もし仮に、全人類が同じ対象を全く同時に見る/聞くとして、100%全く持って同じ感想を持つことはないだろう。それは言葉の世界であっても同様である。西欧の諸言語は、微妙な差異こそあれどラテン文字を採用している。それゆえにしばしばラテン文字でのスペルは同じなのに言語により発音や意味の違いが生じることが起こる。
と、いっても読者諸君は西欧の諸言語を比較して意味合いの差異を比較しようと試みたことがある者は少ないであろうからわかりやすいように例を二つ挙げよう。まず一つ目の例としてオランダという国名を挙げる。もっとも、Hollandの方ではなくNetherlandsの方である。オランダ読みだと"ネーデルラント"となるがイギリス読みだと"ネザーランド"となる。なんとなく筆者の言わんとしているところがわかってきてくれていると嬉しい。もう一つの例はこの記事の題名にもなっているREALという単語である。大抵の人がREALという字面を見てまず"真、本当の"といったような意味合いを持つ単語と思うはずであり、同様の綴りを持つ他の言語における単語もまた同様の意味合いを持つだろうと想定するだろう。ところが、スペイン語におけるREALという単語は"真、本当の"という意味合いを持つがそれよりも"国王の"といったような意味合いが強い。さらに、読みは"リアル"ではなく"レアル"である。ちなみに世界的に有名なサッカークラブであるレアル・マドリードの"レアル"は先述した"国王の"という意味合いを持つ。このような例は非常に多く存在する。
さて、もう一度本題を確認することとしよう。もし、仮に、全人類が同じ対象を全く同時に見る/聞くとして、100%全く持って同じ感想を持つことはないだろう。ここでいう"対象"とは実体が伴うものはもちろん、それが伴わない、音声や行動などの事象も含まれる。
さっきの例も同じで、"REAL"という単語を見ても英語に触れやすい環境にある人とスペイン語話者とそのどちらの言語にも触れたことがない人とでは違った発音、違った意味合いを感じる。
違う言語の単語があるとはいえ、同じスペルの単語を見ても必ずしも同一の反応にならないのなら、ましてや立場や関係性が異なる人々から見た日常における事象なんて尚更そうではないか?我々からしたら魔法のように見えるマジシャンの神業マジックもその道を生きる者には何が起こっているか大なり小なり魔法でも何でもない技として認識される。街を歩いているカップルの男の方を見て、もしかしたら「あなた」は"誠実そうな人だ"と思うかもしれない。しかし「その男性と交際している(もしかしたら、そう思い込んでいるだけなのかもしれない)人」が見たら"誠実そう"とは全く思わないだろう。ここでは「あなた」と「その男性と交際している人」とでは"真"とされる事柄が全く異なる。
世間の事柄に目を向けてみると、認知の歪みによって"真"とされる事柄を読み違え、世間一般の考え方とは大きく異なったものを"真"と捉えてしまい、それが憎しみや対立を生む例に溢れている。それゆえに、一つの事象に対し様々な立場の人の意見/言い分を聞き、自分なりの適切な対処にたどり着こうとする姿勢が憎しみの連鎖を引き起こさないために大切であり、自分の身の周りの小さな事象であったとしても「よくわからないけど魔法のようにとんとん拍子で進んじゃった~」と思い、相手との認識の違いによる諍いを生むような事態を防ぐために一歩引いた冷静な視点を持つべきではないだろうか?昨今の情勢を見て、その思いが強まりつつある。このままだと日本終わるぞ。政治学を学ぶ身として、警鐘を鳴らす。
P.N. 岐阜