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【連載小説】峠の向こう側 6の2

            解けぬ迷路(後編)

 一方宮床では、その城下にある反物屋、錦絹の店先に品物を届けに出ていた手代の宇吉が、細目で穏やかそうな男を連れて戻ってきた。宇吉の様子がおびえているようでなんだかおかしい。案の定、男は穏やかな顔に似合わぬ大声を出した。

「主はいるか。とどけてもらった反物が汚れていて使い物にならねー。どうしてくれるんだ」
「へい。私が主の喜左衛門ですが、うちの店では汚れ物は扱いません。何かの間違いではありませんか」

 喜左衛門がもみ手をしながらやんわりと言い返した。

「何、嘘だというのか。これを見ろ」

 男はそう言うなり、手に持った風呂敷から絹の反物を取り出し、中を広げて床に放り出した。見れば確かに片手ぐらいの大きさの黒い汚れがべったりとついているのが見えた。

「これは、これは。いやに念入りに塗りたくったものだ。どなたがやったんですかねー。宇吉。お前がやったのかえ」

 喜左衛門が青い顔をして震え上がっている宇吉に顔を向けた。

「いやいや。そんな。おいらはやってねえです」

 宇吉は男の顔を窺いながらかぶりを振って強く否定した。それとなく男が懐にどすを潜ませているのを見せられてもいるし、とにかく怖かった。

  経緯を言えば、穏やかな秋日和の昼過ぎに、商家の若旦那かと思えるような若い男が、粋な藤色の着物を羽織り、物静かな優し気な風情で、腰をかがめて店を訪れ、高価な絹の反物を買い求め、代金を払った。そこで自分は、これから他所に用事があるから家に届けてほしいと頼まれ、宇吉が反物を抱え、言われた家に向かったのだ。
 その家に着くと、おんぼろの空き家のはずなのに細目の柔和な男が宇吉を出迎えた。宇吉は違和感を感じたが、とにかく用向きを伝え反物の包みを手渡した。

「これは、これはご足労をおかけし申し訳ない。品を改めますから、ちょっとお待ちを」

 男はそう言って、反物を確かめるためその身をゆるりと沈めた。その時、思いもしない金色の光が男の背後から宇吉の眼を突然、射た。何だろうと宇吉は、しばしの間目を凝らして、金色の光源に目を凝らし続けた。宇吉がそこに見たのは、それまで一度も見たことがない金色の猛獣が空に向かって咆哮している大きな彫像だった。

「何だ、この反物は。汚れていて使い物にならないではないか」

 男が振り返り、黒く汚れた反物を宇吉に突き付けた。

「そんなはずはない、貴方が付けたんじゃないですか」

 宇吉が、我に返り血相を変えて、抗弁すると男は着物の前をはだけて威嚇した。

「つけるのを見たのか。見てもいないのに何を言うか。落とし前をつけてもらおう。今から店に行くぞ」

 確かに、男が汚すのを見たわけではないし、男の胸元から覗くどすの柄にもこわさを感じ、押し黙った。 

「うちの手代はやっていないといっている。どこでついたんでしょうかね。そうは言ってもうちの商品の評判が悪くなってもいけないから取り替えますよ。いかがですか」

 あくまでも男の難癖であるが、主の喜左衛門が相手の威圧に臆することもなく穏当な解決策を申し出た。

「そうですかえ。手間賃も弾んでな」

 男は、喜左衛門の申し出を聞くと、にんまりと薄笑いを浮かべ、金子の慰みを要求した。

「それは、それは、お客様は大切ですから。番頭さん。替えの反物を用意してください」

 喜左衛門が、にこやかな笑顔になって、後ろに控えていた番頭の与之助に指示した。

「へい。承知しました」

 返事をして、番頭が奥に引っ込むと、そそくさと一人の男が入ってきた。この時店の中には、その場の騒ぎに恐れをなし、他の客は誰もいなかった。

「おやー。今日は、大店の旦那さんが店先に直々お出ましですか」

 男はそう言って、喜左衛門に頭を下げてから、いちゃもんをつけている男をじろりと見た。

「これは、これは。イシツブテの親分さん。見回りですか」
「そうよな。ゆすり、たかり、世の中には色々あるから商売繁盛だよ。最もこちとらが繁盛では困る話だけどな」

 目明し丹治はそう言うなり再び、じろりと細目の男の顔を見た。見られた男は、今までの勢いはどこへやら、捕りものの親分と知ると、そわそわしながら逃げ腰となった。

「今日のところは引きあげる。また来るから」

 男はそう言い残すと、替えの反物も受け取らず、店の外にそそくさと退出した。

「まつとよし後をつけろ」
「へい」
「合点」

 丹治の指示に、二人の返答が聞こえ、ばたばた走り去る足音が遠ざかっていった。

「それにしても、旦那の店の者から通報があり、駆け付けたが間に合ってよかった。といっても捕まえたわけでないから解決というわけにはいかない。問題は、先般の娘かどわかしの連中と一味かどうかだけどこのままでは終わらない気がするから、用心するように」
「はい。用心は怠らないようにします。感謝の至りです」

 喜左衛門は礼をくどくど言いながらいくらかの金子を入れた紙袋を差し出した。

「いつもすまないね。ところで、旦那には娘はいるんだったか」
「はい。十歳になるのが一人います」

 目明し丹治が念のため確認すると、喜左衛門は、それまで他人事と思っていたものが、にわかに現実味を帯びハッとして顔をあげた。

「このところかどわかしが二件もあった。万が一ということもある。気を付けたらいいと思う」
「そうでしたな。注意するに越したことはない。店の者たちにもその旨徹底のことにします」

 それを聞いて、丹治は足早に反物屋、錦絹を後にした。

「与之助。奥に行ってお小夜がいるか見てきておくれ」

 急に心配になった喜左衛門は、丁稚の小童に言いつけた。

「へい」

 与之助が返事をし、奥に駆け込んでいった。

「お嬢さんをお連れしました」

 間もなくして与之助がお小夜を連れて店先に戻ってきた。

「お父ちゃん。何か用ですか」

 お小夜が明るい声で喜左衛門に甘え声を出した。 

「うん。うちにいるならいいんだ。外で遊んでいるときには、知らない人に声かけられてもついていくんじゃないよ」
「なーんだ。そんなことなの。誰にもついていかないから大丈夫よ」
「そうかそうか」

 喜左衛門は、お小夜の返事を聞いて、可愛くてたまらないという風に相好を崩した。

 それから何事もなく三日が過ぎ、ようやく安どの表情を取り戻し、錦絹の人たちの不安が徐々に薄らいだ。ところがその日の夜中に変事が起きた。ぐっすり眠り、誰もが知らぬ間に白壁の土蔵の中から千両箱二つが盗まれてしまった。頭から足まで黒ずくめの盗賊五人の仕業であるが、男たちは、竹製の梯子をも持ってきて、店の塀に立てかけ、それを上って敷地内に入り、どんな工夫か土蔵の錠前を細い針金で開けてしまい、土蔵の中の千両箱をかっさらっていった。

 千両箱を竹の梯子の上に結わえ付け、四人で担いで、えっさほいさと街の外に出ようというところで、一人の着流しの侍が行く手をふさいだ。

「どいた。どいた。梯子がぶつかるよ」

 先導している細目の男がその侍に注意を呼び掛けた。

「何。梯子がぶつかるだって?この先には進めないよ。運搬はそこまでだ。ご苦労さん」

 三日月の薄暗がりの中で、侍は両手を広げて通せんぼをした。

「何をしやがる。痛い目を見たいのか」

 先導の男が、懐からどすを抜いて、身の程も知らず、侍を脅しにかかった。千両箱を運んでいた他の四人も梯子を下に置き、どすを構えて侍に向かった。

「怪我をしても知らないよ。荷物を置いて立ち去るならみのがさないでもないが」

 侍はそう言いながらすらりと刀を抜いてタヌキの面越しに五人を見回した。薄い三日月の光を浴び、タヌキの面は笑っているようにも見え、緊張とは裏腹な気配に、五人の盗賊は、さらにすごんで見せた。そんなことにお構いなくタヌキ面の侍が前に進んだので、盗賊の一人が我慢しきれず、どすを振りかざして侍に突っ込んだ。途端に侍の刀が一閃して、盗賊のどすを叩き落し、返す刀で刃の先が伸びて、盗賊の目の前一寸先で止まった。

「ひえいー」

 盗賊はたまらず尻を突き、そのままずるずると下がり、起き上がって逃げ出した。それを見た他の四人もたちまち戦意を無くし、千両箱をそのままに、命あってのものだねと一目散に逃げ散った。
 その時、騒ぎに気付いた住人の知らせで、目明し丹治と二人の子分が駆け付けた。

「奪われた千両箱はそこにある。盗賊は五人だがすでに逃げていった」

 タヌキ面の侍は、丹治にそう告げると、白馬に乗った。

「この前もご助力いただき、ありがたいことです。せめてお名前なりと伺いたいものですが」

 丹治がもみ手をしながら、タヌキ面の侍を見上げた。

「名もなき野の花よ。名乗れぬ訳があるから面をつけておる。御免」

 侍はそう答えると、馬の腹を軽くけり、南に向かって走り去った。


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