私が初めて豚の角煮を食べたのはいつだっただろうか。そうだ。あれは小学校に入学して間もない頃、家族に連れられて沖縄に旅行に行った時だった。 今思えばあれは豚の角煮ではなく、正しくはラフテーと呼ばれる料理だったのだろうと思う。ともかく私はその料理に魅了された。舌を包む絹のような脂身に舌鼓を打ったものである。その記憶は私の中で、まるで琥珀に閉じ込められた永遠の瞬間のようにいつまでも鮮明な姿をしたままであった。 大学に入学し、一人暮らしを始めた私は持て余した時間を角煮作りに使う
オオサンショウウオには奇妙な生態がある。 それは共食いに特化した変態を遂げるというものである。オオサンショウウオは幼体が増えすぎたとき、餌の取り合いを辞め、短期間で頭蓋が急成長し、共食いを始める。その変態を遂げられなかったものは、生まれ故郷を共にする同胞に貪り食われるだけなのである。 私はオオサンショウウオとしてこの世に生を受けた。 私の同類の一部は「ウーパールーパー」という名前で恵まれた環境で生活しているらしい。大きな顔に小さな手足、それに加えて白とピンクの可愛らしい色合
第1章 孤独な少年は幸せを描くか 『幸せは与えられるものでも掴むものでもない、気づくものです。そうであって欲しいと私は思う。』 一人の少年が山道を歩いている。見たところ7歳ほどだろうか。片手には小さな体には少し不格好な大きなのキャンバスと筆とパレットを抱えている。彼が歩いている山道は道と呼ぶには些か過酷な環境であった。肌を切り裂くような冷たい風と、積もり始めた雪。少しでも気を抜けば足を滑らせ転んでしまいそうなほど足元の環境も悪い。彼を取り巻く状況はかなり絶望的だった。
夏の蒸し暑さが肩にのしかかる夕暮れ。都会の喧騒に蝉の慟哭すら溶けてしまいそうだ。この時期になるといつも思い出す。今でもついこの間のように感じるが、あれからもう三年の月日が流れている。年を取るにつれ時の流れとは早く感じるものだ。 当時の私は東京で学生をしていた。あの時ほど自分自身と向き合った時間はなかったと思う。そうした時間を一人の女の子と過ごした。長い睫毛の下にすっと通った鼻筋をした端正な顔立ちの女の子だった。 恋人でも友達でもない奇妙な関係を保ったまま、一年ほどの