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【短編小説】学園の事件簿 第4話

第4話        ボールのゆくえ

あらすじ
仙台の私立高校で、野球部の部員同士の練習試合中に死球事故が発生した。控え組の投手がバッターに立ったエースの投手に球を当てたのだ。わざととの噂もある中、調査を進めると、横暴なエースピッチャーへの部員たちの怨恨の情が明らかになっていく。

本文

 今年は九月になっても暑さがだらだらと続き、一向に秋風が吹いてこない。まるで季節を忘れたように太陽はギラギラ輝き、体中に汗が噴き出て、体内から途切れることなく水分を空中に拡散する。田沖浩太は、ペットボトルの水を口に含み、熱中症にはならぬように気を付けていたものの、いつもと違い何となく気分がすっきりしない。
 仙台の私立高校で二年となって、野球部員の浩太は、三年生のいなくなった新チームでレギュラーのポジションを獲得できなかった。力の差といえばそれまでだが、控の投手ではこれまでの努力が水の泡になったようで気がめいった。いっそのこと退部しようかと思うが、どうしても未練が残り、ふん切りがつかない。いつかはきっと正選手になると淡い望にすがり付いて、だらだらと部活を続けていた。
 今日は、新チームによる公式試合である秋の県大会に向けて、部員を二組に分けての練習試合が行われていた。二組といってもレギュラー組とその他という分け方だから力の差は歴然としていた。これで練習になるのかと危惧されたが実際に対戦してみると、五回を終わって、一対ゼロとレギュラー組がわずか一点リードの僅差となった。
 正選手になれなかった悔しさから、控組は必死に食らいついていた。とはいっても、実のところは、投手の浩太が汗にまみれて全力で投球しているからだったが、控に回された屈辱をばねに、憤怒が全身を駆け巡り、浩太は阿修羅となった。

「ちょっとタイム。おい。田沖。無理をするな。大丈夫か。ペースを落として。ぶっ倒れるぞ」
「はい。分かりました。大丈夫です」

 監督の水中徳治が異状に気付き、マウンドに駆け寄り、声をかけると、浩太は頷きながら右腕で顔の汗をぬぐった。監督が引き上げると、浩太は次の打者として、新チームのエースピッチャーとなった村園欽一を迎えた。絶対に打たれてはならない相手に対し、浩太は一球目に百三十キロ後半の直球を投じた。欽一が空振りすると、二球目も直球を投げたが、それは外れてボールとなった。三球目は、ゆるゆるのカーブで、見逃しのストライクで、これでワンボールツウストライクとなり打者を追い込んだ。四球目は直球を投じたがファールとなった。次はカーブが外れ、ボールとなった。いよいよ勝負球の六球目となり、浩太はキャッチャー所辺登也の要求するサインを見た。それは、右打者の欽一に右投げの浩太が内角にシュートを投げるというものだった。
 浩太はそれを見て、首を横に振った。だが、登也のサインは変わらなかった。浩太も変わらず、二度三度と首を振った。たまらず、登也がマウンドに走り寄った。今までこんな浩太を見たことがないと登也は不審を感じた。

「どうしたの。次は直球と読んでるだろうから変化球でかわそう」
「真っ向勝負と思ったけど、分かった」

 浩太は、登也の話に意外とあっさり頷き、要求の内角にシュートを力一杯投げ込んだ。直球と読んでいた欽一は迷わず強振したが、途中で気づき避けようとしたものの間に合わず、左に動く彼の左ひじを右旋回するボールが直撃した。その衝撃に顔をゆがめ、欽一は左ひじを右手で抑えしゃがみ込んだ。
       
 市内の整骨院に担ぎ込むと、医師の診断結果は、左ひじの打撲と左腕の尺骨にひびが入る大けがで全治一か月と診断された。野球部について言えば、欽一の抜けた投手陣に浩太が入ることになったものの、周りからは、わざとぶつけたのではないかとの声がちらほら聞こえてきた。浩太にとっては嫌な思いの学校生活が続いた。
 この事故については、すぐに市教育委員会の知るところとなり、学校は詳細な報告を求められることになった。そのために関係者の事情聴取をすることとなり、学校の会議室を聴取場所とし、指導教員の皆橋公子先生と二年生学級主任の畑石孝信先生がテーブルの奥に並んで座っていた。

「さて、どうしたものでしょうか」
「あっ。お茶はポットに用意しております」

 皆橋先生が思案気につぶやくと、畑石先生がすぐにテーブルの上のお茶道具を指さした。

「おほほ。そうじゃないですよ。何を訊いたらよいのやら。先生は野球をご存知ですか」
「はい。仙台には楽天のチームがあるし、セリーグではやっぱり巨人でしょう」

 畑石先生がとくとくと答えると、皆橋先生は笑いをこらえて言葉を変えた。

「いえね。野球のルールとか、つまりはプレイの仕方ですよ」
「それなら子供のころから野球はやってるし、知ってますよ」
「それを聞いて、安心しました。それでは、今回は先生が最初に訊いてください。そのあとに必要なら私が質問しますから」
「ええー。私が……ですか。いえいえ、分かりました。やります。やります」

 皆橋先生の提案に戸惑いを覚え、最初は躊躇したものの、畑石先生はしぶしぶ首を縦に振った。         
 最初に会議室に入ってきたのは、学校から監督を委嘱されている水中徳治だった。半白の髪を短く刈り、黒く日焼けした五十がらみの男が神妙に二人の先生の前に座った。

「毎日、野球部の訓練お疲れ様です。先日の選手が負傷した件で、市教育委員会から問い合わせがあったものですからご足労頂きました。よろしくお願いいたします」

 最初に皆橋先生が丁重に挨拶し、それを引き取り畑石先生が聴取に入った。

「よろしくお願いいたします。早速ですが、村園投手が負傷した時の状況はどんなものだったのでしょうか」
「あの日は、新チームになって初めての練習試合でしたが、レギュラー組とその外の組との対抗試合で、普通なら大差でレギュラー組が勝つはずなのに、そうはならなかった。その他チームのピッチャー田沖がえらく張り切ってね。私は心配になってマウンドに行き、様子を訊いたけど大丈夫というしね。そのあとキャッチャーの所辺とのサイン交換が長引き、それが終わって投げたら、肘に当たったという話ですよ」
「なるほど。田沖投手は相当力があるじゃないですか。素朴な疑問ですが、どうしてレギュラーにしないのですか」

 説明を聞き終わった畑石先生がポマードでてかてかの頭に手をやりながら水中監督に突っ込みを入れた。

「それはですね。見れば分かりますが、田沖はとにかく細身で優男で線が弱い、それに比べれば村園は四角っぽくいかつい顔で体格も良く打者への威圧感がすごい」
「ちょっと待ってください。監督は選手を姿かたちで選ぶのですか」
「いやいや。急がないで最後まで聞いてください。私の言いたいのは、気性が風貌にあらわれるというか、田沖はとにかく試合になると力を出せない、アウトが取れないのですよ。そんな訳で根性を鍛えるためその他組としました。それで発奮することを期待しているのです。部員間の切磋琢磨です」
「なるほど。強くなるために部員たちを競わせるんですね。私の聴取はこれで終わりです。先生。どうぞ」

 畑石先生は、何となく思考のまとまりがつかなくなって、中途半端な感じで皆橋先生にバトンタッチをした。

「そうですね。私がお聴きしたいのは、田沖投手がわざとぶつけたとの噂が聞こえてくるのですが、水中監督はどうお考えですか」
「噂ですか。スポーツの世界は正々堂々です。そんなことはありません」

 皆橋先生のえげつない質問に水中監督は気色ばんで言下に否定した。

「相撲には八百長というのがあるし、プロ野球にも賭博でピッチャーが加担したとかあるようだし本当のところどうなんですか」

 皆橋先生が水中監督の剣幕をものともせずに食い下がった。

「プロの世界はいざ知らず、高校野球にはそんなものはありません。皆ひたむきに必死になって白球を追いかけているんですよ。失礼じゃないですか。体に当たるのはすべて投手の失投によるものですよ」

 野球に情熱を傾ける水中監督が怒気を含んだ目で皆橋先生を見た。畑石先生がその剣幕に驚き、二人の顔を見比べおろおろした。

「すべて失投ですか。そのお言葉に間違いありませんね」

 水中監督の威圧にもかかわらず、皆橋先生は平然として、相手の言い分に念を押した。

「いや、絶対とは言えない、可能性としてはない訳でもない」

 言葉の陥穽に気付き、水中監督は、土壇場で言い直した。

「監督。すみませんでした。いやな思いをさせて申し訳ないです。本当のことを明らかにしたいとの思いに夢中になってしまいました。生徒たちの潔白は信じてますので、お許しください」
「分かってもらえばいいですよ」

 一転して、皆橋先生が行き過ぎを謝ると、水中監督も機嫌を直し、相好をくずした。

「何でしょう。野球の分からない私がむきになっちゃった。でも監督からわざとの可能性もあるとの見解が聞けたのだから、聴取の視野が広がったというものだわ」

 水中監督が聴取を終え部屋を出ると、皆橋先生が一人合点して、お茶を飲んだ。畑石先生はそれを聞きながら、真意をつかみかねて、曖昧な顔つきでお茶を飲んだ。
 その時、会議室のドアーがノックされキャッチャーの登也が入ってきた。

「そこに座りなさい」

 畑石先生がテーブルの向かい側の椅子を指さすと、登也は丸い顔を椅子に向け確かめると、それを後ろに引き、丸く太った体をゆるりと下した。

「そんなに緊張しないでいいですから。それではね、早速ですが、ボールが打者の村園君に当たった前後のことを教えてください」
「はい。あの時はツーボールツーストライクで、俺は勝負球にシュートを要求したんです。ところが、浩太は首を振ったんです。だけどあの場面では変化球との思いが強かったから俺はシュートを要求し続けた。浩太は首を振る。それでたまらずマウンドに駆け寄り話したら、了解となった。そして投げたら、欽一に当たったということです」
「なるほど。それじゃねえ、シュートを選んだ理由と、ボールが当たった時の状況をもうちょっと詳しく教えてください」
「それまでは直球とカーブだけで直前はカーブだから、欽一は必ず直球待ちだと思ったからです。案の定、強振し肘に当たりました」
「私も訊いていいですか」

 その時、黙って聞いていた皆橋先生が突然、話に割り込んできた。

「サインのやり取りでずいぶん意見が合わなかったようですが、いつもですか。それとずいぶんシュートにこだわったようですが、もっと別の理由があるのですか」

 その問いを聞いて、登也は戸惑いの表情を浮かべ、口をつぐんだ。

「話せることだけでいいですよ。どうぞ」
「はい。たいがいは、俺のサイン通りで済んでいました。あの時はどうしてか浩太が意固地になっているようで変に思いました」
「お互いみたいね。所辺君はどうしてシュートにこだわったの、言いにくいかもしれないけど」

 皆橋先生が登也の顔をじっと見て、すべてを見通しているかのような慈愛の眼差しで答えを促した。

「うん。本当言うと、俺、欽一にひどい目にあっているんだ。あいつは傲慢で、俺のサインなんかいつも無視して、かってに投げるし、監督のえこひいきを鼻にかけ、態度は横柄だし、俺の事ミットーとあだ名をつけ馬鹿にするし、いつもボールにでも当たってしまえと思っていたんだ」
「えっ。すると、そのためのシュート選びですか」
「いや違います。試合の時はそんなこと思いません。心の奥にないといえば嘘になりますが、あの時のボールは、確かに、内角に来て打者には向かいました。でも、暴投ではなかったです」

 登也は、丸い顔丸い体を揺らし首を振った。

 次に現れたのは投手の浩太だが、細面、細身の優美な風体が、どことなく気弱な雰囲気で会議室の椅子に座った。

「まあ、気持を楽にして、二、三聴きたいことがあるので答えてください。君は、キャッチャー所辺のシュート要求になかなか首を縦に振らなかったけど、何故でしたか」

 畑石先生が、しょっぱなから単刀直入の質問を浩太にぶつけ様子を窺った。

「あっ。そのことですか。緩いカーブの後ですから、直球を高めに投げれば空振りすると思いました。直球が僕の自信の球ですから」
「それでもキャッチャーに折れた訳だけど、どうしてですか」
「それは、結局、玉選びはキャッチャーに主導権があると思うし、妥協したまでです」
「その球で、村園選手が怪我をしたのだけど、どんな加減だったのですか」
「加減、加減って何のことでしょうか」

 畑石先生が、いきなり核心部分に入ろうとしたら、浩太が驚きの表情となり畑石先生を見た。

「いやいや。シュートとデッドボールの関係はどうなのかなと思ってね」
「シュートとの関係といわれても幾何学じゃあるまいし、分かりません」
「おほほ。田沖君。それはね、わざとぶつけたとの噂もあるし、その辺を婉曲に訊きたかったのよ」

 脇から堪りかねて、皆橋先生がにこやかに微笑みながら助け舟を出した。

「わざとですか。そこまで言うなら僕もざっくばらんに打ち明けます。確かに僕は、レギュラーになれなかったのは悔しいです。欽一にひけをとるとは思いませんが、あいつは監督の受けもいいし、エースは当然でしょう。そうは言っても僕にも意地がありますから、この間は必死に投げました。だけど時には思いました。ぶつけてやろうとね。あいつは傲慢だし、僕のことをスレンタとあだ名をつけて呼ぶんですよ」
「なるほどねえ。それであの時はぶつけようと思ったんですか。直球で」
「いや。試合をしている時はそんなことは考えません。精いっぱいです。それでもね、登也が執拗にシュートを要求するのを見た時、ふと思ったんですよ。僕と同じで、彼のチーム内の立場を見れば日陰にいる訳だし、望んでいるのかなと。いえ、これは僕の憶測ですからあり得ない話ですよ。でも、その考えに乗る手もあるなと一瞬頭をよぎりました。とりとめのない想念ですよ。実際に球を投じた時は、間違いなくストライクを取りにいったんですから。でもね、その時、球が手を離れる瞬間に視界が白く光った感じがしたんですよ。すぐ消えましたが」
「視界が光った。何なのでしょうね。投球に影響はあったのですか」

 思いがけない話に皆橋先生が好奇の声をあげ、浩太を見た。

「いや。球が手から離れた一瞬ですから、影響はなかったです。眼にはしばらく残影が残りましたが、間もなく治りました。こんなことは言う必要もなかったのでしょうが」

 それまでで浩太の聴取が終わった。皆橋先生と畑石先生は、熱い茶を注ぎ、口に運びながら、それぞれの考えに浸った。絡まりあった糸をほぐすことはできるのか、二人はずーっと暗い闇の中から抜け出すことができなかった。暗い海底の中にどこまでも沈んでいくような頼りない気持ちが胸に充満した。

 二人の先生が途方に暮れた気分に落ち込んでいる時、会議室のドアーがノックされ、女子マネージャーの柏井さおりが入ってきた。丸顔にショートカットの髪形で、いかにも健康そうな明るい表情でお辞儀した。

「さあさあ、座って」

 初めの申し合わせはどこへ行ったのか、皆橋先生が先に声をかけ着座を促した。

「いやなことは無理しなくていいから、気持を楽にして答えてください。あの時のボールが当たった瞬間、柏井さんにはどんな風に見えましたか」

 その質問にさおりの顔から笑顔が消え、すぐには声にならず言いよどんだ。

「どうしましたか。見えたままでいいんですよ」
「いえ。本当言うとその時は見てなかったんです」
「見てなかった。何か別のことをやっていたんですか」
「すみません。目にゴミが入ったようでしたので、手鏡で目を見ていました」
「えっ。手鏡で目を見ていた。あなた。まさか、それで太陽を投手に向けて反射させたんではないでしょうね」
「そんなことはないです。どうして話が飛躍するのですか」

 皆橋先生の突然の詰問調にさおりは困惑し顔色を変えた。

「いえね。田沖君がね。ボールを投げた時、目が光ったといってたからよ。偶然にしてはできすぎですよ。あなたの話でピタリと符合しました」

 皆橋先生の推論が爆発し、畑石先生は、固唾をのんでさおりの顔を注目した。

「えーえー。疑っているんですか。まさか、そんなことはないですよ。本当のこと言うとね、私は田沖投手には同情しています。監督にへらへらし、あんなに横柄な村園は嫌いです。ボールに当たっちまえと思ったこともあります。だけど、実際には何もしておりません。鏡はねえ、記憶はないけど、手に持って、無意識にもてあそんだということはあるかもしれません」
「そうですか。私はこれで終わりです。畑石先生は何かありますか」
「いえ。ありません」
「それじゃ。きつい事も言ったかもしれませんが、ごめんね。柏井さん戻っていいです」
「先生の仕事でしょうから構いません。失礼いたしました」

 皆橋先生の慰めを聞き、尋問から解放され、さおりはほっとした表情で会議室を後にした。

 それから二日後の夕方、皆橋、畑石の両先生は、校長室の応接コーナーでソファーに座り、野球部死球事故の調査報告をしていた。出されたアイスコーヒ―を飲みながら続いた皆橋先生の説明が一段落した。

「以上ですが、結局のところぶつけたいとの願望はあるものの、わざとしたとの確証は把握できませんでした。村園投手への反感は一緒ですが、ぶつけたい理由は三様でした。三人が相談したとの形跡も見られませんし、限りなく黒のような感じもしますが、これは偶発の事故と断定しました」

 皆橋先生が報告を終わり、安どの表情で眼鏡をはずし、ハンカチで顔の汗を拭いた。

「なるほど、分かりました。ところで畑石先生は何かありますか」

 篠谷校長は、皆橋先生の報告を聞き終わると、ゆったりと畑石先生を見て意見の有無を確認した。

「あっ、はい。こんどの聴取で感じたことは、率直に言えば、野球部の中がヘドロのように腐っているということです。あれでは、健全なスポーツマンは育たないと思います。事故聴取の趣旨とは違うと思いますが、あえて言わせていただきました」
「そうですね。分かりました。お二人とも本当にお疲れさま。教育委員会への報告は事務方にお願いすることとして、畑石先生のおっしゃるヘドロの件ですが、これは野球部に限らず、部活の全体に共通の問題と考えられるので、何とか是正の方法を考えてみましょう。具体策ができた暁には、先生方にも協力を頂きますよ」

 篠谷校長が締めくくり、その後しばしの間談笑し、二人の先生は校長室を退出した。




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