途中下車をする勇気を誰か私にください
京都から梅田までの定期券をわざわざ買っているのに。長岡天神、高槻、茨木、淡路、十三。降りたことのない駅がたくさんあってなんだか勿体無い気がした一年。だからと言って特にどこに降りるわけでもなかった一年。
とりあえず電車に乗って梅田まで行くものの、途中で開いた文庫本に釘付けになってしまい学校に行く気が失せる日が多々ある。基本的に無理やり本を閉じるのだが、今日はまあいいか、という日が、三ヶ月に、いや二ヶ月に一回。ズル休みってやつか。みどりのランプが光る準急に一歩足を踏み入れるとほとんど人がいない車内になんだかドキドキする。いけないことをしているのかもしれないなあ、と。そのまま文庫本を読み続け、お腹が空いて電車に酔ってきた頃合いで寝る。大体東向日あたり。桂についたら改札を出て左側。冬は寒い寒いと言いながら日の当たるところまで走り、その勢いのまま階段を駆け降りる。ちょっと行ったところのミスドの手前のカウンター席の窓際奥が空いているとすごく嬉しい。こんな時間に何をしているの、という顔で制服姿の私を見るアルバイトのお姉さんは新人さんみたいですごく可愛い。だいぶ前、アイスのロイヤルミルクティーを頼んだ時シロップじゃなくてスティックシュガーを渡してくれたお姉さんも可愛かった。砂糖は冷たかったら溶けないよ。ミスドは顔採用でもあるのだろうか。何をするでもなくポンデリングを食べる。「今ミスドいるよ」とメールをすると「サボりかよ」と返してくれる友達がいる。一人じゃないんだな、まだまだ大丈夫なんだな、と。更新される友達のストーリーを見てなんだか泣きそうになる。数人しか通していない裏垢は殆どが地元の友達で。「かわいくなった」と言えばそうなのだろうけれど。カラコンの着色直径が大きすぎてプリクラでの映りが宇宙人みたいになっているのを見ると居た堪れない気持ちに、勝手になっている。着色直径には気をつけよう、そう思ってカラコンを選んでいる。恋愛はしない。だから友達は大切だ。とは言っても年頃の女の子に厚みのある恋なんかできるわけもなく。19歳と付き合った友達に、大学生に三股されていた友達、同い年の男の子と別れて速攻でバイト先の22歳大学生に恋をしている友達。おいおいおい、まだ私ら16、17だぞ。華のセブンティーンをなに無碍なおじさんどもに捧げようとしてんだよ。20代相手の恋愛は20代になってからでもできるけれど、16歳相手の恋愛は今のうちしかできねーだろ。という気持ちを「好きだったら全然いいんじゃない?」この一言で押し殺す。慣れた。もはや私も経験してみたい。客観視と世間体をシカトしまくり「好きだから」という理由だけで無駄に傷つき身をボロボロにしてでもまた尚「好きだから」と悲劇のヒロインぶりに泣き喚いてみたい。と、思いながらポンデリングを食べる。何気にやっぱりミスドのカフェオレが1番好きなのかもしれない。サンマルクカフェでバイトしていながら思う。
みんな何を思って恋をするのだろうか。もはやそう考えている時点で間違っているのだろうけど。やはり一旦言葉で表してくれないとわからない。この人いいなと思い始めて、インスタのFFを漁りまくって、あ、この芸人好きなんだ、え、今年のロッキン行ってたの?、うわ、back number好きってもうそれは絶対いい人じゃん。帰り道一緒になって、数回喋って好きになって。好きになっちゃったんだけど、もし君も私のこと好きだったりしたら、付き合うとか、したら多分お互いの人生のプラスになると思うんだけど。どうかな?とかいろいろやってみて。まぁデートに行くわけで。わざわざおしゃれなカフェにまで来たのに写真二枚ぐらい撮って食べて飲んであとはずっと好きな音楽だったり、最近見た映画の話だったり、アルフォートは水色か青色かどっち派かだったり、冬にこたつに入りながら食べるのはみかんかアイスかどっちが美味しいのかだったり、みかんなんて王道じゃん、いや王道でいいんだよ間違いないでしょ、とかこぜりあったり。こんなんだったら絶対駅前のスタバでよかったよね、なんて笑いあって。ってしてたらいつの間にかどんどん連絡取らなくなって。もうダメなのかなって思ったら本当にダメで「距離おこう」なんて言われるけど距離おいても戻ってくるはずがないんだからもうそのまま別れちゃって。っていうのをなんでみんなは早くて3ヶ月ぐらい、遅くて半年ぐらいでできるんだろう。ミスドに来たらドーナツをいっぱい食べたくなるけれど絶対飽きてしまうからソーセージパイも一緒に買うと危機的状況を乗り越えられる。本当に助かっている。ソーセージパイに感謝。途中下車ができない。冒険することを怖がってしまう。降りて酷く傷ついた経験を、恋愛の全てだと思ってしまうからだ。恋人がほしいわけではない。ただ話を聞いてくれる人がほしい。人身事故で電車が止まってしまった朝に、メールをすると「悲しいね」そう返してくれる人がほしい。あわよくばそのまま一緒に朝マックに行きたい。ダウ90000のコントライブを見に行った帰り道一緒にカネヨリマサルを聞ける人がほしい。電車で席を譲れた時に「よかったね」って。優しく聞いてくれる人がほしい。親指の爪が割れたことをいちいち報告できる人がほしい。あわよくばそれが恋人だったら。人生を共にする伴侶だったら。終わらないから幸せなだけなんだ。
終わらない恋なんてないくせに恋は終わりたくないなと思うようにできていて。それに振り回される日常に、少しばかり疲れてしまった。
傷つく勇気もないくせに人のことを好きになるのは恋の全貌を捉えていなさすぎる。でもみんなそれでも恋をするのだ。結婚のために恋愛をするわけじゃないのだ。好きだから。それがなんとなく恋愛と呼ばれてしまっているのだ。よくわからないけれど。行く当てがなくてもみんな面白くて楽しくてどきどきするから途中下車をする。結果なんか関係ない。降りたいから降りる。好きだから好きでいる。
行く当てがないと途中下車できない私を。
誰かどうか無理矢理にでもおろしてください。