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【今日が最後とわかっていたら】#70

イレウスの
かぜに消えゆく
幼子は
空のかなたに
シリウスとなる


皆さん、こんにちは。
今日も、このブログを開いてくださって、ありがとうございます。


数日前の朝、ふと、「あぁ、今日、命日か」と思ったんです。


「○○くん、亡くなったって。」


もう、何年前でしょうか。
仕事を終えて帰宅し、しばらくしたとき、
夫が母親からの電話を受けて、そう言いました。
思わず、耳を疑いました。


まだ、この世に生を受けて3年。


その日、保育園から、風邪の症状があるからと連絡を受け、
母親が迎えに行ったのだそうです。

そして、かかりつけ医に診てもらって、
風邪の処方を受けて、帰ってきた後、
しばらく様子見をしているうちに、
具合が悪くなり、救急車を呼んだけれど、
良くなることなく、あっという間に、亡くなったそうです。

医者に、死因を特定した方が救われるかもしれない
と促された両親は、それを受け入れ、
イレウス(腸閉塞)だったということを知りました。
風邪の症状と見分けがつきにくく、
誰を責めることもできないものなのだそうです。


「必死」とは、
人は、誰一人、明日が約束された人はいない。
人は必ず死ぬということを受け止め、
その瞬間を「これが最後かもしれない」と
自分の力の限りを尽くすこと。
と、大好きな開運アドバイザーの方に聞きました。

24時間、365日、必死に生きることではなく、
自分の目の前の人に接するとき、
これがその人との最後になるかもしれないと思って、
丁寧に関われればいいと、教えてくれました。


今までは、自分に、明日が約束されていないことを
考えて、精一杯のことをしていこうと思っていました。


それだけでなく、幼い命が召されるように、
相手がこの世にいなくなるという形での最後になる
ということもあるんだなぁ、両面あるなぁと
改めて、思ったんです。

当たり前と言えば、当たり前のことなのですが、
命日を思い出させてくれたことで、
さらに、生き方を整えていこうと思ったので、
書かせていただきました。


あなたは、どんなときに、「必死に」生きますか?

最後まで、読んでくださって、ありがとうございました。

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