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「来場者の滞在時間が異常に長い」アニメーション監督・富野由悠季の初展覧会が"絵より文字"になった理由  〜そして富野監督は「それが、天才ではない僕らの戦い方だ!」と叫んだ〜

機動戦士ガンダム』の生みの親であり、日本を代表するアニメーション監督・富野由悠季氏。2019年から2020年にかけて、富野監督の初の「展覧会」が各地で開かれたのだが、その内容は「絵」より「文字」が主役という異例の構成だった。なぜそんなことになったのか。富野監督の密着ドキュメンタリー映像を演出した中西朋氏がリポートする――。(第1回)

 

「天才ではない」富野由悠季監督が『ガンダム』を作ることができた理由

 

「それが、天才ではない僕らの戦い方だ!」

 突然、富野由悠季監督が強い口調でこう言ったので、私は耳を疑いました。

 なにが起きたのか。会議が終わって、スタッフ同士が仕事の進め方について雑談をしていました。それは以下のAとB、どちらのスタイルが好みか、という話題でした。

A「目の前にあるひとつのプロジェクトに集中したい」

B「複数のプロジェクトを掛け持ちで進めたい」

 スタッフの1人が「自分はAでひとつだけに集中したい。富野監督の仕事だけをしていたい」と発言したところ、それまで黙ってみんなの話を聞いていた富野監督が、机を「バン!」とたたいて、こう言ったのです。

 

「僕らはいろんな仕事をするべきなの。それでそれぞれの仕事の現場で得た小さな気づきを集めて束ねて太い軸として、次の仕事につなげるの。それが、天才ではない僕らの戦い方だ!」

 

 部屋には西日が差し込み、生暖かい空気が充満していたのですが、富野監督の剣幕に出席者全員の背筋が伸びました。

 

 末席にいた私は2つの点で耳を疑いました。ひとつは伝説的な演出家である富野監督が、ご自身のことを「天才ではない」と断言したこと。もうひとつは、会議に出席していた全員を「僕ら」と呼んで同列に語ったことです。

 当時、私は30代前半で、仕事で成果を出せず悩んでいました[NT1] 。当時は随分と偏った考え方をしていたので、「この年齢になっても突出した成功者になれなかった。何者でもない自分が、これ以上頑張る意味はないだろう……」と自分自身を必要以上に責め、毎日がひどく息苦しかったのです。だから富野監督の「天才ではない僕らの戦い方」という言葉は、とても新鮮でした。

   

 富野監督の「戦い方」とは具体的に何を指すのでしょう。私は「富野流チームワーク」にその秘密があると考えています。

 自分を「天才ではない」と認めているからこそ、仕事相手と本質的な意味で対等な関係を築くことができる。個人の能力を過信せず、集団で高いアウトプットを維持しているというのが私の仮説です。

  

 アニメーション作りとは時に100人以上のスタッフが関わる一大プロジェクト。そして『機動戦士ガンダム』とは、プラモデルなど関連商品を合わせて2021年度に950億円を売り上げた巨大ブランドです(バンダイナムコホールディングスが発表したIPごとのグループ売り上げ総額による)。同社の発表によると同年で『アンパンマン』が87億円、『ワンピース』380億円ですから、『ガンダム』というブランドの強さは突出しています。

 その原作者としてブランドを育てた富野監督のやり方にはさまざまな仕事に活かせる「ヒント」が詰まっているはずです。私がそばで見聞きした事柄をみなさんにシェアするべく、これから3回に亘り記事をお届けします。

 

 

その前に、少しだけ自己紹介させてください。私はドキュメンタリーを軸とした映像演出をしています。『情熱大陸』(毎日放送)や『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK)のような、いわゆる人物密着スタイルが得意です。バンダイナムコアーツ(当時はバンダイビジュアル)の菊川裕之プロデューサーの発案で、富野由悠季監督の仕事ぶりをドキュメンタリー映像にするという企画が持ち上がり、私がディレクターとして取材・撮影をすることになりました。

 2014年に始まった撮影は、2022年現在も継続中で、折を見てBlu-ray・DVDコンテンツとしてドキュメンタリー映像を発表しています。最新作『富野由悠季の世界 Film works entrusted to the future』では、2019年から全国8カ所の美術館で開かれた大型展覧会『富野由悠季の世界』が作られていく舞台裏に密着しました。

 この展覧会プロジェクトの質を高めるため、富野監督はどのような手を打ったのでしょうか?

 

「概念を展示せよ!」富野監督はどうやってエッジの効いた展覧会を実現させたのか?

 

 2021年の春、『富野由悠季の世界』展(通称『富野展』)は青森県立美術館に場所を移して開催されていました。『富野展』を追って青森空港に降り立った私の心中は複雑でした。

 羽田空港から搭乗した飛行機はガラガラで空席ばかり。青森空港のタクシー乗り場も閑散としていました。乗り込んで「県立美術館まで」と告げると、初老の運転手は驚きの声。「このご時世にわざわざ美術展なんて行くの?」。

 30分ほど国道を走り青森県立美術館に到着したものの、案の定、人の入りはまばらでした。私は、展示物を見る前にまずは来館者の動きを観察しようと決めました。

 客層は20代から60代までと幅広く、男女比は7対3くらい。特徴的なのは、どの見学者も滞在時間がとても長いことでした。じっと展示物に見入り、熱心にメモをとる人が多いのです。各部屋の隅にいる係員にそっと「みなさん時間をかけて見学されていますね」と声をかけると、「私たちも驚いています。平均の在廊時間がこんなに長い展覧会はちょっと記憶にありません」との返答でした。

あらためて調べてみると、この傾向は青森だけでなく、福岡、兵庫、島根、静岡、富山……全国で共通していたそうです。さらに展覧会の人気を測るバロメーターであるカタログ(図録)は、4000円という高額であったにもかかわらず、4刷まで重版するという異例の反響でした。学芸員からの情報によると全来場者数に対して図録購入者がどれくらいいたかを計る「図録購入率」は、約10%。『ゴッホ展』のような著名画家の展覧会でも、購入率はおおむね4-5%らしいので『富野展』の人気がうかがえます。

 『富野由悠季の世界』展は、コロナ禍という圧倒的に不利な状況下で奮闘していたのです。

 

 『富野展』は富野由悠季監督の演出デビュー作となった『鉄腕アトム』から最新作『Gのレコンギスタ』までを網羅。今年81歳を迎える富野監督の創作人生全体を展覧会にする、と聞いていました。

 しかし実際の展示内容はかなり風変わりなものでした。一般的にアニメーション作品や作家についての展覧会では、セル画やポスター、原画、背景画など完成された「絵」が展示物の大半を占めます。

 それもそのはず、現代のアニメーションはキャラクターなど「絵」の人気が非常に高いからです。

 ところが、『富野由悠季の世界』の主役は、「企画書」や「設定資料」なのです。

富野監督が会議に提出した文章、取材旅行のスナップ写真、しまいには紙切れに走り書きされたメモまで、およそ美術品とは思えない展示物が額装され、堂々と並べられていました。A4用紙30枚をこえる『伝説巨神イデオン』の手書き企画書が巨大なガラスケースに陳列されている光景には、本当に驚きました。

 文字展示が多いので、一般的な展覧会に比べると地味な印象を受ける人が多いでしょう。しかし、時間をかけてじっくり見ていくと、まるでアニメの創作過程に立ち会っているような体験が味わえる構成になっています。これが『富野展』の唯一無二の魅力です。

 

 言い換えると、ある程度の集客が見込める既存の成功パターンに頼らず、新しい面白さを打ち出そうとしていたのです。すでに多くの固定ファンを抱えた歴史あるブランドでこの戦略をとることは、かなり難しいと思います。

 よくある失敗が「これまでの顧客」と「新しい顧客」のマーケティングを両方とも細かく行ってしまい、結果として中庸で特徴のない商品・サービスが出来上がってしまうというものでしょう。『富野展』はこの罠をすり抜けていました。

 

 私は、なんらか成功した事例をドキュメンタリー取材する際、「もし自分がプロジェクトの担当者だったら?」とシミュレーションしてから撮影に入るようにしています。結果、浮かんだ疑問は2つ。

 

・どうやって『富野由悠季の世界』はエッジの効いた内容を実現させたのか?

・その過程に富野監督の意見はどう介在したのか?

 

 私は青森県立美術館の担当学芸員である工藤健志さんに話を聞きました。工藤さんは開口一番、意外なことを言いました。「富野監督は当初、この展覧会を開くこと自体に反対していたんです」。目を丸くする私に、工藤さんはプロジェクトの成り立ちを丁寧に教えてくれました。

 

 そもそも「富野由悠季監督をテーマにした展覧会企画」を思いついたのは、青森県立美術館の工藤さんと、福岡市美術館の山口洋三さんという『ガンダム』世代の学芸員コンビでした。当初2人は富野監督やその周囲の関係者とつながりがなく、企画も具体的なものではありませんでした。

 

 それでも、学芸員はいくつかの偶然を手繰り寄せます。時は2015年11月1日。場所は六本木ヒルズ。森美術館で開かれていた『村上隆の五百羅漢図展』の関連イベントとして富野監督は現代美術家の村上隆さんとトークショーを行いました。ここに工藤さんと山口さんがそれぞれ観客として参加。トークを楽しんだ後、2人は交流のあった村上隆さんから「たまたま」打ち上げに誘われます。座り位置が定められた打ち上げで、なぜか席替えがあり「たまたま」富野監督の隣に座る機会を得ます。

 「千載一遇のチャンス!」。2人は意を決し、富野監督に「展覧会を開きたい」と直談判。ところが富野監督は「無理。展示するものなんて何もない」とその場で断りました。美術館から「あたなの展覧会を開きたい」と言われて、その場で却下する作家はそうはいません。工藤さんと山口さんは富野監督のあまりにつれない態度に面食らったそうです。

 ただ、富野監督は去り際にこう言い残していきます。「映画監督の仕事は演出です。演出とは概念である。概念は目には見えないから、展示できないでしょう?」。2人が返答に困っていると、富野監督は続けて「概念の展示ができるなら、やってごらん」と言いました。つまり条件をつけた上で、実現の可能性を残したのです。

 

「概念を展示する」

 このこと自体は現代アートの文脈では珍しくありません。何を表現しているのか一見ではわからない美術品を置いて、観客側に思考を強いるタイプの展覧会もそのひとつです。

 しかし、一般向けのアニメーション作品をつくってきた富野監督の「概念を展示する」という展覧会は、果たしてどんなものになるのでしょうか。

 工藤さんと山口さんは展覧会の企画を本人にぶつけてしまった手前、この高いハードルに取り組まざるを得なくなりました。2人は展覧会の企画書を書き上げるのに2年を 費やすことになります。

取り出したのは14箱の段ボール!富野流のチームワーク演出 

 2017年11月。工藤さんと山口さんは東京のサンライズ第1スタジオで、富野監督と再会します。サンライズとは、『機動戦士ガンダム』シリーズを始め富野監督作品のほとんどを制作してきたアニメーション制作会社です。2人は2年をかけてまとめた企画書をプレゼンテーションしました。しかし、それでも富野監督は首を縦に振りませんでした。

  どうすれば、富野監督を納得させられるのか。2人は企画をさらに練り上げるだけでなく、並行して全国の美術館に声をかけ賛同者を募る作戦をとります。そして富野監督の了解を得る前に、“開催予定”美術館を6館に増やしたのです。それに伴って担当学芸員も7人に増えました。

  そして富野監督からの「概念を展示してほしい」というオーダーに対して、彼らは「富野監督の思考を追体験する」という答えを出しました。展示の中心を、セル画などの「絵」ではなく、企画書をはじめ創作過程に書かれた文章や設定資料にするというアイデアです。

 

 この結果、ついに富野監督は、展覧会企画を認めました。

 

 さらに時は流れ、2018年の春。富野監督のマネジメントスタッフから学芸員に連絡が入ります。富野監督が学芸員を自宅に招いたのです。ここで富野監督は学芸員に合計14箱の段ボールを託します。箱を開けた学芸員は目を見張りました。ぎっしり詰まっていたのは膨大な制作資料。学芸員が展示の中心にと考えていた富野監督直筆のメモや企画書そのものだったのです。

 学芸員の山口さんはこう証言しています。「監督が託してくれた資料は、初見のわれわれがみても理解できるように美しく整頓されていました。富野監督は少なくとも数カ月前から整理作業を始めていたはずです」。

 

 富野監督は「概念を展示してほしい」という大軸だけトップダウンで指示した上で、そのことに答えを出した学芸員たちに「展覧会の具体的な中身は任せる」と言い切りました。各コーナーのテーマ設定から、展示物の選択、そこに記す解説文までを学芸員に託すと宣言したのです。

 六本木で展覧会企画を却下する富野監督にショックを受けた工藤さんは、この発言に再び驚かされたそうです。

「アニメーション作品・作家をテーマにした場合、展覧会の内容はアニメスタジオと監督の意向が強く反映されたものになりがちなんです。この作品はこのように紹介してほしいというある種のガイドラインがすでにある状態……既存のファンが多いからしょうがないことですが。でも、富野監督とサンライズさんは現場に任せるという姿勢を示してくれました。われわれにとってこれは本当にうれしいこと。2年をかけて企画を練ってよかったなと、思いました」

 

 こうして現場を担当する学芸員たちのモチベーションがはね上がり、競うようにアイデアが重ねられ、エッジの効いた内容が実現されたというわけです。

 

 ここで富野監督のあの発言に戻ってみましょう。

「それが、天才ではない僕らの戦い方だ」

 富野監督をドキュメントしながら、私はいつもこの言葉を反芻していました。

 

 もし富野監督が自分を天才と考えていたら、自身の名前を冠した展覧会の内容を他人に全面的に任せることはなく現場からのボトムアップは限定的だったでしょう。

 そう、天才ではないからこそ、実現できるチームワークがある。

 そして、チームに天才がいないからこそ、各人が自分ごととしてプロジェクトに参加して充実感を得ながら働くことができる。そこから高いアウトプットを安定的に導き出す。

 これこそ「天才ではない僕らの戦い方」ではないでしょうか。 

 この展覧会が作られていく過程には、お伝えしたいエピソードがまだまだあります。続きは連載第2回をお待ちください。

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