情だけでやっていけないのはもう目に見えてわかってるじゃないか

今年の夏は金木犀が好きな私の前で、わざわざ「銀木犀の方が好きかな」なんて台詞を溢す君を、濃い緑の葉っぱと薄ら漂う甘い香りで思い出すことはなかったし、あの頃使っていたトリートメントの甘酸っぱい香りを鼻にしても「シャンプー変えたんだ」なんて心底どうでもいい情報を口にする君を思い出すことなんてこれっぽっちもなかったから。だから、もう友達から削除していた見慣れないアイコンを見て、交わらないと思っていた君への気持ちがなんだかよく分からなくなってしまった。
「もう完全に吹っ切れたよ」
なんて人前では口にするけれど。ただそう口にして言い聞かせていただけみたいで。「忘れたよ」って半分笑いながら口にするのは、少しだけ本当で、でもほとんどはそうなってほしいっていう願望みたいなもので。所詮私の中の「忘れる」も「吹っ切れる」もそんなもんで。傷つくことを怖がって新しい恋に踏み込めていない時点で、忘れられても吹っ切れてもいないなんて、一目瞭然だった。
夏の終わりの深夜3時。学生ものの恋愛映画を見終えてボロボロに泣いているところだった。君からの「久しぶり、夜遅くにごめん」なんて文言から始まるわがままの塊みたいな文章が私の涙腺に拍車をかけた。
 好きなのか好きじゃないのか、会うのか会わないのか。ほぼ三途の川を行き来しているような感覚で、でもどっちに転んでも結局死んでしまう選択な気がした。
考えなかった日がないのは事実で、かといってあの頃の純な気持ちを持ってしてカラオケで失恋ソングを熱唱できるほどの熱量を君に対して持っていないことは確かだった。
 でも、そんな曖昧な「好き」も「嫌い」も君と目があって仕舞えば結局ははっきりするもので。暗闇の中、君の黒髪に反射する光が妙に嫋やかで、そこから覗く真っ黒な瞳は私の心を君といた頃の心に完全に戻していた。
久しぶりに目を見て、声を聞いて。言葉を交わした。
「やらない後悔よりもやって後悔」
そんな言葉があるぐらいには、大半の人の人生が後悔の連続なんだと思う。
彼に会ったその日、私の夏は完全に終わった。SHISHAMOのハッピーエンドを聞くぐらいには終わった。次の日から薄手の長袖を着出すぐらいには終わった。
君はさ、嘘でも「ずっと一緒にいるよ」なんてくさい台詞を口にできないくせに、どうせまた私の前で「銀木犀の方が好きかな」っていらない一言をこぼすんでしょ。私の10cm切った髪に気づかないまま「シャンプー変えたんだ」なんてどうでもいい情報を口にするんでしょ。そう思えば思うほど、君ともう一度手を繋がなくてよかったと思う。自分で自分を褒めてあげないといけないと思う。
言いたいことは言った。終わったものをもう一度始めようとするにはお互い変わらないといけないこと、もう傷つきたくないこと、正直に言えば好きだってこと、でも好きなだけじゃやっていけないってこと。
私の言ったことを分からないフリしないでほしいこと。
私がぼーっとしているうちに、みんなの夏も終わっていた。やっとかって思った。それからことあるごとに泣いた。というか気づいたら泣いていた。
「振ったの?」
「振ったっていうか、お互いやっぱり違うねってなったの」
「辛くない?好きなんでしょ?」
「別に好きでもないし、辛くもないよ。もう忘れたもん」
その台詞を何回も口にする私は強くなったと思い込んでるだけで。
秋は金木犀の匂いで泣いた。普通に泣いた。金木犀の一瞬が永遠だった。もういっそのこと永遠にそこにいてくれと思った。結局、金木犀も枯れて君もいなくなった。

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