91、ぼくは、小説が嫌いだ
ぼくは、小説が嫌いだ。原稿用紙30枚くらいの物語なら、半年ほど前に書いた。でも、それ以来、何も浮かんでこない。
だいたい、コンテストに送るには、原稿用紙80枚くらい必要だ。そんなにたくさん、なにを書いたらいいか、わからない。きっと、書いてるうちに、頭がこんがらがってくると思う。
最初の四作目までは、好きなことを書いてた。それなりに、納得もいってる。枚数は、少ないけど。
でも、それ以来、五作目からは、まったく納得いくものが書けなかった。
半年前に書いた作品は、書けない時期が、三年もあった。母が亡くなったのも原因の一つだけど、まったく、文章が書けなくなった。
文章が書けなくなったのは、母が亡くなったことが大きい。日記アプリにも、「つらい...…」の一言ことしか書けなくなっていた。
焦った。文章を書くことが、ぼくの趣味だったのだ。どうしよう。何も書けない。
文章教室で、毎週、月曜日だけ開かれるという記事を見つけた。リハビリのつもりで行ってみた。
講師の先生は、専門学校の国語教師をしていた。女性の先生で、おもしろい人だった。ライター、映画評論家の仕事なども、手掛けていた。
教室は、国語の授業が行われる。と言っても、学生時代のように、小説を、読んで、この主人公の心情は、などという授業ではない。
俳句、川柳、ショートストーリーの書き方。本が出版されるまでの、裏事情。手紙の書き方などを習う。
最初の授業の宿題で、「他己紹介」を書くという宿題が出て、ぼくは、母のことを紹介し、「亡くなった母に手紙を書きたいです。どうぞよろしくお願いします」という内容のものを、書いた。
三回目の授業で、早速、手紙の書き方、という授業をした。これは、ぼくの宿題の文を読んだ、先生の意図的なものなのか?と、深読みした。
母への想いを無理やり書いた。母が亡くなって、間もない時期だったので、涙が出ていた。先生は、母への手紙を読んでくれた。
「ド直球な表現でいいですね!」
と、褒めてくれた。
それから、一度も休むことなく、教室へ通った。ぼくは、通ってる間に、パソコンの中の母への手紙を完成させることができた。
すると、文章が、また、書けるようになっていた。
文章教室は、エッセイを書きにいくところだ。文章教室に通っていても、小説は書けるようにならない。
「ぼくは、エッセイが好きです。でも、エッセイだけじゃ、デビューできないことを、知りました。なので、小説を、書きたいと思います」
と、最後の授業で、そう書き残し、その教室の満期が終わった。
小説を、書かないと、デビューできない。でも、ぼく、今、小説書くのも、読むのも、嫌いだ!
エッセイなら、物事を、端的に述べられ、難しいことを考えないで済むが、小説となると、読むのに想像力を膨らませないといけないし、書くにしても、伏線の回収や、詳しい描写、虚構の出来事を考えなければならない。こんなに難しいことを強いられるんです。嫌いにもなるでしょう!
でも、やはり、小説書けないと、デビューできない。だから、また、ぼくは、小説書くのを目指す。
ああ。小説書くの、やだ!!
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