【短編小説】目明かし丹治の捕物帖 3
救いの神
雨の季節が過ぎて、本格的な夏が来た。朝から灼熱の太陽が照りつけ、昼過ぎには真上に来て、四方に熱気を放射する。遠い西の空には入道雲が湧き立ち始めたが、雨になるかは分からない。街中を縦横に結ぶ道路は乾ききって、時折吹き渡る風に砂ぼこりが舞う。
ここ仙台城下の米問屋まんぷくの主、佐平治は昼飯の後、奥の居室に横になり、団扇でじっとりと汗のにじみ出る顔を煽いでいた。縁側から見える小さな池には水が張られ、金魚が泳いでいる。その周りには形の良い庭木が生い茂り、見た目の涼を醸し出していた。庭木にはジョロウグモが網を張り獲物を待ち受ける。その上を黄色の縞模様のオニヤンマが、行きつ戻りつ、そこに飛び交う子虫に襲い掛かり、眼と顎だけの大きな口にくわえ込みかみ砕く。佐平治は、寝転びながら、オニヤンマの過酷な狩りの模様を飽きもせず眺めていた。獲物をしとめる時の素早い飛行が何度もどん欲に止むことなく続いた。その執念と峻烈な営みに、佐平治は生きるための理に粛然となり心を震わせた。その時、おかみの登与が部屋に入ってきた。
「あなた。今、飛脚が来ましてね、江戸の米問屋に丁稚奉公に出した倅、時清からの文です。それで返事をもらうよう言われたと店で待っています」「飛脚だって?どんな風体なの」
佐平治は、受け取った文を見ながら登与に訊いた。
「変わりないです。穏やかな優し気な人ですよ」
登与が言い終わるや否や、佐平治が驚きの声を出し、文を登与に渡した。
「見てみい。時清のこおりから三両がなくなったそうだ。だけど、丁稚風情では言いだせないという話だ」
「字が時清のものでないみたい」
冷静に登与が言うと佐平治が言い返した。
「米を持ち上げる時、肩を壊したと書いてある。そのせいだろう」
それでも不信感が残ったが、登与が黙った。と同時に倅の困っている様子が俄かに頭をよぎり、すぐにでも助けねばとの気持ちが湧き起った。
「時清がお金を飛脚に託すよう書いてあるわ。すぐに用意するから、あなた、添え書きと包み紙をお願いします」
「分かった」
佐平治も、時清の困惑を思い、焦燥感に駆られ送金の準備をして、店で待っていた飛脚に渡した。飛脚の男は、三両の包みを受け取ると、笑顔を見せ、丁寧にお辞儀をして店を出ていった。
それから五日後の昼過ぎに、米問屋まんぷくの客間では、目明かしの丹治と子分の松吉それに良助の三人が暑さで汗を流しながら、主、佐平治とおかみ、登与の話を聞いていた。開け放った縁側から風が入るものの、それはまさに熱風で何の役にも立ちはしない。
「今朝早く倅の文が届き、それを読むと何事もなくぶじだとの話で、金のことは何もありません」
佐平治が恨みがましく口を尖らした。
「いえね。私が悪いんです。飛脚の言葉を信じて、倅可愛さにすぐに送ってやろうと騒ぎ立てましたから」
おかみの登与は自責の念に駆られ、赤い着物の合わせめに覗く、暑さで汗ばむ白い胸に団扇で風を送りながら、一身に罪をかぶろうとする。
「いや。わしも一緒にやったんだからお前に咎はないよ」
佐平治も団扇を使いながら、そう言い、お互いにかばいあった。
「おやおや。仲がいいことですね。二人に罪はないです。悪いのはだました奴さ。どんな風貌だったんですか」
丹治も借りた団扇で顔を扇ぎながら、十手は畳の上に置き、様にならぬ様子で佐平治と登与の顔を交互に見た。
「飛脚の扮装には違いないが、顔は目じりが下がり優しく見えましたね。深々とお辞儀までしていった」
佐平治が苦い顔をして忌々しげに答えた。
「人を騙すんだからそんなものだろう。やれやれ、これで今年になって三件目だよ。同じ輩の仕業だな。まっ。これに懲りて用心してくださいな」
これ以上聴いても何も出てこないと丹治は見切りをつけ、腰を上げた。ただ暑いだけで頭もさえない。家に帰って水風呂でも浴びて、ゆっくり考えてみるかと挨拶もそこそこに退散した。
仙台城下の味噌屋こまのえの居間で番頭の与作が、庭から差し込む朝日を浴びながら、青い顔をして、主の門大夫に告げていた。
「旦那様。けさ、あっしが土蔵で、中にしまっている金子と帳簿を合わせていたら、いくら数えても二十両が足りないんです」
「何。二十両足りないだと。すぐ行ってみよう」
門大夫も驚いて、土蔵に行ってみたが、主が顔を見せたからとて小判が現れるはずもなかった。
「入口の錠前はかかっていたのかえ」
「はい。ちゃんとしてました」
「この蔵は、お前だけが開け閉めして、誰も入れないはずだが、鍵の使用を誰かに許しているのかな」
「そんなことはありません。あっしだけです」
門大夫は、疑わし気に与作の顔を見ていたが、すぐに薄暗い土蔵の中を見回した。そこには、中の通路を挟んで木の棚が両側にあり、棚の上には、帳簿類の外、様々な商売用品が並んでいた。どこも荒らされた様子は見えなかった。右側にある戸棚の中だけがかき乱されたはずなのに、番頭の与作も気づかぬほどに元に戻っていた。
「そこには、千両ほどあったはずだが、外は何ともないのか」
「はい。二十両以外は大丈夫です」
「どうして、それだけなんだろう」
門大夫は、再び疑わし気に与作の顔を見たが、あとは何も言わずに土蔵を出ていった。
それから半刻(一時間位)程して、こまのえの居間に目明かし丹治と子分の松吉それに良助が現れ、店の主、門大夫と番頭の与作に対座していた。
「そんなことでして、これは親分のお耳に入れておいた方がよいと思いまして」
門大夫がもみ手をして、事の次第を話し終えた。
「とすると、何かえ。二十両が消えたというのは間違いがないと。数え違いとか、勘違いとか、それはどうなの。だとするとえらいことになりますよ」
丹治が十手を右手から左手に持ち替え、また右に移した。
「はい。間違いありません。あっしがきちんと確かめましたから」
番頭の与作が門大夫の後ろから遠慮がちに答えた。
「ふーん。出入りが番頭さんだけとすると、盗れる人は他にいないじゃないの」
丹治がぬけぬけといって与作の顔に見入った。
「本当にあっしがやったなら知らんふりですよ」
与作は疑われたと知って、気色ばみ、腰を浮かして、言い返した。
「いやいや。冗談ですよ。さてと、後は土蔵を見るとしますか」
丹治がそう言って立ち上がると、門大夫と与作が慌てて前に立ち案内した。土蔵に来ると、丹治は門大夫の説明に頷きながら、入り口の錠前の具合とか、小判が入っている戸棚の状況とかを丹念に確かめて、外に出た。
「おや。娘さんですか。かんざしが似合いますね」
丹治が外で遊んでいた稚児髷の女の子を見つけ門大夫を振り返った。
「はい。七日前位にかんざし売りが来ましてね、娘が気に入って買ったんです」
「それはよかった。かんざし売りはよそ者かえ?」
「いや。城下の職人です。帰り際に、白壁の土蔵を見て、『あっしも土蔵ぐらい持ちたいものだ』とかつぶやいて立ち去りました」
「そうかえ。邪魔したね」
丹治は挨拶して、松吉と良助を引き連れ、急ぎ足でその場を離れた。
かんざし造りの職人といえば、調べてみるとすぐに分かった。城下の外れに店を構える由太郎という三十がらみの職人で、腕はいいけど仕事はしなかった。女房もいない独り身で、金があるはずもないのに賭場に入りびたった。不思議なことに博才に秀でているのか負けがこんではいないようだった。だが、賭博でそんなはずはなかろう、何かからくりがあるに違いないと、丹治は勘が働き、日常的に見張ることにした。特に夜間の出入りには気を付け、隣家の二階を借りて、三人が交代で寝て、夜通し目を凝らした。
見張りを始めて、三日目の夕方、薄暮の中に店から三人の男が出てきて、北に歩き出した。
「親分。男が三人、店から出て北に向かっています」
見張っていた松吉が畳に寝転がってる丹治に告げた。
「そうか。すぐに後をつけよう。二人ともついてこい」
丹治は、そう言うと十手をつかみ階段を駆け下りた。
「へい。承知」
「へい。合点」
松吉と良助が同時に返事して、丹治の後に続いた。道に出てみると、北に向かった三人の男は遥か遠くに離れていたが、丹治と子分二人は、見失わないように尾行を始めた。奥州街道を北へ進んでいく。かなりの速足なので、丹治たちもほとんど走るようについていった。四半刻(三十分位)程で左の丘陵地帯に入ったので、人の姿は見えなくなったが、前の三人は提灯を持っていたので、その灯りを頼りに灌木の中を追った。さらに四半刻が過ぎるころ前の灯りが消え、真っ暗闇となり、尾行ができなくなった。丹治たちは用心しながら前に進んだが、手掛かりがなくなり、立ち往生となった。夜烏の鳴き声が突然響き渡り、ばたばたと飛ぶ音が聞こえた。
「あっ。向こうに光が見える」
松吉が小声で言うのを見ると、淡い青白い無数の光点が縦横に揺れ動いていた。
「あれは蛍だな」
丹治が声を出し、近づいてみると、小さな水流があり、蛍の群舞が流れに沿ってどこまでも続いていた。周りの低木が微風になびき、不気味な音を立てた。
「何か出るんじゃないですか。もう帰りましょうよ」
最初に若年の良助が弱音を吐いた。
「あっ。向こうに白いものが」
松吉がぶるっと身を震わして、逃げ腰になり声をあげた。
「何。雲間から出た月の影が水面に映ってるだけだよ。それにしてもあとは無理だな。戻るとしようか」
さすがに丹治は冷静だったが、戻ると決めて後ろを向いたとき、風に乗ってひそかな音を聞いたような気がした。
「おい。何か音がしないか?」
丹治の声に、松吉と良助も耳を澄ませると、確かに何かが闇を伝わる。
「本当だ。かすかなものだけど」
「どうも笛と太鼓みたい」
松吉と良助が、異口同音に暗闇の中で丹治を見た。
「どうしたものか。この暗闇の中、怪しげな音曲で誘うものよ」
丹治はつぶやいて怖さがつのり、周りの木立の擦り音が囃子に聞こえるのかとも思ったが、松吉と良助も聞こえるという。丹治は、すぐにこの音曲を確かめなければとの探求心が湧いた。
「音のほうに行ってみよう」
丹治が二人を促すと、松吉と良助はお互いの手を取らんばかりにしり込みした。
「何を怖がっている。行くぞ」
丹治は、そんな二人を見て苦笑いを浮かべ、己の不安も振り払う意気込みで叱咤した。風に乗り切れたり、聞こえたりのかすかな音をたどって行くと、それがわずかずつ大きくなっていった。それと同時に笑いさざめく人の気配も伝わってきた。やがて、前方の雑木林が切れ、忽然とかなり広い窪地が現れた。その中央には矢倉が組まれ、その周りにかがり火が赤々と燃えあがり四方を照らしていた。窪地に下りる手前の灌木の陰に身を潜め丹治と二人の子分は、異界を見るような思いで目を凝らした。
「何だ。妙にひょうきんな顔かと思えば、やたらに笑ってる女の顔も見える」
「それが、わんさといて踊りまくってる」
良助が驚きの声をあげると、松吉が締めくくった。
♬ピーヒョロ、ピーヒョロ、ピーピー。ヒョロロ♬
♬ドーンタタ、ドーンタタ、ドンタタ、ドンタタ、タタタータ♬
「かがり火ではよく分からぬが、あれはひょっとことおかめではないか。まるでこの世ではないような異様な雰囲気だ」
ひょっとこは口を尖らし、おかめは目じりを下げて笑っている。そこでは、あまたの人たちが、同じような顔で手ぶり足取り面白く、矢倉の周りをかがり火に照らされ、人形のように踊りまわる。
すると、笛の音が止まり、太鼓の調子が穏やかなものに変わった。
♬ドーン、ドーン、ドーン、ドーン、ドーン♬
穏やかな太鼓の音に、人々は踊りをやめ。一列になって矢倉の周りを渦巻き状に巻いていった。幾重にも回る渦巻きは何なのか。その正体を測りかねて丹治と二人は、あぜんと見入っていた。やがて、渦巻きがまき終わると、黒装束の三人が矢倉の前に出てきたが、いずれもひょっとこの面をつけている。そのうちの一人が大きな箱を地面に置くと、渦巻きの先頭の者から次々と箱に手を突っ込み、紙片を取り出し広げて見ている。そのあとはいずれの者も首をたれ肩をすぼめて列を離れていった。十五名が終わった頃、その後に紙を広げたおかめの面が飛び上がった。手に持った紙片を二人目の黒装束に見せると、その者は少し離れたところにいる三人目の黒装束のところに連れて行った。すると黒装束は、持っていた袋の中から何かをつまみ、おかめに手渡した。それを手にすると、おかめは何度も何度もお辞儀して、矢倉を離れていった。
「きゃつらは何をしてんですかね」
松吉が暗がりの中で隣の良助に囁いた。
「おいらに訊かれても分かる訳ないでしょう」
良助がそう答えると、親分の丹治が低く笑った。
「あっしにも分かりゃしない。いいものを見せてもらったぜ。これで戻るとしよう」
この一声を聞いて、松吉と良助はほっとして、誰よりも早く走りだそうとした。
「おいおい。木の根っこにつまずかないよう気をつけな」
現ナマな二人の子分に呆れながら丹治は注意を促した。
かんざし職人、由太郎の店の隣家で、その二階から夜通し交代で、彼らが帰ってくるのを待って、丹治と子分二人が見張りを続けた。
「親分。帰ってきましたぜ」
見張りについていた松吉の声で丹治は目を覚まし、すぐに窓の隅から由太郎の店を覗いた。見ると最後の男が家の中に入り、引き戸を閉めるときで、夜が明け始めた薄明かりの中で、目じりが下がり優し気な男の顔が外を窺い、戸板の陰に隠れ見えなくなった。
「これから奉行所に行って、井崎の旦那に知らせてくる。お前たちはそのまま見張っているように」
丹治は、由太郎の店に入った最後の男が米問屋に現れた飛脚の男に相違ないと思ったのだ。夜が明けて、今日も暑い一日が始まった。周りには蝉が鳴き声を上げ、なお一層、暑さがつのる気がした。程なく丹治が先導して、同心、井崎の率いる捕り方の一隊が由太郎の店に到着した。店の周りに捕り方が散らばると、丹治が入り口をたたいた。
「どなたですか」
中から声がして、引き戸を開け由太郎が顔を出した。
「御用のものだが、番所で訊きたいことがある。来てもらいましょうか」
十手をちらつかせながら、丹治が言うと、由太郎は端正な顔に口をゆがめ答えた。
「あっしは何もしてません。かんざしを造ってるだけです。かんざしならお分けしますよ」
「かんざしでなく、裏稼業のひょっとこ面が欲しいのさ」
それを聞くと由太郎は途端に顔色を変え、丹治の手をかいくぐり、店の外に逃げ出した。だが外には、同心、井崎の指揮する捕り方が待っていて、由太郎はもとより他の二人も逃げ出したところを捕らえられた。
翌日の夜、丹治の女房、お千代の店で同心、井崎もちでの慰労会が開かれた。井崎が上機嫌で乾杯の音頭を執った。
「今回は奉行から褒美が沢山出たから、おかみさん。うまい肴をじゃんじゃん出していいですよ」
「嬉しいわ。じゃんじゃん儲けさせていただきます」
お千代が軽口で答えると松吉と良助もはしゃいだ。
「それではたんと食べておかみさんの儲けにしよう」
「しばらくぶりのご馳走だ。おかみさんに感謝だね」
二人のおかみさん賛辞に目を細めて笑った井崎が丹治に話しかけた。
「こんどの件は、飛脚の騙し事から始まったが、元は同じと判じたのは、どのへんからかな」
「いやー。まったく分からなかったです。最後に由太郎の仲間の顔貌が飛脚に似ているのを見た時ですよ」
「それでは、味噌屋の盗みが由太郎だと分かったのは?」
「うーん。これも難解。たまたま味噌屋にかんざしを売りに来て、その時土蔵の話をしたというのを聞いて、土蔵の言葉の関連性だけで調べてみた次第で。ただ、土蔵の中はそんなに荒らされてもいなかったし、内部の盗みに見せようとの魂胆かなとも思いましたけどね。全部つながっていたなんて怪我の功名みたいなものです」
「うーんなるほど。いずれにしてもこの件は、貧者を集め、くじびきで盗んだ小判が当たるとの悪行と善行を同時にやった訳だが、目的は人助けでも、手段が悪けりゃ許されない。まあそんな所だろうな」
同心の井崎は、最後のほうは独り言のようで、盃の酒をうまそうに飲みほした。それを見て、おかみのお千代が井崎の空いた盃に酒を注ぎ足した。