しずけさこそが、友
すっかり帰る頃には、くらくて、心細くなりながらバスを降りる。だから、秋が好きだ。この、心細さを私は、愛しているのだ。
昼間の投稿と、いまの私は、別人で、暗い木々の影を目で追い、景色が輪郭をなくしていくのをじっと見ながら帰る。
職場では頂き物をよくするのだけど、今日はスタバのサツマイのフラペチーノをいただいた。
正式な名前はなんと言うのだろう。
甘く罰のような味で、幸せな気持ちになって、薄情だな、でもいったい何に?と考える。
帰り道、図書館に立ち寄る。まだ、先日の何も読んでいない。借りたのに読めなかったシリーズは、また、読むことにして、また新たなものを借りる。
佐藤泰志も結局、半分しか読めなかった。
借りたのは、植本一子「家族最後の日」と、先日、断念した、リョサ。
あと数札借りたため、重い。そういや、保坂和志も借りた。
肩腰が、つらい。内臓が辛い。
バスのなかで「家族最後の日」を読み進める。
ああ、これだ。と、植本さんの日常に、潜り込んでしまう。
夫がいて、恋人がいると言う関係を公言していることが、とても不思議で、でも、わたしは植本さんの事が、勝手にすごく好きで、この人は信じられる人だなと思ってしまう。
わたしが、植本さんの本を熱心に読んでいるのを見て、どんな本なの、と家族に尋ねられたことがある。
家族の構成は、夫がいないだけで、我が家と似ていた。
状況だけ説明すると、上の娘は顔をしかめた。
わたしは、なぜ彼女を信じられる気がするのだろう。
私と母との関係、私と父との関係を、こんな風に書いてみたいなと思う。これから、人生の半分はその作業も、大きな意味をなすだろう。
選ばれたものだけが、過酷な運命を進むのだろうか。私は、いつもおおげさだ。疲れてしまうのだろう。劇場型、と自分を分析してみる。
公園のベンチでこの日記を書いている。
家族の学校から諸々の、連絡電話が来る。手帳に控えながら、尿、と大きな文字で書く。泣きたくなるような、気持ちになる。
秋の風は涼しく、目の前のキャップを被った歳よりの男が、豪快に痰を飛ばした。
それでも、今日は、眠たいとか疲れたとか言ってられない用事があるのだ。
Mrs.GREEN APPLEのチケットの支払いが待っているのだった。数日前、家族に頼まれ、抽選で当選したと結果が来たのだ。手順良くできるか、それはわたしの頭のさえ具合に掛かっている。
これから、一日の後半戦、気が抜けない。
帰って洗濯、食事、風呂、読書、語らい、塾の迎え、支払い、手紙を書きそびれていた人へ手紙、日記の仕上げ、小説、リンパマッサージ、ストレッチ、ちゃわんをあらう、ねむる、お休みをぎゅっとしてから言う、わたしは、今日も忙しい