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週刊少年マガジン原作大賞を書き終えて思うことBLの世界


2000タイトルを上回る応募があつたことに驚きを禁じえない。
正直スゲーの一言!
幾つかの作品を読ませてもらいましたが、とても個性があって秀作ばかりでした。ボクは漫画というものは普段読んだことがなくて、TVなどは年に1度出して観るかどうかなのです。親の思考の影響があるのかもしれません。
日本を離れ海外に長く滞在していたせいでもありますが、その分、映画は結構な頻度で観たりもします。

noteでは2つアカウントを持っていて今回B面の人が執筆、受け入れがたい
BLの世界をノンフィクションで書いてみました。
否定する人もいる中での執筆というのは重々承知の上で書きましたが、幸いにも「好き」を沢山の方々から頂きとても励みになりました。本当です!

ボクの場合、映像にしたらどうなるかを意識して締め切りギリギリまで添削と校正をしましたが、文法は違ってないか、誤字脱字はなかったかなど
今でも不安です。
採用される有無とは別に書いて残さなければという思いの方が強かったのです。

添削は必要ですが既に最終ページ20話まで書き終えています。
これは、フィクションではないので当時の日記を読み返し、苦悩していた自分や幸せだった頃と色々な側面が見えて、読みながら泣いたり笑ったりの繰り返しでした。

主人公は、ボク自身ですが、もっと想像して別人格にしてみようとも思いましたが永遠の恋人であるtaoにとっても事実が良いと判断したためノンフィクションにしました。
彼に教わった「人は個性があっていいんだ」と自分らしく生きることが、全ての道に通じると言われ、中には綺麗ごとでは世の中は、回らないと言われるかもしれませんね。

どんな人にもいい思い出と苦い思い出があるように人生にはどこで、選択して実行するのかはそれぞれの判断です。
ボクの子供時代は、とても父が厳しく「はい」「いいえ」しか
答えが無く既に父の中では答えがあって、その答えが違うと大変なことになるので腫れ物にできるだけ触らないように答えを探り当てるような
感じでした。

ボクが進学して留学すると父は大変喜んでくれました。
ボクはボクで父から離れられたことへの解放感があって、やっと呼吸ができたことへの喜びが大きかったのです。そして、シアトルで沢山の友人にも出会えかけがえのないものになりました。
そこで出会ったtaoとの思い出や言われたことそして、死別となりその赤い涙の自縛から立ち直るのは今でも困難ですが、今でも心にはtaoが生き続いています。

今回「タヒチの星の下」というタイトルで応募しました。
タイトルを決めるには多くの壁がありとても悩みましたが
一番思い出に残る物語とは何かを考え、2人でtaoの生まれたタヒチに行き満天の星の下で生まれて初めて南十字星を見せて教えてくれた思い出が深く心に響きましたので、このタイトルに決定しました。

白い浜辺の柔らかい波が足に心地よく打ち寄せtaoは、ハミングで『Sailing』(セイリング)を口ずさみボクらは、ハグしたままスローダンスをしたのです。
Taoは、「大丈夫じゃない日があってもいい。オレがお前を護るからな」と言ってくれました。Sailingの歌詞を後に読んで奥の深いものだったことを思い起こします。


I am flying,
Passing high clouds
To be with you,
To be free

僕は飛ぶ
通り抜けて 高い雲を
一緒にいるために あなたと
自由になるために



この歌詞が心に残りました。病室でtaoの旅立ちの瞬間までずっとSailingの曲が心の中で溢れ「taoは嵐の日に生まれた」こと「心を開いていれば必ずいつか稲妻に打たれる時がある」その言葉が繰り返し思い出されます。愛は魂を目覚めさせることを知りました。1000回でも万回でも生まれ
変わってtaoを探ます!
タヒチの夜空にはtaoの住む星が今も輝いているのですね今も明日も。