同居していない親の家。『荷物が多く残る家』で困る…ご家族以外の意外な職業とは? そこから感じる体験談。
唐突な書き込み失礼いたします。
私は…ホームインスペクションという、まだまだメジャーではないと感じる仕事をしています。
仕事のひとつに、売られている家の経年劣化状況を調べるメニューがあります。
荷物が全くない家を調べることも多いですが、住んでいる状態や住んでいない状態どちらでも、いざ調べる段階に荷物が『多い』家を調べることだってあります。
●調べようがあるんですが…
①傾斜具合の測定があいまいになる
物が多すぎる場合…身動きが取れなくなるということもそうですが、『壁や床の傾斜』を測るデータ量が少なくなりがちです。
なぜ傾斜をはかるかと言えば、『築年数なりに基準を超えていないか』を確かめるためです。荷物が普通?にあっても測りようがありますか、思うように測れないくらい荷物だらけ ということもあります。
②雨漏りや結露やカビの状態がわかりにくい
段ボールや家具や収納の中に物がぎっしり詰まっていると、天井や壁から伝え流れた雨漏りやシミ跡、カビが生えてしまっているか…など、壁や床の状態を見ることができなくなってしまいます。
③照らし合わせてしまう…宅内外生活荷物
仕事とは別に感じることもあります。
自分の親の片付け方や現在状況と比べてしまうことです。両親は物を捨てるのが苦手で、大事にとっておくタイプなので、あまりにも荷物が多い。
お家の調査を通して、仕事しながら無意識の支障ない範囲で…『自分の親の荷物片付けは誰がいつやることになるだろう…』と、思い馳せる瞬間もあります。
何もそこまでと思うかもしれませんが、実際に過去のお客様で『県外の子供宅に老後世話になるため、実家とお墓を仕舞うという現場をしたことがある』ため、残されたご子息や親族が荷物相当量を処分する大変さを学んだ経験があり、自分の境遇や環境に当てはめてしまう…ことがあります。
私は…物を捨てられないということは決して悪いことではないと感じますが…以前は真逆でした。
物を効率よく捨てて、できるだけミニマムに暮らすという価値観もありました。思うようにモノに恵まれるからこそ、モノを効率的に処分するという発想になるだけではないか?と。
私の親の育った境遇が違います。
いい悪いでは決してありません。
モノがない環境だからこそモノのありがたみに感謝し、モノを大切にして暮らすのは、ミニマリストを考えるうえで思いやる感謝かなと…。
私の母は、今でも雑巾1枚もまだ使えるかどうかで判断します。まだ洗って洗濯すれば使えるんだからもったいない…と。
この価値観をどう捉えるかは人それぞれです。大事なのは一人ひとりその親子なりに!私は思います。
皆さんはそれぞれとう感じるでしょうか…。
多様な意見や価値観があることを願っています!