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【連載小説】峠の向こう側 3

              盗賊の成敗

 奥州街道を北に三頭の馬が走る。青毛と栗毛と白毛だが、馬上には若者が三人乗っており、激しく競り合っていた。街道を往来する侍も農夫も商人もその外も皆が道を開けて、三頭の馬が走りすぎるのを見送った。青毛には藤高が、栗毛には彦治が、そして白毛には助蔵が乗り、抜いたり抜かれたり、勢いよく疾走した。 
 道の周囲の田んぼには稲が穂をたれ。刈り入れの間近なことを告げていた。七北田を抜けて走っていくと、左側には七ツ森の低い山々が見え始め、その後方にはひときわ高い船形山が望まれた。秋の透明な青空はあくまでも高く、一羽のトンビがピーヒョロロと緩やかに旋回していた。

「正面の大きな館が宮床伊達家の御殿じゃないか」

 彦治が、前方の丘の上に広がる広大な屋敷を指さし、目を見張った。

「そうですね。堀をめぐらし、石垣もあり、やはりこの辺では、格別の威容に感じられる」

 助蔵も宮床を見下ろせる峠の上で馬を降りながら感想を述べた。

「山里の土地で主産物は米なんだろうが、盗賊は山のほうからくるのだろうか」

 藤高が、宮床の田んぼに広がる金色の稲穂を見た後、山のほうに目を向けた。右側の船形山から南に向かって奥羽の山々が続き、西南の蔵王山に到り、さらに山波が切れることがない。

「さてどちらからくるか。人目につかないとなれば、やはり山だと思うがどうだろうか」

 同じように山を見て、彦治も思案顔になったが、すぐ顔を戻して二人を見てちょっとした疑問を投げかけた。ただ、まともな答えがあるはずもないと思ったのか、最後は独り言のような呟きとなった

「宮床伊達家っていうのは、伊達宗家とはどんな間柄なのかなあ」

 藤高は、それを聞いて父の創見が言ったことを彦治も知っているんだなと思ったが、口外無用と言われていたので黙っていた。藤高が何も言わなかったからか、助蔵が意外な知見を披露した。

「宮床の初代領主は宗房といい、政宗公の孫ですよ」
「えっ。どこで知ったの」

 驚いて、彦治が助蔵の顔を見てから馬を降りた。それにつれ、藤高も馬から降りた。

「そんなにびっくりすることじゃないよ。岩出山の藩校、有備館でちょっと聞きかじっただけなんだ」

 さらりと言ってのけた助蔵の言葉を聞き、藤高と彦治は何となく顔を見合わせ、それとなく所作をただしていた。これは、上級家臣団の子息じゃないかと思ったのだ。

「そんなに改まるほどではないよ。私は侍の子に過ぎないのだから。それよりも、ここから下って行って、あの館の前を通り、左に曲がって仙台に戻ろうか」

 助蔵は、臆することもなくそう言うなり、サッと馬にまたがり走り出した。それを見て、藤高も彦治も我を忘れて馬にまたがり、助蔵を追った。助蔵を先頭に、三頭の馬は、宮床館の前を走って、突きあたったところから左に曲がり、宮床伊達家の墓所がある慶運院を左に見ながら、仙台に向かってひた走った。宮床館からは一群の武士が走り出たが、三頭の馬ははるかに遠くを疾走し、もはや追いつくことは不可能だった。

 宮床に馬の遠乗りをしてから二日が過ぎた。この日も藤高は、剣術道場の錬成館で稽古に励んでいたが、今は、彦治と助蔵の打ち合いを見つめていた。その打ち合いは、二日前と比べ何かが違って見えた。あの時見せた助蔵の気風の正体を測りかねていたのだ。

「りゃー。トー」

 彦治が気合もろとも、上段から打ち下ろした剣をゆったりと打ち上げ、助蔵は前に出て、返す刀で彦治の胴を払った。動作はゆるりとは見えたが、剣の動きは瞬時だった。まるで、彦治が相手の気に呑まれたようなそんな感じがして、藤高は目を見張った。あの日以来何かが変わった。

「頼もう」

 その時、道場入り口に異装の男二人が現れ案内を乞うた。頭は総髪でひげは伸び、短めの袴をはき、鹿革の半纏を羽織り、腰には長刀を一本さしている。

「何用でしょうか」

 二人の風体に度肝を抜かれ、入り口に顔を出した門弟が立ちすくんだ。

「我ら、剣術修行のため諸国を回っているものだが、一手、指南を受けたく参上したものです」
「しばし待たれよ」

 門弟が慌てて奥に引っ込み、今度は幾分安どの表情で顔を出した。

「どうぞ中へ」

 門弟は、そう告げ、二人を稽古場の師範席の前に案内した。師範の幸之進が鋭い眼で見つめる前に二人は座り、低頭して名乗った。

「わしは、桑沢善九郎といい、剣術修行に回っているものだが、貴殿のご高名を承り、是非ご指南を賜りたく参上仕った。こちらは、同輩の巣本拓裕と申すが、同心じゃ」

 そう紹介されて、もう一人の男が頭を下げた。

「良しなにお願いいたす」
他流試合は厳禁だが、指南の所望ということなら受けなくてはなるまい。差配は源之進に任せる。教えてやるがよい」

 実質的には他流試合であるが、師範の幸之進は平然と断を下した。

「ははー。それでは、最初に蘭鉄がお相手せよ」

 師範代が指名したのは、中堅どころの実力者であったが、まずは相手の力量を確かめる必要があった。

「こちらは巣本がお相手いたす」

 桑沢が名を言うと細面の男が立ち上がり、道場の中央で二人が袋竹刀を構えて向かい合った。

「はじめ」

 師範代の号令で、二人は剣を構え立ち合いを始めた。蘭鉄は正眼の構えで、巣本は八相に構えて、ぐるぐる右に回り始めた。両者は、回りながら相手の隙をうかがうが、掴み切れず何度も何度も回った。

「おうりゃ。た―」

 巣本が急激に前に動いた。前に動きながら剣を蘭鉄の左肩に叩き込んだ。蘭鉄の剣がそれを払おうと左上に向いたが、その前に、一瞬の間に巣本の刀身は蘭鉄の体を打った。

「それまで。次は彦治が相手せよ」
「はっ。承知いたした」

 師範代に名指しされ、彦治はすたすたと巣本の前に立った。師範代の合図があり、両者が剣を構えた。彦治が正眼に構えると、相手も同様の構えを取り、前と同じく右に回り始めた。これに対し、彦治は、その場に軸を据え相手の動きに応じ、左に回りだした。回るにつれて、彦治の剣が徐々に右方に上がり始めた。それが止まった時

「えぃー」と気合もろとも巣本が猛然と突っ込んだ。

 すると、瞬く間に彦治の左足が後ろに動き、その横を飛びすぎる巣本の背中を彦治の剣が打った。

「よし。それがしが相手じゃ」

 勝負がついたのを見て、桑沢が師範代の言も待たずに立ち上がった。不敵な笑いを浮かべ、彦治の前に立ち、一度二度と大きく竹刀に素振りをくれた。

「それでは、はじめ」

 師範代が開始の掛け声を出した。
 彦治は、前と同じく正眼に構えたが、桑沢は、下段に構えたもののその剣をしきりに動かし始めた。上下左右、ゆらゆらと不規則に剣が揺れ動いた。彦治はといえば、両目を半眼として、相手の目の動きを見ていた。

 ゆらゆら、ゆらゆら、ゆらゆら。

 桑沢は、まったく動きもせずに剣だけを揺らし続けた。
 彦治も剣を構えたまま相手の気を測りながら、静止していた。道場内に門弟たちが見守る中、異様な静寂だけが漂った。秋の冷涼な空気がピタリと動かず、秋晴れの柔らかな日光が道場内に射し込んでいる。彦治は、五体の感覚を研ぎ澄まし相手の微動を窺った。相手が吸気に入ったと感じた瞬間

「そりゃあ」と彦治は果敢に打って出た。

 相手の左肩を確実に捉えたと思ったが、わずかに空を切り、右わき腹にわずかな打撃を感じた。相手は身をすくめ彦治の切っ先をかわすや、前掲し剣を振ったのだ。

「勝負あり。それでは、続いて藤高が相手せよ」
「はっ。承知しました」

 藤高が、師範代の指名に応じ、急ぎ足で桑沢の前に進んだ。それを見て桑沢は、薄ら笑いを浮かべ、藤高の上から下までじろりとにらんで眺めまわした。いかにも小ばかにしたような仕草で藤高を威嚇した。それに対し、藤高はいつもと変わらぬ柔和な顔つきで、幾分弱気にも見える表情で相手を見た。
 師範代の人選を聞き、桑沢の前で怖気づいているような藤高の態度を見て、道場内がざわついた。

「それでは始めよ」

 師範代の号令が道場内に響き渡った。藤高は、師範代の声を聞くと同時に一歩前に出て、剣を右手に持ったまま構えもせず自然に立った。それを見た桑沢は、藤高が恐れをなしたと見くびり、さらなる脅しに出た。

「しゃっ、しゃっ、しゃっ」と声を発しながら、やみくもに剣を突きまくりながら前に出たのだ。

 藤高は、これに対し始めは剣ではね返していたが、間もなくすると剣はやめて、右に左に体をかわすようになった。その時、藤高の脳裏に忍者村の末松との試合が一瞬、浮かんでは消えた。
 蝶のようにひらひら舞う相手の剣法を見て、これでもかと桑沢の鋭い突きが藤高の胸元に繰り出された。その突きもふわりとかわされたと見るや、桑沢は突然一歩跳び下がった。

「参った。そこもとを捉えることは無理じゃ。これまでよ」

 そういうなり、桑沢は藤高に一礼し、それから師範席に向き頭を下げるとあたふたと退散していった。巣本が慌てふためき後を追った。一部始終を見ていた道場の門弟たちがどよめいていた。

「どうゆうことだろうか」

 師範代の源之進が一同を代弁して声をあげた。

「うむ。考えるに、きゃつらの目的は、仙台藩の剣の力量を探るということだろう。それだけだな」

 師範の幸之進がもっともありそうな事を断定した。

「それでは、捕まえますか」
「無駄じゃ。最早その辺にいる訳がない」

 師範が笑って、手を振った。

「それにしても、藤高の剣はなんとしたことだ。振り回しもしないで勝ちを収めるとは。無益な殺生は避けるのが望みよ。正にそれに適うものなり。これより藤高の活人剣と呼びつなごう」

 驚いたことに、師範が藤高の刀術を錬成館の剣技の一形と認めたことになる。何ら迫力がなく構えともみられない立ち姿から、これから闘技に向かう躍動はみじんも見えないが、相手に対する柔軟性は格段だ。
 師範の宣言を聞いて、門弟たちが信じられない面持ちで藤高を見て、それぞれ顔を見合わせざわついた。藤高自身も半信半疑の心地で師範に向き深々と一礼した。

  父の創見が務めから帰ってくるなり藤高を呼んだ。

「藤高。お城でえらい噂を聞いてきた。本当なのか」
「何でしょうか」
「何でしょうかじゃないだろう。親に隠して一言も言わないで」

 じれったそうに創見が両手を震わすと、母の玲がたしなめた。

「旦那様。そんなに気色ばんでも、ますます言えなくなりますよ。噂って何なのですか。それが先でしょうよ」

 創見は痛いところを突かれ、腰が引けた。宏太と千鶴が隅で恐々と情勢を窺っている。

「そりゃ、お前。藤高の剣が活人剣として道場の剣技の一形と師範が認めたという噂だよ」
「それはうれしい話じゃないですか。藤高、そうなの?なぜ黙っていたの」

 母の玲にやんわりと訊かれ、藤高は話しやすくなった。

「父上の話は本当です。だけど、目立つな、控えめにといわれているから出しづらかったんだ」
「そりゃそうだ。何事も控えめじゃ。それにしても大したものじゃないか。師範から免許皆伝を受けたようなものだ。祝杯をあげなければ」

 家訓はそうだとしても、嬉しいことには違いなかった。創見の顔が喜びでやわらんだ。

「経緯はどうだったのか」

 創見が詳しい成り行きを訊いたので、藤高はその時の状況を詳しくありのままに語って聞かせた。弟も妹も目を輝かせて聞き入った。

「なるほどなあ。これは忍者村の試合の時と同じじゃないか。あの刀法だね。あれが認められたのか。なるほどね」

 創見も思い出したと見え、そのことを指摘した。さらに付け加えた見解が的を射ているように藤高には思えた。

「それにしても、修行者があの末松といったか、あのものと同じ刀法を使ったとは、何か因縁があるのか」

 父の一言にも触発されて、たまたまなのかどうなのか、このことが藤高の疑問となって、その後しばらくの間、脳裏を離れなかった。

「ふーん。これは考えもんだな」 
「何がですか」

 藤高は、父が話すのをやめて考えに沈みこんだのを見て尋ねた。

「いや。何でもないが、ちょっと嫌な予感がしたもんだから」
「いやな予感ですか。良かったら教えてください」

 実のところどちらでもいいような気もしたが、藤高は、いつも知らない話を持ち出す彦治の鼻を明かしたいとふと思い、重ねて訊いた。

「おや。今日は嫌に熱心だね。何かあったのか」
「何もないです。ただ何となくです」

 藤高の日頃見られない熱心さを不思議に思った父に、逆に指摘されて、藤高は腰が引けて押し黙った。

「しょうがない。藤高も大きくなったんだから、藩の政情も少しは知っておく必要があるな。これは内密な話で、他言無用だが、幕府は各藩の内紛を見て、とくに外様の大名をつぶそうと狙っている。そんな訳で幕府にとっては、内紛が大きくなることはかえって好都合といえるのだ」
「えっ。幕府と藩の話ですか」

 余りにも大きな話になり、藤高は理解に苦しみ、父の意図を訝しんだ。

「おっと。話が飛躍しすぎたようだ。つまるところ、今日、道場に剣術指南を受けに来た二人の侍が何者かということよ。単なる修行者なのかそうでないのか。それによって今後の推移が大きく変わるだろう。背後があるのかどうかだ。わしは、背後有りと読んで、危惧したのよ」
「何者でしょうか。立ち会った男の刀法は。どうも平常でない癖が感じられましたが、あれは普通の侍ではないですね。風体も荒んでいるし」

 背後との話を聞き、藤高は道場に現れた男たちの印象を父に伝えた。

「そうか。それは不逞の輩とみていいのではないか。新米を狙う盗賊の話もあるし、注意するに越したことはない。その者の使う剣法が忍者村のお前の相手と同じというのも気になるところだ。藤高。何があっても惑わぬよう、心して見守るのが肝要ぞ」
「はっ。心得ました」

 藤高は、父の当事者になったようなその話に戸惑いを覚えるばかりで、あまり分からなかったが、とっさにそう答えていた。

  ここ奥州の伊達の地にも秋の晴天の下、稲刈りの季節が来た。農民はどの家でも一家総出で田んぼに出て、腰を曲げて稲を刈る。延々と先祖代々継がれてきた土地を耕し、その恵みを受け取るのだ。刈り取った稲は、杭にかけて天日干しをする。手間のかかる作業を毎年毎年繰り返す。生きるための生業から逃れることはできないし、彼らにとって土地と共にあることがすべてなのだ。
 宮床伊達家の領地でも田んぼの稲刈りが進み、天日干しがなされ、相応の日数で脱穀機にかけられる。米は所定の作業を経て俵に詰められ、年貢米として半分近くが持っていかれることになる。
 いよいよ年貢米の納期となった。この日、北から南へ、宮床の城下へ米七俵を積んで街道をゆく荷車があった。父と息子の二人が交互に引きながら、右側に深い濃緑の林を見ながらゆったりと進んだ。絶え間なく小鳥のさえずりが聞こえたが、天気は今にも降ってきそうな曇空だったものの、雨はなかった。

「もう歳かな。疲れてかなわん。ちょっと休もうか」
「うん。分かった」

 二人はそんな風に言いあい、道端の草むらに腰を下ろした。

「おとうは働きすぎだな。そんなにやらなくてもおらが頑張るから」
「ありがとうよ。んでも、何にもしないと体がもっと鈍るからな」
「おかあと一緒に温泉にでも行ってきたらいいさ」
「んー。優しいことを言ってくれるな―」

 父が息子の慰みにほろりとした時、背後の雑木ががさりと動き、三人の覆面の男が現れ、前に回り刀を突き付けた。

「何も言わずに米を置いて立ち去れ。ここからは、我らが運んでやるから」「ヒえー。ご勘弁を」

 父と息子は突然現れた凶賊にのけぞって逃れようとした。

「それ、それ」

 賊の一人が刀で脅しているうちに他の二人が荷車を引き、勢いよく走りだした。荷車が遠くに離れたのを見て、親子を脅していた賊も刀を引き荷車の後を追いかけた。親子の二人もすぐに跳ね起き、必死に後を追い始めた。一年の苦労が水の泡になってはたまらないと無我夢中に走った。
 息を切らしながら一里ぐらい走って、二人は驚きの光景を見た。荷車の向こうで、一人の侍が、賊の三人を相手に刀を交えていたのだ。二人はへなへなと前に両手をついて倒れ込んだ。その時侍の顔がこちらを向いた。それを見て二人はなお驚いた。

「あっ。タヌキの面をつけている」
「タヌキ面の侍だ」

 父が叫べば、息子も叫んだ。どうなるか分からないのにこれで助かったと思ったのだ。濃紺の着物に身を包み、タヌキ面の侍は、三人を相手に太刀を振った。三人は、引けた腰つきながら、必死に刀を突いた。侍はそれを楽々とかわしながら、一人の籠手を打った。その賊は傷ついて後ろに離れた。

 その時、宮床の侍たちが駆け付けてきたのが見え、それに気づき賊たちは一斉に林の中に逃げ込んだ。と同時にタヌキ面の侍も身近に呼び寄せた白馬にまたがり、二人の農夫の横を通り、北のほうに駆け去っていった。
 農夫の親子は、何が何だか分からなかったが、とにもかくにも一番大事なコメが無事なのでほっと安どの胸をなでおろした。 


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