門に矛先を向けた。

「はい、手前にも何が何やら見当がつかない有様で。親分にお手数かけるのも気の毒な話で、何、酒のふた樽でそんなに騒ぐこともありません」

 左衛門はにこやかにもみ手をしながら撤収を図った。その微妙な笑顔から、丹治は、左衛門の心の中に何か触れられたくないことが浮かんだのだと思った。けれどもそれは、丹治の勘であくまでも推測の域を出ないものなので口には出さなかった。商売人には、それなりのアコギな面が隠されているものだとの思いが頭に浮かんだが、それはそれ、今はもう少し時の経過を待とうと思った。

 番屋に戻って、冷静になって丹治は今日の探索を思案した。盗賊たちは、酒樽を積んだ荷車を引いて北に向かった。あのまま行けば目立つことこの上ない。道路沿いの誰かは見てるだろうと思った。

「マツとヨシに頼みがある。明日から盗賊が逃げていったという道沿いの家に乗り込んで、一軒残らず荷車を見なかったか聴いてもらいたいんだ。見たという家がなくなるまで徹底的にやってもらいたい。駄賃ははずむから」「へい。分かりやした」
「親分。任してください」

 松吉と良助が同時に答えた。

「よし。それじゃ、お千代の店で夕飯でも食うか。マツとヨシついてきな」

 目明し丹治が立ち上がると、子分の松吉と良助も嬉々として親分の後についた。外に出ると、早くも日は沈みかけ、真っ赤な夕焼けが西空に広がり、ねぐらに帰るのか烏が三羽飛んでいくのが見えた。赤色の空の中で、黒色はあくまでも黒く、それがだんだんと小さくなって、やがて赤色に包み込まれるように消えていった。

 七日後の夕方になって、目明し丹治と子分の二人は、女房お千代の店で夕飯を食べた後、その二階で探索の評価をしていた。

「酒樽を積んだ荷車を見たというものはいたのかい」

丹治が松吉と良助の顔を交互に見ながら探索の報告を求めた。

「へい。どうも奴らは、川沿いに進んだようで、川なりに左に曲がり、八幡宮の門前町でも見た人が居りやした」

 松吉が答えると丹治はさらに突っ込んだ。

「その先はどうなった」
「へい。その人の言うには、西を向いてたとのことだから、おそらく愛子街道にでたんじゃないかと思い、街道沿いの農家にもあたってみました。だけどどこにも見た人はいませんでした」

 今度は良助が答えた。それを聞いて、丹治は思案した。二人の話の通りだとすると盗賊は仙台城下から出ていないことになる。

「いやあ。苦労掛けたね。今夜はこれで終わりだ。飯の食べた後で何だが、酒でも一杯飲んでいったらいい」

 丹治は、階下に声をかけて、お千代に酒と肴を所望し、松吉と良助の慰労に心を砕くのだった。

「いつも助けていただき、ありがとうさん」

二階に酒肴を運んだお千代も笑顔を浮かべ、子分の二人をねぎらった。

「あれ。おかみさんの丸髷のかんざしは、親分の贈り物ですか」

 良助が、お千代の黒髪に刺された銀色のかんざしを指さして訊いた。

「そうよ。店の手伝いもしないで御用、御用と走り回っているから、その償いだって」

お千代が笑って、照れ臭そうに苦笑いを浮かべた丹治の顔を見た。

「へえー。親分は、おかみおもいで本当は優しいんだ」

 松吉がびっくりしたような声を出すと、お千代は笑いながら首を振り振り下に降りていった。

 翌日は雨になった。朝から降っていて、昼近くなっても止まなかった。丹治は番屋の中で、雨音を聞きながら事件の成り行きを思案していた。その時、番屋の引き戸を外からたたく音がしたと思ったら、ガラリと開き、雨傘をばさりとたたんで、雨しずくを落としながら一人の男が入ってきた。丹治が出てみると、それは酒問屋さえもんの丁稚、音松だったが、元気なく頭を垂れていた。

「音松さんじゃないか。どうしました」

 丹治が声をかけると、音松は、黙って右手を開き、突き出した。そこには何やら細い棒状のものが金色に輝いていた。

「これは。黄金のキセルじゃないか。どうしたというんだい」

 丹治が、金色の正体に気付き、問い詰めると音松はポツリ、ポツリと語りだした。

「あの時、樽酒を取られた時、後を追いかけたけど、諦めて戻ってきたら、道端の草むらの陰で光るものがあったので拾い上げたらこのキセルでした。樽酒とは関係ないと思い、隠し持っていたんだけど、そのあと、旦那の巾着の亡失騒ぎがあり、丁稚の持ち物が調べられ、キセルが見つかったのです。すぐ番屋に届けろと旦那からきつく叱られました」
「ふーん。そうかえ。どれみせてみ―」

 丹治が手に取ってみると、それには龍の彫り物がゆるりと渦巻いており、本物の金細工とみられ見事な拵えだった。ひとまず預かっておくことにして、音松には帰ってもらった。このキセルが音松の言うように酒樽強奪事件と関係はないのか、それともあるのかは皆目見当がつかなかった。丹治は思案にくれて龍模様のキセルを横にしたり縦にしたり回したりと角度を変えて眺め続けた。こうなると、周りで声をかけてもよほどのことでない限り少しも動かない。呆れるほど剛直といおうか、よく言えば集中力がすごいといおうか、好意的に言えば目明しには時として必要になる能力のようにも見える。居眠りでもしているのかと思うほど静かだったが、やがてムクリと体を動かし背伸びをした。

「おーい。マツとヨシはいるか。城下の絵図を持ってきてくれないかな」
「へー。合点」

 松吉の返事が聞こえ、ガサゴソと音がして、間もなく仙台の絵図を持って現れた。それを受け取ると、丹治は、広瀬川沿いから八幡宮周辺の街並みを丹念に調べ始めた。小半刻(三十分位)ほど、あれこれ吟味していたが、ひょいと顔を上げると、松吉と良助を呼んだ。

「マツとヨシついてこい。これから八幡宮門前町界隈の探索だ」
「へい。承知しました」
「へい。合点」

 丹治を先頭に、松吉と良助が後に続き、勢いよく番屋を飛び出した。だが、すぐには現地に向かわないで、お千代の店で夕飯を食べて、夜になってからの活動となった。暗い夜道を、松吉の持つ行燈の光を頼りに三人は八幡宮の門前を目指した。先を行く丹治は迷いもせず、神社の参道前を通り過ぎ、街並みの切れるあたりで前方を指さした。

「向こうの林の中に大きな家がある。そこは空き家になっているはずだが、小売りの酒屋たつのやの別宅がある。あの龍模様のキセルから閃いたんだけど、そこを探ろうとの話だ。ここからは、行燈を消して、音をたてぬよう注意して歩くとしよう」
「へい。分かりやした」

 丹治の指示に、松吉が行燈を吹き消し、月も出ていない真っ暗な中、雑木の間の小道を進むとやがて行く手に黒ぐろと建物が現れ、空き家のはずなのに灯火が見えた。三人は静かに歩み寄り、小窓からそっと中をのぞいた。中には七人の風体の怪しげな男たちがいて、夢中になってさいころを振っていた。周りには徳利が転がっており、どうやら酒も飲んでいるようだ。空き家のはずなのに得体の知れない人がいる。それを確かめると、丹治が戻る合図をして、三人は、元来た道を引き返した。

 翌日の早朝、丹治と子分二人が先導して、同心の井崎が率いる捕り方の一隊がたつのやの別宅に殺到したが、曲者たちは逃亡し、すでにぬけの殻となっていた。

「井崎の旦那。案の定ですね。奴らは何もかも分かっているようですよ」

 目明し丹治が同心、井崎に心得顔で話しかけた。

「うむ。きゃつらの筋書き通りというわけか。家の裏には空樽二つと荷車がこれ見よがしに置いてある。酒屋のたつのやは見え透いた仕掛けをして我らを愚弄する。思い知らせてやるわ」

 同心の井崎が憤慨して、振り上げた手の落としどころとして、たつのやに向けてこれから直行する気配を見せた。それに気づいて、丹治が別策を提案した。

「井崎の旦那。早まっちゃいけません。ここは、ひとまず引きあげて少し泳がすのが得策と思います。真相は闇の中だけど、そのうちきっと尻尾を出しますよ。それよりも旦那。せっかく出てきたんですから、町の掃除をしたらいかがですか」
「町の掃除だと。箒は持ってきてないよ」

 ここまでくるとさすがの井崎も丹治の遊び心に乗っかった。

「へい。箒はいりません。この近くに許しのない賭場がありましてね。そこで遊ぼうとの話ですが」
「それはいい話だ。案内してもらいますか」
「へい。少し手荒いですが、気を付けてお入りなさって」

 そこから半里ほど先の門前町の一角にある一軒家に丹治が捕り方の一隊を誘導した。

「頼もう。御用の筋だが、入らせてもらうよ」

 丹治の大声を聞いて、中から出てきた粋ないでたちの男がすぐに後ろを向いて叫んだ。

「旦那方。出番ですよ。おねげいします」

 すると中から刀を振り上げた用心棒が三人出てきて丹治に襲い掛かった。丹治は最初の侍の刀を交わし、したたかに十手を肩に打ち下ろした。侍は刀を飛ばされ、肩を抑えてうずくまった。丹治はすぐに入り口を飛び出し、追いかけてきた侍に振り向きざまイシツブテを投げると、それが相手の右手に当たり、持ってる刀を落とし腕を抑えた。三人目の侍は、同心の井崎が峰打ちで一撃の下に打倒した。
 そのあとは捕り方たちが家の中になだれ込み、客も含め十五人位の全員を捕縛した。この捕物は白昼でもあり、八幡宮の参拝客も含め、かなりの人が周りを取り囲んで見物するという騒ぎとなり、ちらほら拍手するものも見られて、ちょっとした見世物になった。

 次の日の夕刻、お千代の一膳めし屋で同心、井崎の肝いりにより目明かし丹治と子分二人の慰労会が開かれた。

「いやあ。とにかく丹治親分たち三人のおかげで事件が解決した。礼を言う。まずは乾杯だな。はい乾杯」

 井崎の合図で、お千代の注いだ盃を四人は飲み干した。

「おや、おかみさん。今日は銀のかんざしで、とても艶やかですね」

 井崎が目ざとく見つけて、お千代を褒めた。

「いやだ。旦那の奥様にはかないませんよ」

 お千代が謙遜して、手を振った。

「月とスッポンですね」
「それはない。甲乙つけがたしでないですか」
「何よ。あんたたちは」

 松吉と良助がそれぞれ勝手な意見を言うと、お千代は二人をたたく仕草をして、睨みつけ、一階にある奥の部屋を出ていった。松吉と良助は、顔を見合わせ、首を縮めて小さくなった。

「今回の事件は、賭場で酒問屋さえもんの番頭、与惣次が捕まり、すっかり白状して、あの男の自作自演となったが、主が知らないとはどうも眉唾物だな。それはともかく、丹治親分は、本当のところどう見ていたのかな。賭場のところまで見通していたのか」

 お千代がいなくなると、同心の井崎が真顔になって、丹治の顔を探った。

「へい。始めのころは、あっしも真に受けていましたが、だんだんとおかしいと思うようになりました。丁稚の音松が現場で拾ったと金のキセルを持ってきましたが、あまりにも見事すぎて違和感が生じました。作為を感じたのです。それでもキセルの龍もようからたつのやのことを思いつき、絵地図で八幡宮の門前界隈を当たったのですが図星でした。賭場については、もしや荷車を奪った輩がいるのではないかとの想像でしたが、まさかさえもんの番頭がいるとは思いの外でしたね。酒屋たつのやの仕業と見せる番頭、与惣次の仕掛けとは、話にもならない」

 目明かし丹治は、最初のほうは淡々と声を出していたが、最後は憤懣やるかたない表情で話を締めくくった。

「うむ。そうさな、とんでもない話だ。与惣次の言うには、さえもんとたつのやの主があるとき寄合で諍いを起こし、それを機にたつのやに酒を回さなくなったというんだな。たつのやは困って、上方の酒を取り寄せたら大繁盛となった。そんな様をやっかんでいるさえもんの主を見て、番頭が気をまわしたというお粗末な話だ。本当は主の意向だと思うが、それはさておき、あくまでも奉行の考え次第だが、どこにも被害は出てない茶番ということで決着しそうな雲行きなんだな。ここだけの話だがね。それでも,左衛門と与惣次は奉行に呼び出され、きつい叱責を受けることにはなるようだ。まっ。大事にならず、よかったということかな。ハハハ」

 同心の井崎は、そのように話を終え、微妙な気持ちを押し隠すように、低い笑い声をあげ、口をすぼめて盃の酒をすすった。





 

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