いくらでも演じられる世界。
いくらでも演じられるみたいで。
優しい言葉を書くことができる人。優しい声を出せる人。
会ってみたら、自分に全然優しくなくて。
挨拶はしてくれなくて、人の悪口がとっても大好きだったりして。
ああ、どっちが本当なんだろう。
とても笑顔で優しく接してくれる人。大好きな人。
その人の文章を見たら、とっても冷たかった。
ああ、どっちが本当なんだろう。
どっちも本当なんだよね。
ある人の笑い声がとても好きな笑い方だった。優しい人の笑い声だった。
信頼できる人の笑い声だった。そばにいたくなる笑い声だった。
涙が出てくる笑い声だった。
あんな声で笑えたらいいな。
いいんだってさ、真面目でなくてもいいんだって。努力しなくてもいいんだってさ。
本当は透明だったんだってさ。色をつけたのは私だったんだってさ。
どんどんお水を足していこうか。
嫌いな人の話をしたくないし、悪口も言いたくない。
いい人ぶっているんじゃないんだ。
そりゃ嫌いだよ。でも嫌いって思うのも、口に出すのもとってもエネルギーがいる。それもいやなエネルギー。自分が疲れちゃうからさ。
嫌いな人のために、エネルギーなんて使ってやるもんか。だから言わないでほしい。巻き込まないでほしい。
言ったことは返ってくるっていうでしょう。やだよ、そんなの。そんな人は、自分の中では透明人間と化するのだ。
そのとたんに書きたくなるのが人間の性というものである。
喋れる人が大嫌いだ。喋れない人も大嫌いだ。
喋れないのがコンプレックス。
なんで喋れないといけないんだろうねえ。
詩を見ていると、詩を書きたくなるようだ。
あっどっか行っちゃった。言葉が消えた。
言いたかったのになア。
あ、思い出した、来てくれたよ。ありがとう。
あんなにしんどい人の気持ちを言語化してくれちゃってさ、
しんどいよねえ、つらいよねえ、逃げていいんだよってさ。
分かったように寄り添ってくれちゃってさ、逃げ場なんていらないのに、やめてよ、やめてよ、さびしいよ。しんどい気持ちは自分のものだけだったのに。いやだよ、いやだ。それを楽しんでいるのにさ。分かったフリ人間。楽しみを奪わないでおくれよ。助けなんていらないのに。なんで死なないでなんていうの。いらない、いらない、いらない。
はあ、どこまでいってもぼくはひねくれているなあ。そんな自分が好きだよね。
自分から出てくる言葉は、いつまで経っても綺麗ごと。
着飾った言葉しか出てこない。悲しい。悔しい。こんな人間じゃないのに。もっとお腹から話したいのに。喉から話しているみたい。
こういう言葉たちって、心理学者に見せたら、分析されるのかな。
あなたはこういう人間です、ってレッテルが貼られるのかな。
馬鹿みたいだ、発達障害だとか、mbtiだとか、HSPだとか。
その人自身が何を信じているか、だけじゃないか。性格なんて変わる。
みんな神様の一部ならば、混沌としているはずで、性格なんてコロリと変えられるだけのエネルギーがあるはずでしょう。そもそもの個性が変えられないだろうけどね。
なんでもあり。って難しい。
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