自分の至らなさに気づけないことの怖さ
ある研修の講師をした。
参加者のアンケートを確認したら
「講師のとある発言に対して、聞いていて気分が悪かった。」
との意見があった。
私は性格がキツいうえに口が悪いので、たくさんの人を前にして話す際にはかなり気を付けている。
気を付けていたのに。
話のテーマや難易度が参加者のニーズにあっていなかったとか、もっとこんなデータが欲しかったという意見は、前向きに受け止めてできる限り修正してきた。
でも私の話し方や言葉の選び方が配慮に欠けていて気分が悪い、と言われたのははじめてだ。
とてもショックだった。
そして情けないことに、どの発言がそう感じさせてしまったのか、全くわからない。
今、部署内のハラスメント案件に対応している。
加害者側の同僚に話を聞いたとき、
「自分がそう思われているとは思わなかった」
「全く自覚がなかった」
と言っていた。
私も同じだ。
全く自覚がない。
同僚のヒアリングの時に、「そんなつもりはなかった」というのは逃げで、キツく言ったことを自分でわからないわけがないだろう、と思ったこともあった。
私がそうなのだ。
指摘されてもわからない、気づけない。
何度考えてもわからない。
だからこの先も私は、どんなに気を付けても、誰かを不快にさせるような話し方や態度をとってしまうだろう。
それとは別に、大きな仕事で大きな失敗をした。
完全に自分の準備不足、マネジメントのミスだ。
この仕事のために動いてくれた他社のスタッフさん、大切な仲間に多大な迷惑をかけた。
いくつかの出来事が重なって、立ち直れずにいる。
今まで表面化しなかった、もしくは自覚していなかっただけで、私の言動に気分を悪くしたりうんざりしていた人は、一体どれだけいたのか。
若かった時は許してくれる人がいた。
その時に真摯に耳を傾け、自らを省みることをせずに歳を重ねてしまい、もう言ってくれる人はいなくなった。
いや、「あんな人に言っても意味ない」と、ずっと見限られてきたのかもしれない。
もう人前で話したくない。
誰かのハラスメント案件に対応する立場になんてなりたくない。
重要な仕事を引き受けたくない。
管理職、やめたい。
管理職をやめたって言動には気を付けないといけないけど、少なくとも誰かの何かに介入するような立場にいたくない。
それでも明日も仕事がある。
今は気持ちを奮い立たせるのは無理だ。
プツッと切れないように何とかつなぎ止めておくだけで精一杯。
切れてしまったら、二度と立ち上がることはできないだろう。